30話 後始末
快晴の空の下、エクバルト王国の王都から少し離れた地、フィリス渓谷にて。
私は渓谷の際の客席にて、岩山を穿ちくり抜いたかのような渓谷の景色を眺めていた。
深い渓谷の際であるというのに、周囲は人々で賑わい、軽食の売り子も「いかがですかー?」と呼びかけながら歩き回っている。
「リンジーさん、遅いなぁ。本当に来るのかな」
私がいるのはずらりと並んだ客席の一番端だ。
今日はここでリンジーさんと待ち合わせをしているので、時間的にはそろそろ来る頃だと思うけれど……。
──アレックスは、リンジーさんは人込みが嫌いって言っていたけれど、まさか自分から言い出した約束を蹴ったりはしないよね……?
というより、リンジーさんが来なかったら今日は私一人になってしまう。
初めてくる場所で一人だと少し困るなぁ……。
そんなことを考えていると、息を切らせながら「ティ、ティアラ……!」と私を呼ぶ声が聞こえた。
そちらへ振り向けば、ヘロヘロのリンジーさんがやってきていた。
「リンジーさん! 来てくれたんですね」
「そりゃ来るさ。弟子の晴れ舞台だし、ティアラもいるしね。ただ……人が多すぎて、ここに辿り着くのに苦労したよ……。全く、王国民もお祭り騒ぎが好きで困る」
言いつつ、リンジーさんは私の隣の席にストンと座った。
「……しっかし、王国の伝統とはいえ、今日に至るまで早かったね。あの魔族を倒してからあっと言う間だったよ」
「本当ですね。……本当、あっという間でした」
私はリンジーさんの言った、今日に至るまでの間を思い返していった。
それはちょうど、魔族バァルを倒した後からのことで……。
***
「王子! アレックス王子!」
「むっ、テオか」
バァルを倒した後、アレックスは白と黒の聖剣を鞘に戻していた。
その時、空から竜に乗ったテオや、他にも竜騎士が二騎やって来たのだ。
リンジーさんのお店の前がそれなりに開けていてよかったと思っていると、竜騎士たちは竜から降りてアレックスの前で片膝を突いて伏せた。
「申し訳ございません! 王子とその周囲の様子から、既に戦闘は終わってしまったものと存じます。以前の黒鷲襲来時と同様、駆けつけるのが遅れ、大変不甲斐な……」
「よせ、テオ。護衛を付けず自由に動き回っているのは俺だ。テオたちが遅れたのも仕方がない。それに……デミスの様子を見るに、置いて行かれたのだろう?」
アレックスがデミスを撫でると、デミスは『ウルルル……』と喉を鳴らした。
テオは「……左様でございます」と続ける。
「王子の笛の音を聞いたのか、眠っていたデミスが突然咆哮を上げたのです。その咆哮の抑揚があらかじめ教え込んでいた、王子の危機と聖剣の持ち出しを報せるものだったので、そのままクリフォード陛下からお許しをいただき、急ぎ宝物庫より聖剣を持ち出したのですが……」
「デミスが二本とも咥えて先に飛んでしまった訳だ」
「……さらにデミスの翼に追いつける竜も現状ではおらず、このような有様で……」
「構わんさ。テオたちが父上に聖剣の持ち出しを頼んでくれなければ危なかった。よく仕事を果たしてくれたな」
アレックスとテオの話を聞く限りだと、アレックスが吹いた笛の音をデミスが遠方から聞き取り、彼の代わりに聖剣の持ち出しについてをテオたちに報せたということになる。
デミスはアレックスの言葉を理解できるって話だったけれど、本当に頭のいい竜だ。
「そしてアレックス王子。僭越ながら、この場で何があったかお聞きしても?」
「勿論だ。師匠もこっちに来て一緒に説明してくれ。ティアラは寝かせたままで構わない」
「……って脱走王子は言っているけど、どうする?」
店へ向かって呼びかけてきたアレックス。
リンジーさんの問いかけに、私はソファーから起き上がった。
「一応、私も行きます。一緒にいた身ですから」
疲労感はあるけれど、動けないほどじゃないのだから。
店から出ると、アレックスが心配そうにしていた。
「ティアラ、まだ寝ていてもいいんだぞ。話くらい、俺と師匠でできるから」
「ありがとう。でもいいの、私が来たかっただけだから」
それから私たち三人はテオたちに事情を説明し始めた。
魔族バァルの復活、異空間へ閉じ込められたことに、私の力など。
「……まあ、バァルの奴が私たちを異空間に閉じ込めてくれて助かったよ。向こうからすれば、アレックスの足場になっていた建物を排除したかったんだろうけどさ。奴が王都の中で普通に暴れ回っていたら、ここら一帯は瓦礫の山に変わっていたね」
リンジーさんがそう補足すると、テオたち竜騎士はごくりと喉を鳴らした。
「そうでしたか……しかし今の話を聞く限りでは、ティアラ様がいてくださって助かりました。流石は帝国の聖女様です」
「いえいえ、実際に戦ったのはアレックスですから。魔族の方も、アレックスが強すぎて焦っていましたもん」
「それでもティアラがいなかったらどうしようもなかったのも事実だ。あの異空間から戻ってこられた保証もないし、そう謙遜することもない」
「そう……かな」
アレックスから素直に褒められて、私は少しだけ照れてしまった。
「……ちょいちょい、あんたたち。そうやって話し込むのはいいけど、私としては一番気になるのはこいつらなんだけど」
リンジーさんが指した先には、倒れている人たちがいた。
数は十二人で、彼らは先ほど、バァルが倒れた場所から現れたのだ。
まるで小さくなって、体の中に納まっていたかのように。
全員意識を失っている様子ながら、胸が上下しているので命はある。
そして私の見間違いでなければ、その中の一人はレリス帝国のエイベル公爵だ。
それにその傍らで横になっているのは……。
「この男、輝星教会のバルト枢機卿か。このような大物が何故魔族の中から……ん?」
アレックスはしゃがみ込み、倒れているバルト枢機卿の手をのぞき込んだ。
するとそこには、小さな魔法陣が刻まれていた。
「契約の魔法陣か。それも古く強力で、各国でも禁止されている魔導式のもの。大方、魔族の言っていた契約とやらはこれのことだな。……師匠、封印中の魔族の半分ほどは、確か輝星教会が管理していたな?」
「そうだね。しかも魔族とわざわざ契約を、それも聖女であるティアラを攫うって内容のものを仕込んだとなれば、恐らく魔族開放の下手人はこいつだと思うよ」
「同感だ。しかもバァルの魔力がバルトの体に強く残っているのが俺の目にはしっかりと映っている。こんなにもはっきりとした魔力、奴と契約でもしなければ残るまい」
アレックスはテオたちにバルト枢機卿の捕縛を命じ、エイベル公爵についても体から感じる魔力にバァルのものが残っているとして、監禁を命じた。
「輝星教会の枢機卿と他国の大貴族といえど、魔族の手で我が国を危機に陥れかけたとなれば放置はできんからな。……師匠、そこに転がっている十人についてはどう見る?」
「多分、魔族と契約するための生贄とかじゃないかね。魔族と悪党が好みそうな手法だ」
「ふむ。枢機卿や公爵と違い、彼らにはバァルの魔力がこびりついていない。これは生贄として巻き込まれたと見るべきか。ならば彼らの方は丁重に保護する必要があるな」
そこからアレックスや竜騎士たちの動きは素早く、周辺の封鎖やエイベル公爵とバルト枢機卿の捕縛、連行などを手早く行っていった。
けれど、アレックスがデミスに乗り、空中でバァルを倒した姿は当然ながら周囲の住民たちに見られていた訳で……。
それが後で、私やリンジーさんがフィリス渓谷に来たことに繋がってくるのだ。




