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27話 深紅の魔族

 あのよく喋る魔導書を見つけてから数日ほど。


 アレックスは執務を早朝まで行い、昼間はリンジーさんの魔道具店に籠り、夜中は城に帰ってまた執務を行う……そんな生活を送っていた。


 それに私も何か手伝えないかなと、毎日アレックスと一緒にリンジーさんの魔道具店へと足を運んでいた。


「アレックス、ここ数日全然眠っていないでしょ? 大丈夫?」


「問題ない。俺の体は睡眠時間が極端に短くてもパフォーマンスが落ちないからな」


「そんな使い続けの魔道具みたいな言い方をして……」


 机に向かい、私が話しかけた時や食事以外は黙々と魔導書の翻訳作業を行うアレックス。


 一方のリンジーさんは店の隅に置いてあるソファーで爆睡中だ。


 昼間はアレックス、夜中はリンジーさんといった形で、作業は止まることなく進行中らしい。


 リンジーさん曰く「この店に来る客なんてこの時期はほぼいないからね。作業に集中できるのさ」とのことだったけれど……。


「本当、あの魔導書が他の人にも読めたらいいのに……」


 魂が目覚めた魔道具は、その声が聞こえる人間にしか扱えない。


 魔導書の場合はそれが「声が聞こえる人間にしか読めない」といった形になるとは。


「そう言うなってお姉さん。おいらだって他の人ともいっぱい喋りたかったさ」


「作業中だ、静かにしろ魔導書」


「お姉さんの話には応じる癖に! この王子、おいらには辛辣すぎる……!」


 アレックス曰く、この魔導書の声は「俺の神経を逆なでするタイプ」だそうだ。


 ……あまりにもお喋りなこの魔導書は、確かにアレックスとの相性はさほどよくないだろう。


「作業が終わり次第、好きなだけ喋らせてやる。今は集中させろ」


「……ちなみにおいらの翻訳っていつ終わる予定?」


「この調子では今月が終わる頃だな」


「って、まだ今月が始まったばかりじゃん! おいら全然喋れな……」


「静かにしろ。これ以上翻訳を妨害するなら、翻訳が終わった後でお前を……」


「すみませんでしたおいら黙ります王子様」


 アレックスの圧を感じる声音に、魔導書は早口気味にそう言って黙り込んだ。


 それからまたアレックスの作業が始まる。


 私のやれることといえば、作業を見守りながら店の掃除をしたり昼食を買ってきたりするくらいだ。


 他にも何か手伝えることがあったらいいな……と、考え込んでいたその時。


「……何、この感じ?」


 体がぞわりと震えるような感覚を覚えた。


 違う、空気中の、空間に満ちる魔力そのものが震えている。


 違和感を覚えて窓を開け放つと、さっきまで雲一つなかった青空に、今は鉛色の雲が立ち込めていた。


「これは……アレックス!」


「分かっている。何かおかしい。……魔物の群れでさえこれほどの殺気は出せない」


 私の覚える違和感は、アレックスには殺気として感じられているらしい。


 壁に立てかけてあった剣を鞘ごと掴み、アレックスが机から離れてこちらへ歩いてくると、リンジーさんも目を覚ましていた。


「何だいこの重たい魔力は? 誰かが呪殺の儀式とか……いいや、そんな生易しいものじゃないね。あの雲の中に何かいる」


「雲の中だと?」


 アレックスは天へと目を凝らす。


 一流の魔術師は遠方の魔力の流れさえ読めると聞くけれど、王国随一の魔術師であるリンジーさんも同様のようだ。


 アレックスは開け放った窓に手を付いて、外へ跳ね出る。


 そのまま目を細め、左手で剣の鞘を、右手で柄を握りしめた。


 まるで東洋の居合切りのような構えだった。


「……ティアラ、店の中にいろ。師匠は店に結界を張ってくれ」


「もうやってるよ」


 言いつつリンジーさんが魔法陣を展開し、店を半透明な魔力の壁で包んだ瞬間。


「──ッ! 来るぞッ!」


 彼がそう叫んだ時には、暗雲から落雷が生じていた。


 そうして雷が店の前に落ちたと思った瞬間、アレックスは既に剣を引き抜いており、深紅の影と切り結んでいた。


 ……一瞬落雷に見えたのは、雷のように素早く飛来した深紅の影だったのだ。


 まるで目で追えなかった光景に「……えっ?」と喉から声が漏れ出る。


 次いで、キィン! と鋼と鋼の打ち合う音が甲高く響いて、アレックスが剣を振りきり深紅の影を遠方へと飛ばす。


 黒鷲の構成員を何十人も片付けた後でさえ平然としていた彼の横顔は、今や鋭く、臨戦態勢といった様子だった。


「魔力が重くて濃い、まるで魔物並み……否、それ以上だな。お前、何者だ?」


 アレックスが問いかけた先、輪郭が朧げだった深紅の影はゆっくりと人型になっていく。


 影のように見えていた部分は、燃えるように立ち昇る深紅の魔力へと変じていった。


 揺らめく深紅の魔力の中に、縦に瞳孔の開いた鋭い目が見え隠れしている。


 姿は古びた甲冑を纏った戦士……といったところだろうか。


 右手には巨大な斧──多分、ハルバードと呼ばれる武器──を持っていて、あれでアレックスと打ち合ったのだと思う。


 そして見た目こそ人型であるけれど、あれは人間じゃない何かだと、私は心のどこかで確信した。


 人型は肩を震わせ、甲冑の中からくぐもった笑いを零した。


「名を尋ねるならば、まずそちらから名乗るのが道理だろう?」


「……エクバルト王国第一王子、アレックス・ルウ・エクバルト。人外の者に道理を説かれる日が来るとは思わなかったぞ」


「ククッ……いい勘だ。お前、俺が人ならざる者であると気付いていたか」


 アレックスは油断なく剣を構えたまま、正面の人型を睨む。


 すると人型の方もハルバードを構えた。


「我は魔族の一柱、赫々のバァル。契約に従い、レリス帝国の聖女をいただきに参上した」


「なっ……魔族だって? あれは今、七体とも封印されていたはず。どこの間抜けがやらかして封印が解けた……!?」


 リンジーさんは魔法陣で防御の結界を強めつつも、額から汗を流していた。


 ……魔族。


 二百年前、大陸を滅ぼしかけたと伝えられる七体の災厄。


 それは寒村出身の私も知るほど有名で、勇者のおとぎ話に出てくる悪役として誰もが知っている存在。


 それが実在していて、アレックスの前にいるなんて……。


 正直、信じられないけれど、リンジーさんの反応に加え、私の中の力があの魔族は本物だと言っている気がした。


「王国の王子よ。お前の相手は少々骨が折れそうだな。お前の排除は契約にはない。お前が背後に守る聖女をこちらに寄越せば、我も速やかにこの場を去ろう。……どうだ、悪くはない取引に思えるが?」


「悪くない取引? 抜かせ、人外が。……俺は友人が少ない身だから、大切にする主義なんだ。誰との契約かは知らんが、俺から友人ティアラを奪いたければ、俺を殺して行くことだ」


「……そうか」


 バァルがそう告げた瞬間、アレックスの直下から深紅の槍のようなものが飛び出した。


 魔力の気配からして、バァルが揺らめく炎のような魔力を固体化して、アレックスの下から放ったものだろう。


 けれどアレックスは槍の気配を読んだようで、既に真横へ大きく跳躍しており、槍が伸びきった時にはもうその場から完全に離脱していた。


 さらに跳躍した先の建物の壁を蹴って、それを繰り返し、バァルの周囲を跳び回る。


 リンジーさんのお店は周囲を背の高い建物に囲まれている。


 アレックスの超人的な脚力なら、垂直な建物の壁や、リンジーさんのお店に張られている結界さえ足場になるということだ。


 バァルが次々に繰り出す深紅の槍は、アレックスに掠りすらしない。


 それどころか……アレックスの方がバァルを翻弄しているようにも見えた。


「あの動きにこの気配! 魔術の才を捨て去り、武の極限を超越した者か……! そうなれば……お前が“当代の勇者”か!」


「“当代の勇者”? 何の話かさっぱりだな」


 宙に放たれた巨大な槍を躱し、逆にそれを足場にして蹴り、アレックスはバァルに急接近する。


 勢いのまま振られたアレックスの剣と、防御に回したバァルのハルバードが衝突。


 しかし膂力ではアレックスが数段勝るようで、アレックスはバァルをハルバードごと吹き飛ばしてしまった。


 バァルは地を転がり、呻きながら立ち上がる。


 ……信じ難いことに、王国最強の竜騎士である第一王子の実力は、伝説の魔族を凌駕して余りあるもののようだった。


「ガッ……!? 馬鹿な! この勇者、二百年前の者よりよほど……!?」


「お喋りな奴だな」


「……!?」


 アレックスは一瞬でバァルへ肉薄し、立ち上がったバァルへ剣戟を叩き込む。


 バァルは防御を急ぐが追いつかず、アレックスの剣がバァルの鎧を削って破壊し続ける。


 最後にアレックスの蹴りが炸裂して、バァルは再び地面へ転がった。


 バァルが肩で息をして起き上がろうとする中、アレックスは悠然とバァルへと歩みを進める。


「な、何故だ。奴の剣は聖剣でもないただの直剣であるのに、どうしてこうも追い詰められる……!」


「どうした? こんなものなのか。二百年前、大陸を滅ぼしかけた魔族の一柱というのは。拍子抜けもいいところだが、さては偽物か?」


「クッ……! 舐めるなよ下等種族が!」


 バァルは次に、宙に槍を生成して浮かせ、周囲の建物へと向けた。


 その中には当然ながら誰かが住み、またはこの騒ぎに気付いて隠れているはずだ。


 さらにバァルはアレックスにも槍を向け、射出できる状態にした。


「今からこれらの槍を一斉に放つ! お前は槍を防御できるだろうが、民はそうもいかぬだろう! 当然、民を庇えばお前が串刺しになろう! ……無辜の民と自身の命、お前はどちらを選ぶ! 第一王子よッ!」


「な、なんて汚いことを……!」


 思わず私がそう声に出してしまうほど、バァルのやり口は汚かった。


 要は民を人質にして、もしアレックスが自分を守れば「お前は第一王子失格だ!」とでも言うつもりなのだろう。


 もしアレックスが民を守って傷を負えば、その隙に彼を仕留める気か。


 バァルはそのまま「ハァッ!」と苦し紛れと言わんばかりに槍を射出したのだが……。


 ……その時にはもう、アレックスの姿はその場になかった。


「……は?」


 バァルから間の抜けた声が発された。


 けれどその気持ちはよく分かった。


 なぜなら……計二十本ほどの槍は放たれたと思った瞬間、全て叩き割られて地に落ちていったからだ。


 さらに宙には剣を振るったと思しきアレックスの姿。


 彼はストンと地面に降りてバァルへ言う。


「つまらんことをする。伝説の魔族の底が見えたな」


「チッ……! 舐めた口を……!」


 バァルは怒り故か、その身を震わせていた。


 そうして、正面からの勝負では勝機はないと完全に理解したのか。


 追い詰められたバァルは深紅の魔法陣を展開し、そのまま魔術を発動する。


 魔法陣に刻まれた魔導式を見てアレックスは何を感じたのか、即座に笛を取り出してそれを吹いた。


 ……けれど前回と違い、笛の音には独特の抑揚が付いていた。


 何かの信号かなと思うより先、バァルが哄笑する。


「クッ、ハハハハハハッ! 認めよう! その力、剣技において! 我が戦った者の中で貴様を超える者はいない! 恐らくは人間の歴史の中で最強格の剣士であろう」


「……そうか。魔術を一生扱えないと思えば虚しいだけだがな」


 アレックスはそう、心底つまらなさそうに呟いた。


「だが……所詮は剣士。接近されなければこちらのもの!」


 バァルが言った瞬間、周囲の建物が捻じれ、赤い結晶に包まれていく。


 深紅の魔法陣が輝きを増した末……。


 最終的に、周囲はどこまでも赤い結晶が広がる空間になってしまった。


 周囲の建物も王都の街並みもどこかに消え去り、構造物は結界に守られているリンジーさんのお店しか残っていない。


「へぇ……。空間を切り取って異空間に引きずり込んだのかい。あの魔族、空間系統の魔術については私以上かもね」


 リンジーさんはふむふむと興味深そうに頷く。


 どうやらあのバァルという魔族は、王国随一の魔術師であるリンジーさんが認めるほどの、空間系統魔術の達人であるらしい。


 また、そんなバァルと対峙するアレックスといえば。


「お、おおぉ……!」


 恐れとも驚きとも判別の付き難い声を漏らしていた。


 アレックスの様子に何を思ったのか、バァルは大笑する。


「ハハハハハハッ! 自身の置かれた状況を理解したか! そうとも、ここは我の支配する異空間! この場にある結晶全てが我が槍であり盾でもある! この物量はお前であっても防ぎきれまい! お前を下してから、あの小屋を守る結界を破壊し、ゆっくりと聖女を我が物にしてくれようぞ!」


 ……と、バァルは言っているけれど……。


 私はアレックスの「おお……」という声が、既に感嘆を含んだものであると察していた。


 ──あの魔導好きの王子。まさかこんな状況でも……。


 私がそう思った途端。


「素晴らしい! この規模の異空間を作り出す空間系統の魔術は、魔術大国である帝国でも見られなかった! これが魔術における極限の一つか。それを体験できるとは……。魔族バァルよ、俺はお前に感謝する」


 アレックスは剣を構えながらも、明らかに嬉しそうにしていた。


「あ、あの馬鹿弟子……! 敵は伝説の魔族で、この異空間はあいつの手のひらの上に等しいってのに……!」


「……まあまあ。いつものアレックスでいいじゃないですか」


 拳を握りしめるリンジーさんを、私はそんなふうになだめていた。


 最早、アレックスの魔導好きは真の意味で筋金入りだった。

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