25話 帝国の第二皇女
レリス帝国の帝都中央に位置する宮廷の一室にて。
第二皇女イザベルは強く下唇を噛みしめていた。
これは物事が上手く運ばなかった際に見られる、幼い頃からの彼女の癖でもあった。
平時のイザベルならば「はしたないのでやめるように」と幼い頃より母から咎められてきたその癖を、半ば無意識的にでも押さえ込むことができただろう。
けれど今の彼女の胸中は決して穏やかではなく、その癖が表に強く出るほどの有様だった。
彼女の手元にあるのは、宮廷に仕える文官から上がってきた報告書である。
……それはイザベル自身が許可を下し、エイベル・ルルス・ドミクス公爵主導の下で作らせた治癒の魔道具に関するものであった。
帝国を救い、イザベル自身の地位をさらに高めるはずだったそれは、今や著しく力不足であるとの声が宮廷以外に各地でも溢れ出すようになっていた。
代わりに聖女ティアラに救いを求める声が高まり、宮廷の前には日々、遠方からも聖女の癒しを求めて大勢の人が集結するようになっていた。
「くっ……! エイベル公爵の口車に乗ってみればこの始末。私の顔に泥を塗るようなことをしでかすなんて……!」
イザベルは先日、ドミクス公爵家当主のエイベルを自室へ呼び出し、使用人が顔を背けるほどの当たり方をした。
花瓶を投げつけ、書類で横っ面を叩き、怒りのままに罵詈雑言を浴びせかけた。
自身の娘と同い年ほどの小娘にそのような仕打ちを受けたエイベルの心中はどのようなものか。
けれどイザベルにはそれを気遣い想像する余裕さえなかった。
「エイベル公爵はティアラなど不要と、治癒の魔道具さえあればあの子の聖女としての地位は下がる一方なんて言っていたけれど。やっぱり保険としてあの子が必要だったじゃない! 見通しが甘いのよあの中年親父は……!」
自身がティアラを過度にからかったことで宮廷から去ったことについては棚に上げ、イザベルは美しく流れる自身の髪を掻きむしった。
……本当は彼女とて、分かっているのだ。
下賤な血の流れる平民を嫌うあまり、ティアラに酷く当たりすぎたのだと。
どうせティアラは宮廷以外に居場所はない、ならば出て行けとこちらが言ってみたところで、最後には這いつくばって許しを乞うてくるだろうという見通しは……あまりに甘かったのだと。
全てはイザベルが勢いのまま、ティアラに「すぐに出て行きなさい!」といったのが原因なのだと。
……イザベルがもっと賢く立ち回っていたのなら、このような事態には陥らなかっただろう。
聖女不在の不満に民の怒りが膨れることもなかっただろうし、各地へ使えない治癒の魔道具を提供したイザベルやエイベルへと、責任を問う声も上がらなかっただろう。
また、イザベルの一声でティアラが宮廷を去った事実は、今や宮廷内では誰もが知る事実だった。
イザベルは周囲から腫れもの扱いされ、父である皇帝からは「限度を知らんのか、この愚か者めが!」と生まれて初めて頬を叩かれたのだ。
……彼女は今や、生まれて初めて窮地に立たされていた。
第二皇女としての立場はあるものの、華やかに見えた未来への道には暗雲が立ち込めつつあった。
彼女はそれを自覚し、さらに唇を噛みしめた。
──ああ、どうして私がこんな目に……!
……イザベルは本来、決して無能ではなかった。
最低限、治癒の魔道具の設計図をエイベルから提示された際、基礎理論を理解する程度の頭はあったのだ。
だが平民嫌いの性格も災いし、ティアラを映していたイザベルの瞳は差別で濁りきっていた。
故にティアラの真の力を見抜くに至らなかったのは致命的な彼女の落ち度であった。
「くっ……! これも全部全部! あの小娘の仕業よっ! ……こうなったら……!」
ここに至って、イザベルはようやくティアラを連れ戻そうといった考えに至った。
ティアラに頭など下げるつもりは毛頭ない。
けれど……まずはあの聖女を探し出し、連れ戻さないことにはどうしようもないのだという事実を、ようやくイザベルも受け入れつつあった。
「誰か来なさいっ! 今すぐ……兵を動かし、ティアラを捜索なさい! 草の根分けても探し出して、私の前に連れてくるのです! エイベル公爵にも魔石通信で今の話を確実に伝えなさい!」
部屋の外に待機していた使用人たちは、イザベルの言葉に従い慌ただしく駆けてゆく。
……しかし、既に何をやってももう遅いことをイザベルはまだ知らない。
何があっても聖女に癒してもらえるからと、兵士も平民も身を粉にして日々働いてきた。
兵士に至っては危険な魔物との戦いすら恐れず、聖女の力を信じて勇敢に立ち向かい続けていた。
けれど傷つき、疲弊する者が増え「聖女は第二皇女が原因で宮廷から去った」との噂が広がっていく中……彼らの不満はもう、耐え難いほどに爆発寸前であった。




