13話 アレックスの秘密
路地を出て大通りにある露店でパンや串焼きなどを買い込み、そのまま大急ぎで魔道具店へ戻る。
あの店主さん、まさか本当に餓死していないだろうか、そんなことを思いながら。
そのまま店に入って、本の山へと私は呼びかけた。
「店主さん、食べ物を買ってきました。ほら、串焼きなんてこんなにほかほかで美味しそうな……」
「ありがたいっ!」
店主さんは再び魔導書を跳ね飛ばしながら起き上がり、私の持っていた食べ物をひったくるようにして手にした。
そのままがつがつと食べ始める。
……文字通り、飢えた獣のようだった。
「師匠。日持ちしそうな堅パンも買ってきたから置いておくぞ。……全く、こうやって散らかした魔導書も大切な売り物だろうに。まともに買ったらとんでもない金額だぞ……」
アレックスはそう言いつつ、床に散乱した魔導書を片付けていく。
王子であるアレックスが「とんでもない金額」と言うくらいなのだ。
……間違いなく、あの一冊一冊が驚くほどに高価な品なのだろう。
それから一通り食べ物を胃に収めた店主さんは、顔色を良くして落ち着いた様子になった。
「助かったよ、ありがとう。自己紹介が遅れたね。私はリンジーと言う者だ。しがない魔術師兼この魔道具店の店主で、あそこにいる脱走王子に魔術の知識を授けた師匠さ」
「私はティアラって言います。その、脱走王子とは……?」
気になったので聞いてみると、リンジーさんはアレックスを指した。
「聞いているかもだけど、子供の頃はよく城を抜けてここに来ていたからね。だから脱走王子なのさ」
「そ、そのまんまなんですね……」
あはは、と笑って流すと、リンジーさんは私をしげしげと眺める。
「あの、何か……?」
「……いやぁ、さっきから気になっていたもんだから、単刀直入に聞くけどさ。君、あいつの婚約者とかかい? 脱走王子も帝国の学園で随分と青春を楽しんだと見える」
「こ、婚約者!? い、いやいや、私はその、そういうのじゃなくて……」
あまりにも予想外な方向からの質問に声が裏返りそうになった。
けれどリンジーさんはニヤニヤし始めた。
私はアレックスのためにも「勘違いです、友達です」と強く訂正した。
……すると。
「あらら、フラれたのかいアレックス?」
ニヤニヤしたままのリンジーさんにそう言われ、アレックスは咳払いを一つした。
「師匠。これ以上その馬鹿な話題を持ち出すようなら、買ってきた堅パンを回収して俺たちは帰るぞ」
「おっと、悪かったねぇ。冗談だ冗談、頼むから怒らないでおくれよ。久々にやってきた弟子と、連れてきた友達の反応が可愛くってつい……ね?」
「相変わらずな人だ……」
人を食ったようなリンジーさんの態度に、アレックスは半ば諦めたように肩を落とした。
「片付け終わったぞ師匠。少しは整理整頓を心がけてくれ、来るたびに片付けから入っている気がする」
「悪いね。どうにも私には片付けの才能がないみたいで。これは一生アレックスに整理整頓を頼んで……すまなかった、これも冗談だから私の生命線を持って帰ろうとするなっ!?」
こめかみに青筋を浮かべ、堅パンを手にして店から出て行こうとしたアレックス。
リンジーさんは恥も外見もなく彼の足にしがみついて動けなくした。
そんなリンジーさんの様子にアレックスも溜飲が下がったのか、彼は堅パンをテーブルの上に置いた。
「そうやって師匠を脅して、悪い弟子だよ全く……いたたっ」
「あの、どこか悪いんですか?」
リンジーさんは立ち上がりながら顔を顰めた。
そして自分の腰を軽くさすった。
「私の仕事は座りっぱなしだからか、万年腰痛でね。昔からの悩みさ」
「まだ若いんだし、少しは運動しろって話も来るたびにしているのに。魔術でも治せないのか?」
「無理だね。私は相変わらず治癒系統の魔術は苦手だから。それに慢性的な体の不調は魔術でさえ根本から治すのは不可能に近い。多少楽にする程度さ……」
リンジーさんは「魔術の限界だね」と自嘲気味に笑った。
……その時、アレックスは言う。
「そんなに辛いなら、目の前にいるティアラに東洋で言う土下座でもして頼み込んだらどうだ? 多分だけど、ティアラなら余裕で完治させられるぞ」
「ほ、本当かい!? ……半信半疑だけど、私の弟子は出まかせは決して言わない奴だ。その、もしよかったら頼まれてくれるかい? 金ならいくらでもあるから……」
「いえいえ! お金なんていいですよ。それにアレックスの師匠なら治そうって、話を聞きながら思っていましたから」
そんなふうに話すと、アレックスは悪い笑みになって食い気味に言った。
「そうだな。師匠の場合は金を取るよりも、恩を売っておいた方がよっぽどいいかもな」
「こ、この脱走王子……! 留学から帰ってきたらより口が達者になっている……!」
「身から出た錆だし、俺やティアラをからかうからこうなるんだ」
今度はアレックスがリンジーさんを見てククッと笑う番だった。
何というか、この師弟はとても仲がいいのだとこの短い間に分かった。
アレックスの大切な人なら、私もリンジーさんの力になりたく思う。
「いきます」
私はリンジーさんの腰に触れ、魔力を流して治癒の力を使った。
魔力の流れからして、リンジーさんの腰は黒い淀みが溜まっているような感覚だった。
私はそれを強い光で押し流すイメージを持って力を使う。
……その後、完全に黒い淀みが流れて消えたのを感じてから手を離した。
「リンジーさん、終わりました。どうでしたか?」
「ど、どうって……! 腰が軽いのもあるが、何だ今の桁外れの魔力量は!? 魔物の頂点の一角である竜を遥かに凌ぐ魔力量……! 加えて魔力が空間に一切拡散しないほどに精密な魔力操作! アレックス、お前の友人は何者なんだ!?」
大慌てな様子のリンジーさんに、アレックスは吹き出しかけていた。
「師匠の口は堅いから明かすけどさ。ティアラ、帝国の聖女様だったんだ。訳あって宮廷を追い出されたからうちの国に来ないかって誘ったんだけど……やっぱり凄いよな? 正直、治癒に関しては世界一だと思っているよ」
「帝国の聖女……そうか、この子が噂の聖女様か。それに凄いなんて次元じゃないさ……。治癒以外に魔力量でも世界一を狙えるほどだ。こんな人間が実在するとは奇跡としか言いようがない……」
リンジーさんの驚き様に、アレックスは何故か得意げにしていた。
その顔は前に、私にエクバルト王国の第一王子だと明かした時と同じに見える。
……アレックスは意外と、いたずら好きなのかもしれなかった。
「孤高の脱走王子が連れてきた友人となれば只者じゃないと思っていたけど、全て納得したよ」
リンジーさんは左右に腰を回して「こんなに快適なのはいつぶりかな」と軽やかな足取りで店の奥へ向かって行く。
「お礼にお茶でも出すよ。いい感じのやつ」
「……それ、前に俺が土産で持ってきた茶じゃないか。そもそも客人に出す茶がお礼扱いなのかよ師匠……」
呆れ半分といった様子のアレックス。
リンジーさんは魔術が上手いのか、特に詠唱もなく赤の魔法陣を展開して、その上に小さな手鍋を重ねた。
魔術の設計図である魔法陣を空間へ展開する際、脳内でのイメージを強めるために詠唱を必要とするって前に聞いたけれど、使用者の技量次第では無詠唱でも展開可能らしかった。
ちなみに魔術の属性ごとに魔法陣の色は異なり、赤の魔法陣は炎や熱の魔術のものだと記憶している。
リンジーさんは手元でお湯を沸かしながら話を続ける。
「しっかし、脱走王子……アレックスも不思議なもんだね。子供の頃に辿り着いたのが私のいるこの店で、留学先で仲良くなったのが帝国の聖女様とは。魔術が使えない身なのに、アレックスは不思議と魔導と強く繋がっているように思えてならない」
「えっ……?」
リンジーさんの言葉を受け、私はアレックスの方を向いた。
そういえば、私はアレックスが魔術を使っているところを見たことがない。
あんなに魔力や魔術といった魔導の話が好きなのに。
私の視線に気づいてか、アレックスは曖昧な笑みを浮かべた。
「師匠の言う通り、俺は魔術を扱えない。そういう体質なんだ。でも魔導は興味深くて大好きだ。……まあ、我が身には決して届かぬからこそ憧れることもある、要はそういうことだな」
それからアレックスは、リンジーさんに出された茶を一口啜った。
その表情は別段、悲壮感がある様子でもなく、不思議と前向きそうなものだった。




