03. 学校生活_2
「入る気がないのなら退いてくれ。邪魔だ」
ミラー様と別れ、教室に入る前に深呼吸していると、そう声をかけられた。
背後から、こちらをしかめ面で見下ろしているのは長身の黒髪の青年。
デッドリー・ブロクラック、攻略対象の最後の1人であり、夜会でなぜかイベント前に帰ったその人だ。
取り繕うことが重要な貴族にあるまじき仏頂面、そして不愉快を隠そうともしない態度。見る人によっては眉を顰めかねないだろう。
だが、これもまた彼の立場からすると致し方ない部分もある。
連邦国の中のトップ、若くしてなったブロクラック公爵家の当主という重責は並大抵のものではない。親戚がこぞって虎視眈々とその席と財産を狙っており、周囲の誰も信用できない場合は特に。
ついでに、今の時点ですでに彼は何かしら失点を犯しており、現在それを取り返すのに躍起になっていたはず。もしかしたら、帰ったのもそれに関係するのだろうか。
「ご機嫌麗しゅうございます、ブロクラック様。失礼いたしました。どうぞお先に」
貴方が勝手に帰ったから、わたくしは今の今まで大変だったのよ、と文句を言いたいけれど言えるはずもなく。
笑顔で彼のために一歩退いた途端、
「レディファーストだよ、デッドリー」
後ろからさらに声がかかる。
彼に気さくに声をかけられる人物など1人しかいない。
顔を見ずともわかる。オーストラ様だ。
今日もにこやかに、ミラー様と同じ制服とは思えないほど一寸の乱れもなく完璧に着こなしている。
陽光のような柔らかな金色のオーストラ様とは対照的に、デッドリー様は、黒曜石のような髪に、炎のように真っ赤な瞳をもつ。
凛とした彫りの深い顔立ち。端正な顔にあるのは不屈の意思を感じさせる強い瞳に、真っ直ぐな眉、高い鼻梁。背は3人の中で1番高く、体も鍛えているのが服の上からでもはっきりとわかる。
攻略対象に相応しい容姿で、美しい芸術品がお従兄様だとしたら、彼は正統派のハンサムといったところだろう。しっとりとした魅力をもち、地位、財産、外見、能力と全てを兼ね備えておりながらも、女性を全く近づけさせず浮いた噂は一つもない。その様はブロクラック家が誇る砦に例えられ、“難攻不落の黒要塞”と陰であだ名されるほどだった。
「ご機嫌よう、アストリード嬢」
「ご機嫌麗しく何よりですわ、ルシェル様」
「うん、朝からアストリード嬢の笑顔を見られたからね」
「まぁ、勿体ないお言葉をいただき、ありがたく存じます」
「いつまで話し込んでいるんだ。さっさと入ってくれ」
貴族同士の挨拶に掛けられた、怒気をはらんだ言葉で、先ほどオーストラ様に注意され律儀にもわたくしが入室するのを待っていたデッドリー様に気が付く。
不機嫌さが一層増している。
もともとわたくしは彼からの印象が良くない。
プライドが高くきいきいと騒ぐ女は、彼のお好みではないのだ。
身内といえば、隙あらば彼の席を奪おうとするものばかり。公爵家当主としての重責、親族との摩擦、誰のことも頼りにできず信用することのできない孤立した生活の中で、ヒロインの優しさが少しずつ強張った彼の心を解きほぐしていく――彼のルートはそういった流れだった。
ヒロインにすら最初は頑ななのだから、悪役令嬢に対してなど改めて言うまでもなく。燃え盛る火のような目をもちながら、向けてくる視線はどこまでも冷たい。
余りの仏頂面にオーストラ様が窘めるが、彼は聞く耳を持たず、しまいには、オーストラ様が彼の代わりに謝ってくる始末だ。
確かに彼の言うとおり、ここでいつまでも話をしていても仕方がないだろう。
わたくしはお礼を言って、先に教室に入らせてもらった。
願わくば、彼とかかわるのはこれが最後でありますように。