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18. end : デッドリー・ブロクラック

「好きです!!」


その言葉で、ようやくわたくしは周囲に人が見当たらない理由を理解した。


しまったわ。学校の庭園、人目を避けて、ついつい何も考えずに歩いてきてしまった。


そっと覗けば、木々の間、見慣れた漆黒の髪に炎の目を持つ青年と愛らしい少女が向き合って立っている。先ほどの台詞はその少女から発せられたはず。


つまり、告白の場面に居合わせてしまった。


どうしたらいいのかしら。


今動けば確実に草を踏む音でバレてしまうだろう。


悩んだものの、どうすることもできずただ息を殺し身を潜めているしかなかった。


「断る」


彼らしく、返答はごく明瞭で、簡潔だった。


だが彼女は諦めない。


「どうしてですか? 我が家はいくつもの工場を持っています。公爵家に必ず益を――」


「興味がないからだ」


「我が家にですか? それとも結婚にですか?」


「お前にだ」


相変わらずストレートすぎる言葉に、言われた本人でもないわたくしの背筋が凍る。


苛立たしそうに告げるその声の低さで、彼女もこれ以上は無理だと悟ったのだろう。


顔を覆い、走って行ってしまった。


「――出てきたらどうだ?」


こちらに向かってかけられた声に、ひゅっと思わず喉が鳴る。彼はわたくしの存在に最初から気が付いていたらしい。


「あ、あの、散歩をしていただけで覗こうと思っていたわけでは……」


言い訳がましく茂みから出て説明するわたくしを見て、


「分かっている。どうせ、お前も同じだろう」


彼は、わたくしがなぜ一人でいたがったかお見通しのようだ。


デッドリー様に同情している場合ではなかった。


家柄も良く、結婚適齢期でありながら、お相手無し。


そう、わたくしも同じだった。


別に互いの家の利益のための政略結婚でも構わない。


ただ、それならそれで父を通してほしいと伝えているだけなのに、絶対に引き下がってくれない人が時々いる。多分、すでにお父様には断られているからなのだろう。


曖昧に笑うわたくしに、彼は近くにあったベンチに腰かけ、隣を指し示す。わたくしが座るのを確認して、


「相変わらず、求婚はやまないようだな」


「ええ、アストリードの領地と爵位は他の方には随分魅力的に映るようです」


「……それだけではないからだろう」


彼がぼそっと口にした。


どういう意味かしら。わたくしの知らない利点がまだあるという言い方。


家に帰って改めて目録を確認しておいた方がいいかもしれないと、忘れないよう彼の言葉を頭の中に留めておく。


「わたくし、デッドリー様のご苦労、身に染みて理解いたしましたわ」


「俺はお前の比ではないぞ」


自慢のつもりはなく、わたくしを下に見ているのでもなく、単に事実を言っているだけなのだ。彼に悪気はない。


大丈夫。もう慣れた。


「なおのこと、心中お察しいたしますわ」


「互いにな。これが、一生続くと思うと気が滅入る」


男性は女性に対して、良い言い方ではないが賞味期限というものがない。わたくしは今だけの問題で済むが、おそらく彼には生涯付きまとうのだろう。


これからまだ続くであろう未来を想いやって、ため息に似た無言が続く。


やがて、彼が言った。


「――いっそ、俺たちで婚姻を結ぶと言うのもいいかもしれないな」


「ええっ?!」


驚愕の声をあげ思わず立ち上がったわたくしとは反対に、実に無駄なく、能率的な解決策であると言いたげに、


「爵位は互いで継ぎ、そののち子を2人成し、それぞれを継がせればいい。1年の半分をアストリードで暮らし、もう半分をブロクラックで過ごす。多少手間ではあろうが、俺たちならなんとかなるだろう。もしくは中央都に拠点を構えてもよい。どちらに行くにしろ便利だ――どうだ?」


いたって真面目な顔で彼はわたくしを見やる。


決して冗談を言っているようには見えなかった。


「どうだって、そ、それってプ、プロポッ……?!」


不思議な感覚が胸の内を満たす。


どうしてだろう。


喜んでいる自分と、ショックを受けている自分がいるのを感じる。


嬉しいのは、多分デッドリー様からどのような形であれ結婚を申し込まれたから。


そして悲しいのは――多分、それがビジネスライクな申し出だったから。


おかしい。悲しむ必要はないはずだわ。


だって、わたくしは貴族の娘として政略結婚の覚悟はできていたはずじゃない。


お父様にもそう伝えている。


混乱するわたくしを閣下は怪訝そうに、


「……どうした、顔が変だぞ」


たとえその通りだったとしても、せめて顔じゃなくて顔色と言ってほしい――ではなくて。


ちょっと待って頂戴。


そもそもデッドリー様に申し込まれたからと言って、なぜわたくしは喜んでいるの?


今までに求婚なら両手足よりはるかに多い数を受けたわよね?


さかのぼって振り返っても、このように感じたことなどなかった。


過去のプロポーズと今の彼からのものと、何が違うのだろう。


「ま、待って……わたくし、そうなの? そういうことなの?!」


うそでしょう。よりにもよって“難攻不落”と呼ばれるこの方を?!


今まで気が付かなかった自分の恋心だとか、今更気づいてしまった思慕の気持ちだとかに気をやられ、情けなくも膝から崩れてしまった。


「おい、本当に大丈夫なのか?!」


彼が、膝が地面に着地する前にわたくしを受け止める。


腰に回される大きな力強い手、逞しい肩、彼の温もり。


自覚した途端、彼をとほうもなく意識してしまう。


「きゃあっ……!」


思わず彼をはねのけてしまった。


悲鳴を上げ振り払われた自分の手を彼は茫然と見つめる。それからわたくしを見る。


顔がしかめられた。目つきが鋭くなる。


彼のわずかな変化を最近は読み取れるようになっていた。


怒っているのではなく、傷ついている。


「今のは違っ――!」


「どうやら、余計な口出しをしたのは俺も同じのようだ。すまなかった」


有無を言わせず、彼は立ち去ろうとする。


「デッドリー様、お願いです、待って――」


足早に去る彼の背にしがみつくように縋った瞬間、よりにもよって何かに蹴躓いた。


体が傾く。地面の方に。


「おいっ、何をっ?!」


わたくしの全体重でもって後ろからぐいとひっぱられ、さすがの彼も咄嗟に対応ができなかったらしい。


そのままわたくしに引きずられるようにして、一緒に倒れた。


若葉の季節と言うこともあり、草が生い茂り地面は柔らかかった。


ついでに言うと、瞬間的に彼がわたくしの肩を抱きかかえるようにして庇ってくれたので頭をぶつけると言うこともなかった。


「俺を突きとばしたいほど恨みがあるのなら、まず口で言え」


乱れた髪をかきあげ、不機嫌そうに彼が告げる。


「ち、違います! わたくしがお伝えしたかったのは、そうではなくて――」


好き、と言いかけて先ほどの告白シーンがよみがえり、言い淀む。


正直に伝えたところで、どう考えても嫌がられるだけだろう。


彼は恋愛や結婚を自分に必要のないものだと思って、疎ましがっているくらいだ。


わたくしに結婚の提案をしたのも実利があったから。


もし、相手に私情が混じっていると分かっていれば絶対に言い出すことなどなかったはず。


今この場で嫌われる覚悟はできていない。


「それなら……お前、足はどうした?」


彼の言葉で気が付いた。


蹴躓いた時にでも打ち付けたのだろう。すねのあたりの色が変わっている。そう言われるとじんじんと痛む気がする。


しかし、


「たいしたことではございませんわ」


今はそれどころではない。


この場を収めるため、かつてない速さで頭の中で考えを巡らせていると、ふいに抱き上げられた。


「救護室まではおとなしくしていろ。たとえ俺のことが嫌いだとしても」


言い添えられた言葉に、今すぐ誤解を解かなければとさらに焦り、思わず悲鳴のような声が口をついてでた。


「嫌いなどではありません! わ、わたくし、デッドリー様を心からお慕いしております!!」


その瞬間、彼の手から力が抜け、するりとわたくしの身体が滑り落ちる。


着地と同時に、ぎゃっと尻尾を踏まれた猫みたいな声が自分の口から漏れたのがわかった。


さすがに今のはひどい。


草が生えていたからよかったものの、地面だったら確実にお尻を強く打っていた。


それにしても、気持ちを告げた途端に下に落とされるだなんて、好かれていないどころの問題ではないのかもしれない。


くうっ。焦るあまりに一番言わなくてよいことだけを言ってしまったわ。


後悔に包まれていると、


「お前が俺を好……?」


茫然とした呟きが降ってきた。


恐る恐る彼の顔を伺えば、彼は自らの手で口元を覆い、驚きに目を見開いている。


「いや、それよりも俺の方こそ……まさか……オーストラが言っていたのはこのことだったのか……!?」


なにやらぶつぶつと呟きつづけているがその意味は分からない。


やがて思考の海から戻ってくるとわたくしを鋭く見つめ、


「――お前は先ほど、俺を好きだと言ったな?」


「は、はい」


改めて確認されると恥ずかしい。


「そうか。俺もどうやらお前のことを好ましく思っているようだ」


「まぁ、そうなのですね。それは――……はい?」


言われた言葉を理解するのに時間がかかった。


彼は真剣そのもので、わたくしをからかっているようには見えない。


デッドリー様が、わたくしを? 本当に?


「ごじ――」


「くだらない冗談を言う趣味はない」


先に言われてしまった。


では、本当に本当なのだ。


わたくしは彼を、そして彼はわたくしを好いている。


その事実がじわじわと心に沁みる。


「――っ!!」


込み上げる思いを抑えきれず、嬉しさのあまり飛びついたわたくしを彼はしっかり抱きとめてくれた。


彼の腕が、ぎこちなくわたくしに回される。


「――結局のところ、俺は最初から最後までお前の世話になりっぱなしだったな」


「どういうことですの?」


「印章を見つけてもらったこともそうだが、お前に今日言ってもらわなければ、俺は一生自分の気持ちに気が付かなかっただろう。――感謝申し上げる」


告白のお礼としてはなんとも仰々しい。


でも、これが彼なのだ。


いつだって生真面目で、努力家で、自分の感情にはちょっと不器用な人。


わたくしも言葉を返す。


「ご丁寧にありがとうございます。閣下のお力になれたのでしたら、光栄ですわ」


わたくしの返答に彼が笑った。とても、優しい笑顔で。

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