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18. end : ミラー・マイエン

重厚なテーブルにどっしりとした革のソファ。マントルピースの上には南の地方でよく見る木彫りの動物がいくつか並べられている。額縁に入っている風景画に描かれているものも南部地方特有のシダ植物だ。さらに領地が一部海にも面しているからだろう。机の上には貝殻細工も見え、ボトルシップと海鳥の剥製へと続く。


その反対側の壁には国境を守る貴族の血筋らしく手入れがされた数多の剣と騎士の制服、家族の肖像画。


全体的に古い印象だけれど、良く陽が差し込み、生活感がありながらも隅々まで整頓されており、気持ちのいいものだった。


総じて、彼の陽気さがこの部屋からも感じられる。


「どう、オレの部屋?」


「ミラー様らしい、明るく素敵なお部屋ですわ。ですが、何か大切なご用と伺っておりましたのに、お部屋を見せていただくことでしたの?」


「違う違う。義姉さんから、いろいろ届いたんだ」


じゃじゃーん、と口で効果音をつけながら手作りのリースなどをテーブルに並べて見せてくれる。


使われている枝の葉がどれもこちらではあまり目にすることのない形で、とても美しい。


「ラシアちゃんにも1つどうかなと思って。魔除けと幸運のお守りになるんだ。本当はキミにも贈りたかったみたいなんだけど、迷惑かもって遠慮したみたい」


「まぁ、いただきたいですわ!」


「そう言ってくれると思った! 次は、キミにも贈るよう伝えておくよ」


「お願いいたしますわ。わたくしもお礼をしたためておきますわね。マイエン夫人のご様子、いかがですの?」


「元気みたい。正直に言うと、ここにいたときよりも元気。頻繁に手紙のやり取りもしてるよ」


赤土と温かな南風が吹く辺境のマイエン領。


いつかお邪魔させていただくと夫人に約束はしたものの、気軽に行けるような距離ではなく未だに叶っていない。


ミラー様にも何度か誘われたけれど、さすがに婚約者でもない年頃の男女が共に旅行などできるはずもなく。


行きたいという気持ちだけが積み重なっていた。


本当に2人は頻繁にやり取りしているらしい。


南の地方は虫が大きく活発なためみんな慣れており、ああ見えて夫人も手のひらサイズまでなら素手で掴めるのだとか、そういった武勇伝まで教えてくれる。


「ふふっ、マイエン夫人もお元気なようで何よりですわ」


「うん……」


教えてはくれるのだが、おかしい。


いつもなら、とりとめもなくおしゃべりをするミラー様が今日に限っておとなしい。


時々目が泳ぐし、何かのタイミングを見計らっているような素振りすら見せる。


もしかして今日招かれた本当の理由は別にあって、それはとても言い出しにくいことなのかしら。


彼のことだ。良くない報告など、こちらを気遣って口にしづらいのかもしれない。


だとするなら、口火はこちらが切った方が良いだろう。


「ミラ―様、わたくしに何か仰りたいことがあるのではなくて?」


余りにも直球すぎたせいか、ミラー様が目の前で驚き、固まった。


「バ、バレてた?」


「ええ。覚悟はできておりますわ。さぁ、何なりと仰って」


わたくしが促すと、彼は緊張の面持ちでわたくしの正面に立った。


そうとう言いづらいことらしい。


何度も深呼吸をしている様子を見ていると、自然とこちらも緊張で体が固くなってしまう。


何を言われるのかしら。


やがて心は決まったのか、ミラー様はすっと頭を下げ、大きな声で言った。


「ユーラシア・アストリード様、どうか、オレと付き合ってください!!」


…………思っていたのと違うわ。


とっさに口をついて出た言葉が、


「ど、どちらに――」


「どっか一緒に行ってって意味じゃないから! 結婚を前提とした男女交際の申し込みだから!」


間髪入れずに返ってくる。


わたくしも、そうかしらとは思ったのだけれど、信じられない気持ちの方が強くてつい古典的なボケをしてしまった。


「なぜ、わたくしですの?」


「キミのことが好きなんだ」


顔を上げたミラー様は今までに見たことがないほど真剣だった。


でも、こちらとしては、どうして、というのが正直な感想だ。


わたくしは見た目もアーシアさんやお義姉様のような愛らしいものとは異なる。なにが彼の好意を引き寄せたのだろう。


いや、考えられるのは一つしかない。


「もし、お義姉様や印章の件で感謝なさっているのでしたら……」


あれは善意で行ったわけではない。


わたくしはそれほど優しい人間でも、できた人物でもない。


ただ自分が犯した失敗の後始末をしただけなのだ。感謝されるいわれはない。


ましてや、それで彼の歓心を買ってしまったのだとしたら。


彼をできるだけ傷つけずにそれを伝えようとすると、しどろもどろになってしまう。


こちらの困惑が伝わったようで彼は少し笑い、


「……理由は別にいいんだ。ただ、あの時オレはあのままだったら、確実に義姉さんのためという言い訳で自分のために悪事に目を瞑ってた。義姉さんを見つけた時だって、キミが励ましてくれなかったら、付き添ってくれなかったら、なかったことにしてたかもしれない。理由なんて、きっかけなんて、オレは何だっていい。オレにとって大事なのは、ホントにつらかった時に、他の誰でもなく、隣にキミがいてくれたってことなんだ」


「ミラー様……」


「だから、今度はキミがつらいときはオレが傍にいたい。傍にいさせてほしい。それを、オレに許してほしいんだ」


彼はわたくしのそばまで来て片膝をつく。


「オレはね、キミと一緒にいると幸せだよ 。いつもドキドキしてて、それからフワフワして、キミの笑顔で頭が真っ白になって、キミを想うと胸がキューってなるんだ」


彼は自分の胸を抑えて、ううっとうめく演技をする。


「オレと一緒にいるのは嫌?」


「嫌、ではありませんわ。ただ、その、急すぎて……」


自分の胸の内を探り、正直に答える。


それが本音だった。


彼のことは嫌いではない。


ゲームでもわたくしを庇ってくれたように、彼はずっとわたくしの味方だった。


一見ふざけているように見えるけれど、その内実はとても大人で、笑顔に何度も励まされてきた。きっとわたくしの気づかないところでも彼の気遣いに助けられていたことがあったのだと思う。


ただ、それ以上に考えたことはなかったから、何よりも今は戸惑う気持ちの方が大きい。


「オレにとっては全然急じゃなくて、ず~っとアピールしてたけどまったく伝わってなかっただけなんだけどね」


「それは……」


ずっとリップサービスだと思っていた。


言わずとも何となく分かったようで、うんうんとうなずきながら、


「分かる。それも、過去のオレの言動のせいだ。結局、自分でバカやって自分の首を絞めてた。キミが信じられなかったのは当たり前だよ。すっごく反省してる。もうあんなことは絶対にしない」


硬い手がそっとわたくしの手を握る。


でもそれはいやらしい意味ではなくて、彼の真剣な想いが伝わってきたから、わたくしは振り払わずにそのままでいた。


その手を感じながら、ふと思う。


たとえば、一切の打算なしに彼を手伝えていたのなら、わたくしは迷わずこの手を取れたのかしら。


たとえば、アーシアさんのように純粋で可憐な想いだったなら……。


胸のどこかがチクリと痛む。


「……わたくしのことを真剣に考えてくださったのは、とてもありがたく思っております。ですが、ミラー様は誤解なさってますわ。そのように言って戴けるほど、わたくし、良い人間ではありませんのよ?」


そう言ったのに、わたくしの言葉に彼は眉を顰めるどころか、目を輝かせ、


「あれ、偶然だ! オレもちょうど、次はどうやってキミの良心に訴えようかって悪だくみしてたとこ! ヤバい、オレたちって気が合うんじゃない?」


思わず笑ってしまう。


すかさず、


「もし、さ。急すぎて考えられないっていうなら、お試しはどうかな?」


「お試し?」


「そう! 結婚って言ったのは、それだけ本気だよって言いたかっただけで、今すぐ家同士で話をつけたいとか、そういうつもりじゃないから。ちゃんと、キミの気持ちが育つまで待つつもり。だから、まずはお試しでオレとお付き合いしてみない? もちろん、キミがムリってなったら、その時はすっぱり諦めるよ。――チャンスが欲しいんだ。せめて、オレが本気だって知ってもらうチャンスが」


照りつける南方の日差しを想像させる髪の間から、琥珀色の真摯な瞳が私をとらえる。


胸が締め付けられる。


彼は本当に本気なのだわ。


結果、どちらの答えを選ぶにしろ、わたくしもちゃんと彼と向き合うべきだ。


わたくしは頷いた。


一呼吸おいて、彼が歓声を上げて飛び上がる。全身で喜びを表現し、部屋中を走り回る。


その姿を見て改めて思う。


ああ、何度この明るさにわたくしは助けられたのだろうと。


わたくしの視線に気が付き、彼が戻ってくる。そうして、言った。


「実はさっきは、ああ言ったけど、ホントはね、オレが役に立つ日なんて来なくてもいいからさ」


彼が笑う。


「キミの人生、ず~っと幸せばっかりだったらいいなって思うよ!!」


実に彼らしい、溌剌とした眩しい笑顔で。わたくしの顔を真っ直ぐに。


心からの、ただわたくしの幸福を純粋に願っている気持ちが伝わってくる。


その笑顔を目にした瞬間、どきっとした。それから、なぜか一気に胸がきゅーっと苦しくなって、顔が熱くなった。


どうしてだろう。


急に彼の顔がまともに見られなくて、座っているはずなのに足元がふらつく気がする。


「ラシアちゃん、どうしたの?! 顔、真っ赤だよ! そうだ、緊張してて窓を開けるの忘れてた! ご、ごめん、部屋の中、暑かったよね!?」


ばたばたと慌てて彼が窓を開けていく。爽やかな風が吹き込んできて、頬を冷やす。


でもまだ顔と、胸の奥と、彼に触れられた手が熱い。


彼の先ほどの言葉を思い出し、唐突に理解した。


「……わたくしったら馬鹿ね」


お試し期間が終わったら――その答えは、もう出ているのだと。

残りは来週末予定

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