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15. 真相_3

「貴方は……」


――そこにいたのはエーゲン伯爵だった。


伯爵の姿を見て、やっと、わたくしは全てを理解した。


アーシアさんが、なぜ狙われたのかも。


ずっと疑問に思っていたこと、答えの出なかった事実が、形を伴って解けるように。ここにきて、ようやく。


わたくしの大馬鹿者!!


星花を背景に立つエーゲン伯爵は記憶の捏造などではない。


あの日のことであるのは確かだ。衣装も何もかもが一致する。


単に、見たのはあの時ではないだけだったのだ。


ではいつ見たのか。


思い当たるとすれば、ゲームしかない。


そして、ゲームをやりこんだわたくしが覚えていないシーンがあるとしたら、それは――チュートリアル! 


つまり、あれはアーシアさんが見た景色なのだ。


一度しか出てこないから、立ち絵ではなくモブのように背景に描かれていたから、てっきり意味のないシーンだと思っていたけれど、チュートリアルで彼女はあの場所で犯人に出会っていたのだ。


アーシアさんが伯爵を見知っていると言った時に、何処で見たのか問い質すべきだったのよ!


そして、彼女が伯爵を見たということは、彼も彼女に見られたことを理解しているということ。


しかもその少女が内通者を探している者たちと一緒にいると知ったら、危機を覚えるだろう。


だから、狙われたのだ、ゲームでも!


ユーラシアにではなく、この一連の黒幕に!


再現した夜会で彼女をナンパしたのも、誘ったのではなく、彼女が自分を覚えているか確認したのだとしたら。


印章が戻ってきたと公表されたのなら、戻したのは誰かと疑うはず。


花園で会った少女を伯爵が口封じの必要があると判断したら――、


「わたくしのせいで彼女が刺された……?」


わたくしの行動を彼女がしたものだと間違えられた?


もしかして、彼女の部屋が荒らされたのもそういうこと?


あれは返却発表の前だった。


印章を探して、庭で見た彼女が持っているとにらんで、寮に侵入するという危険を冒し部屋を探し回ったというの……?


虐めだと偽装するために、社交界でも愚か者で有名なわたくしを選び、偽の手紙まで用意して。


お従兄様が協力者なら、誰にも見つからずに済む空白の時間を把握するのも簡単だっただろう。


「――なぜですの? 領主ともあろうものが、少女を傷つけ、国を裏切るという大罪をなぜ犯すのですか?」


犯した罪の多さに、重さに、そう疑問を投げかけずにはいられなかった。


わたくしの尋ねに伯爵は初めて考えたとでもいうように驚き、考え込んでしばしののち、


「その方が儲かるから、かな?」


この、クズ……!!


一瞬でも疑問を持った自分が馬鹿だった。


やむにやまれず、食べるものにも困って悪事に手を染めた、などではない。お金のために。元々恵まれているのに、それをただ増やすためだけに。


わたくしの怒りのこもった目を伯爵は正面から受け止める。とるに足りないものだと言うように。


「もはや剣で領土を侵攻するなど古いのだよ。今は経済こそが国を牛耳るのだ。金を使えば、境界を踏み越えることなく標的を身の内からじわじわと侵すことができる。それがわからん馬鹿どもの多いことよ」


「そのために、この国を売ったのですか!!」


「私は別に国を裏切ってなどいないよ。一時的に手を組んでいるだけだ。むしろ私が強くなれば、畢竟、国が強くなることにつながる。ただ、それだけのことだ。弱き者は強き者に屈するが道理。安心したまえ、エーゲンがいずれこの国を導いてやるのだから」


罵りの言葉を探して口を開きかけたところに、お従兄様の冷静な声がかぶさる。


彼はこのやり取りに全く興味がないようで、


「伯爵、例のものは?」


「ここにある。持っていきたまえ。それだけあれば遊んで暮らせるだろう。くだらない教師など辞めて、人生を取り戻すといい」


確かに、と彼は書類を確認してもう一度振り返る。


わたくしと目が合うその表情は変わらない。


「……彼女は?」


「それは君には関係のないことだ。帰りなさい」


返事をすることなく、お従兄様は部屋を後にする。振り返ることもなかった。


わたくしと伯爵だけが部屋に残される。


「……わたくしをどうするおつもりですか? お父様が知れば、黙ってはいませんわ」


「知りたいのかね? 隣国にね、君を買いたいという人がいるんだ。あの夜の舞踏会で、挨拶をして回っていた君を見初めたそうだ」


告げられた名前には聞き覚えがあった。


一瞬にして記憶がよみがえる。


あの夜会でわたくしにしつこく言い寄ってきた、脂ぎった肥満体の男。人の手をまるで愛撫するかのようにねっとりと指の腹でなでまわしてきた男――隣国の重鎮!!


「有難いよ、君の存在は。お陰で、印章を奪われるという失態も見逃してもらえそうだ」


やり手の貴族。その手は幅広く、裏にまで及んでいるのだと告げていた。


あの子爵を顎で使っていた人間だ。まっとうな商売で成り立っているわけがない。


「汚らわしい痴れ者!! 恥を知りなさ――っ!」


甲高い音が響く。


「やれやれ、あまり傷をつけさせないでくれ。君は商品なんだからね」


強かに頬をぶたれ、息が一瞬詰まった。


頬がじんじんと痛む。手を挙げられたことなど、生まれてこの方初めてのことだった。余りの痛さに涙がこぼれ、遅れて手が震えてきた。脚は強張って動かしにくい。


痛みと恐怖に対するショック反応だ。精神に肉体が引きずられ始めている。


ぶたれた勢いでふらついて、縋りついたのはお従兄様が座っていた椅子だった。


お従兄様……。


先ほどの手が記憶によみがえる。鋼戦争の歪みが遺した悲しい傷跡が。そして、何よりも己の愚かさが。


震えを抑えようと唇をかみしめ、自分に語り掛ける。


しっかりなさい、ユーラシア・アストリード!


泣いているだけなの?


何度も後悔したのではないの? 


最初から頭数にもならない自分を恥じたのではないの?


もっと勉強していれば、もっと行動していれば、もっともっとと悩んだはず。


今、目の前にいるのは犯人だ。


全ての元凶だ。


この男の、この一族のせいで、連邦国は一致団結して立ち向かう前に、互いを疑い、牙をむきあうことになってしまった。大切な友人が刺され、ミラー様のご家族は苦しみ、ルシェル一家は地獄に突き落とされ、もうすこしでデッドリー様は大切なご両親から受け継いだ当主の座を明け渡すところだった。


傷は治っても傷跡は今もなおじくじくと様々な人を蝕んでいる。


彼らのことを思い出すのよ!


数えきれないほど沢山の不幸をまき散らしたその諸悪の根源がまさに、わたくしの目の前にいるのだ。


冷徹で用心深く、狡猾な男。


ヴェールで覆い隠された場所から出て来たのは、わたくしが着飾ることしか頭にない愚かな娘だから。


だからこそ、彼はこちらを甘く見て、縄で縛ることもせず、簡単に2人きりになった。


これは、チャンスだ。


頭の良くないわたくしでも分かる。


ここで彼を逃せば、また被害は広がるに決まっている。


やるなら今しかないし、やれるのは今わたくししかいない。


うつむいたまま目だけ動かして、出入口のほうを観察する。


先ほどお従兄様が出ていった様子からすると、扉に鍵はかかっていない。ただ、そこへたどり着くには伯爵の横を抜けなくてはならない。それに万が一この部屋から出られたとしても、外の様子がまだ分からない。


伯爵が一人でここにいるとは考えられず、少なくとも護衛がいるはずだった。そう広い造りとは思えないけれど、それらも出し抜いて建物を抜け出せるとはとうてい思えない。


では窓は?


伯爵のすぐ後ろにある大きな窓から見える景色は少なくともここが2階以上であることを表していた。どの程度の高さなのか。逃げられるほどの高さだろうか。ただ、鎧戸をおろしていないということは、外から見られる心配もしていないということ。街中や、少なくとも周囲に家や人の気配はないのだろう。


外に大声で助けを求めても無駄ということだ。


無駄――いいえ、諦めるのはまだ早い。


心が、ようやく静まってきた。震えも止まった。


わたくしは、やれる。立ち上がる力もある。


「わたくしだって……」


「なにか言ったかね?」


そう、彼が悪役なら、わたくしだって悪役令嬢。


どうせ、目覚めた瞬間から人生詰んでいたのだ。そして、このままこの男に捕まっていてもどこぞに売り飛ばされて人生が終わる。むしろ終わるどころか、死んだほうがマシだったという目に遭う可能性の方が高い。


だとするなら――、


「悪役らしくやってやるわよ!」


「なっ?!」


縋っていた椅子を掴み、全力で振りかぶる。


泣き出した令嬢を相手にし、完全に気を抜いていたのだろう。


椅子はエーゲン伯爵の頭を直撃した。伯爵は衝撃にたたらを踏み、よろめく。だが、粗雑なつくりだったせいで、もろく簡単に砕け散り、相手の気を失わせるところまではいかなかった。


辺りに埃のように木っ端が舞う。


「くそっ、このっ、あばずれがぁっ……!!」


額から血を流しながらそう叫び、怒りのままにつかみかかってくる。それを避け、ひっかき返し、もみ合ううちに、やはり、頭を殴られたのが効いていたのだろう、伯爵がわずかによろめいた。


そのまま窓の方へと背中から倒れ掛かる。


伸ばした手が私をつかみ、引っ張られる。その力のままに、わたくしの身体も窓の方へと傾いだ。


このままだと一緒に窓から落ちてしまう、と咄嗟に支えを探すわたくしの耳に階段を駆け上がってくる複数の足音が聞こえた。


音を聞きつけ護衛が上がってきたのだろう。


もしわたくしが今ここで踏みとどまれば伯爵は助かり、入ってきた護衛にわたくしは捕まり、彼らは何事もなかったようにまたこの国を騙していくことになる。続いてしまう。


それだけはさせない。もう、誰かが悲しいのはうんざりだ。


伯爵に掴ませたまま、床を蹴り、体重を乗せ体ごとぶつかる。扉が開いて驚愕の声が聞こえた気がしたけれど、もう遅い。振り返らずに、その勢いのまま窓に押し込む。伯爵の背で薄氷を踏むようにガラスが割れ、抵抗がなくなる。


身体が窓を突き破って、外へ飛びだしたのだ。


そうよ。


たとえ、人生が終わる運命は変えられなかったとしても、


「――これから起こっていく悲劇だけは、変えてみせるわ!!」

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