15. 真相_2
目が覚めれば、見知らぬ場所にいた。
粗末な部屋の粗末なベッドに寝かされている。
どのくらい眠らされていたのだろうか。とりあえず倒れたままの恰好で、縛られてなどもいないようだ。
すぐ近くにはお従兄様がいる。
おんぼろの木の椅子に座り、長い脚を組んで、にこやかにこちらを見ている。普段と同じ笑顔で。
「おはよう、ラシア。気分はどうかな?」
「……お従兄様、こちらは?」
「場所なんて、聞いたところでどうするんだい?」
それは暗に、わたくしが死ぬことを示唆しているのだろうか。
「わたくしを運んできたのはお従兄様ですの?」
「ああ、そうだよ」
「お茶に薬を盛ったのも?」
「僕以外にいると思うかい?」
「なぜですの? なぜ、このようなことを……以前、お従兄様は、もう隠し事はないと約束してくださったではないですか」
「約束、ねぇ……」
彼の顔が皮肉げに歪む。
ふいに椅子から立ち上がり、足早に近づいてくる。彼の後ろで勢いのあまり椅子が倒れた。
わたくしは顎を掴まれ、彼を真っ直ぐに見つめる形で 無理やり上を向かされる。
そのあまりの力の強さに、彼が怒っているのだと分かった。
顔は相変わらず笑みを崩さないけれど。
「ラシアは、体に蛆が湧いた経験はあるかな?」
「う、じ? ……蛆って虫のですか?」
余りにも突飛な質問に思わず耳を疑った。
顔を動かせないまま混乱するわたくしの様子に、彼は楽しそうに目を細め、
「では、蛆に肉を食まれる経験は? くすぐったいのだよ。不思議だよね、喰われているというのに……」
「どういうことでしょう……お、お従兄様にはご経験がおありなのですか?」
答えは何となくわかっていた。ただ、無いと言ってほしかった。
返答の代わりにわたくしを掴んでいた手が離れ、手袋を脱ぎ、目の前に掲げられる。
「……っ!?」
手の一部が、欠けていた。
腐ったように変色し、爛れ、クレーターのように肉がえぐりとられて陥没している。
外さないはずだ。あまりにも酷すぎて目を覆いたくなる傷跡だった。
美しすぎる顔からは想像もできないほどの。
「僕の両親は碌な人間ではなかった。母はもともと貴族だったせいで金銭感覚がまともではなくてね。父に至っては賭博に溺れ、借金を繰り返し、結局、親戚からも見放され、詐欺やスリなどで小金を稼いではあちこちを転々とする日々だったよ。その内に僕が邪魔になったのだろうね。多少の稼ぎは失うが食い扶持が一つ減る方が良いと考えた彼らによって、僕は家の地下室に入れられた。警備隊が来るとよくそこに隠れたんだよ。その日も、父と母は僕にそう指示した」
彼は手袋をはめ直した。忌まわしい思い出をしまうように。
「僕はそこで息をひそめてじっと待ち続けた。しかし、いつまで経っても出てくるよう促されることはなく、出ようにも扉はしっかりと締められ、子どもの力では開けることすらかなわなかった。やがて、もっていた食料もつき、さらに何日か経てば立ち上がることすらできなくなった。扉を開けようとあがいた際にできた傷には蛆がわいていたけれど、それを追い払う気力もわかなかった。酷いにおいに気が付いた借金取りに発見された頃には、息があるのが不思議なくらいだったそうだよ」
彼はにっこりと笑う。
「母の最後の言葉だ。“あとで必ず迎えに来るわ、約束よ”と」
血の気が引くのが分かる。
“約束”、ささやかな誓いのように散々繰り返されてきたこの言葉は、彼にとってむしろ忌まわしいものだったのだ。
口にするのはあの時の怒り、苦しみを忘れないため。
誰かに言うのは、それを無邪気に信じる愚か者を嘲るため。
過去の自分のような世間知らずを笑い、信じるという行為自体に唾を吐く。
その為に使っていた言葉。
「いつからですの……?」
いつから彼は私たち貴族を憎んでいたのだろう。
7大貴族が彼らヴァルターの一族を裏切り者と切り捨てたからなのだろうか。
彼が持てなかった物を、わたくしたち貴族は生まれながらに持っていたからなのだろうか。
そのせいでつらい目に遭ったのだと、恨み続けていたのだろうか。
突然、昔のことが思いだされた。
あれは多分わたくしが10にも満たない時だったと思う。
いつもの大通りが馬車同士の衝突事故で渋滞になり使えなかったのだ。
早く帰りたいと苛立ち始めたわたくしのために、御者は並木のある街路を横切り、広い通りをはずれた道を選んだ。普段なら通らないような道を。
決して貧困地区と言うわけではなかったのだけれど、見たこともないような豪華な馬車が行くのを道端の子どもたちがぽかんと口を開けてながめていた。
馬車の中から見下ろすわたくしを子どもたちが指をさしてはしゃぎながら言った。
お姫様が乗ってる、と。
わたくしはガラス越しに手袋も着けていないその爪の間が黒ずんでいるのを見てぞっとし、こう思ったのだ。
ああ、なんて汚らわしいものを目にしてしまったのかしら、と。
今なら、あの子たちですらまだ下流のなかではマシな方だと分かる。
もし、あのときのわたくしが当時のお従兄様を目にしていたら、きっと顔を醜くしかめて目をそらしていただろう。
そして記憶の中から消したはずだ。わたくしにとって美しくないものは存在する価値がなかったから。
「……同情ならいらないよ」
私の目からこぼれるものに、彼は苛立たしそうに声を上げた。
悲しいのではない。同情しているのでもない。
ただ自分の愚かさがひたすらに恥ずかしかった。
結局のところ、わたくしは何一つ変わっていないのだ。
わたくしはずっと彼を見ていた。彼を追いかけ、彼のそばに一番いた。
それなのに彼がずっと鬱屈した思いを抱え苦しんでいたことに気が付かなかった。見ようともしなかった。ただ、その美しさを愛でるだけだった。
そして、運命を避けようとしていた今も、彼から逃げることしか頭になかった。彼がどう思い、何を考え、生きているかなど欠片も気にしなかった。
彼がヴァルターだと分かった時ですら、その本当の意味を考えることすらしなかった。
幼い子どもが親に捨てられ、飢えで死にかけるだなんて、どれほど苦しかっただろう。
飢えも寒さも知らず、親の愛情にも恵まれ、何一つ欠けることなく持っているわたくしの存在が、どれほど彼には疎ましかったことだろう。
それが、「顔がいいから、気にしない」だなんて、笑ってしまう。
何て傲慢で、何て残酷で無神経な言葉を、わたくしは彼に投げつけたのか。
刺されるべきはわたくしだった。
わたくしなら彼に刺されても文句を――……そうだ。
「……なぜ、彼女を?」
「なにが?」
「なぜ、お従兄様はわたくしではなく、彼女を傷つけたのですか?」
わたくしに冤罪をかぶせ、わたくしを貶めるため?
それにしては遠回りが過ぎる。
彼は賢い。
彼なら他にもっといくらでも方法があったはずだ。
「まだ、分からないのかね?」
唐突に声をかけられた。
いつの間にかお従兄様の後ろの扉から、ひとりの男性が入ってきていたのだ。
「ようやくお目覚めのようだね、お嬢さん」
「貴方は……」
わたくしはこの人を知っている。
そこにいたのは――。




