15. 真相_1
「熱いので気をつけて」
「ありがとうございます、先生」
お従兄様の美味しいお茶を堪能する。
「味はどう? 薄くない?」
「とても美味しいですわ」
疲労を気遣ってくださっているのだろう。いつもよりわずかばかり甘さが濃い。
事件から10日が経った。アーシアさんは依然予断を許さないようで会えていない。
犯人も捕まっておらず、何も進展はなく、ヒロインが不在だからだろうか、世界は息をひそめたように何も起こらない。
厳戒態勢のまま学校も本日より再開している。とはいっても、流石に登校している生徒はあまりいないのだけれど。
わたくしは今日、違和感の正体についてお従兄様の教員室を訪問していた。
あの時、彼は何か感じなかっただろうかと尋ねるために。
本当は誰かについて来てもらいたかったのだけれど、誰も見つけられず、けれど時間をおいてしまえば手がかりは失われるかもしれないと迷った上での判断だった。
あの時の違和感。
何かがおかしい。それは直感だった。
まだその理由には思い当たらないが、忘れてはならないと告げている。
「それで、今日は何の用かな? 授業で分からないところでもあったとか?」
「いいえ、そうではなくて……」
この、もやもやとしたものを何と説明すればいいのだろう。
どう伝えれば、分かってもらえるだろう。
どうして彼女が襲われたか分からない以上、対策のしようがなく、再び彼女が襲われる可能性がある。
そして、今度こそ命を落としうる危険性すらあるのだ。
早く犯人を見つけなければと心ばかりが焦る。
誰かが呼び出した手紙、わたくしではない犯人。
他にも小さなことかもしれないが、ゲームでは背中に振り下ろされていたものが、今回はお腹を傷つけていた事も気にかかる。
なぜ、わざわざ顔を見られる危険性のある正面から危害を加えたのだろう。怪しい人物と向き合えば警戒されるはず。
彼女が咄嗟に気配に気がついて振り向いた……いいえ、それなら肩に振り下ろされなければおかしいわ。
すれ違いざま……それも違うわよね。
混み合った場所ならともかく、無人の教会で得体のしれない人とぶつかりそうになったら、距離をとるもの。
そもそも寮の一件以来、訪問者は必ず検められる。不審者が侵入すること自体かなり難しい状況だったはず。
それに、最大の問題として、犯人はどうやってあの場所から逃げたの?
入口にはわたくしたちがいたのだ。もちろん混乱していたから、絶対に見逃さなかったとは言い難いけれど。
今考えると、わたくしを騙って部屋が荒らされていたことも関係があるのだろうか。
疑わしいものが多すぎて、それでいて何一つ繋がりがないのだからもどかしい。
それから――、
「ラシア?」
考え事をしている意識をかいくぐってお従兄様の声が届く。さらに窓からは鳥の鳴き声と、放課後の生徒たちのざわめきといくつかの足音が――……足音?
「……まさか……いえ、そういうことなのね」
唐突に私は理解した。
あの時の違和感に。
見過ごしていたものに。
なぜ、私はあの時お従兄様に声をかけられてびっくりしたのか。
……足音がしなかったのだわ。
あの時は考えごとに気をとられていたからだと思っていたけれど、その最中ですら、助けを呼びに駆けていく閣下の音は聞こえていた。
あの場所に立つにはどうしてもホールを通らねばならない。以前、子ウサギのように軽いヒロインであっても床鳴りを避けられなかったというのに、立派な成人男性が静かに通れるはずがないのだ。
だとするなら、答えは1つしかない。
――彼は、ホールを通っていない。
つまり、最初からあの礼拝堂にいたということだわ……。
礼拝堂入口は内側に開くタイプの扉だ。お従兄様ほどの背丈であっても戸口の影に立てば、もしくは何か家具の後ろに隠れていれば、彼女に気をとられていた私たちは気が付けなかっただろう。
そうして頃合いを見て姿を見せれば、疑われずに済む。
単純な密室のトリックとして、推理小説でもよんだことがあった。
それになによりもわたくしは、星花の庭に現れる関係者をゲームで知っているじゃないの!
「……お従兄様よ」
うっかり口にしてしまい、慌てて彼の顔を伺う。
なぜ今まで思いつかなかったのだろう。最初から分かっていても良かったことに。
ゲームの始まり、どうして彼はわたくしが彼女を虐めている時にあの庭に現れたのだろう。それも会場のはずれに。
オーストラ様の場合は、わたくしが余り体調が良くないと耳にしていたので心配でついてきたという理由だったからわかる。
けれど、わたくしを避けていた人がゲームではなぜ姿を見せたのか。
いじめの現場以前に、わたくしの声が聞こえた時点で、踵を返すのが普通ではないのだろうか。
だが、もし、印章を預けに、または引き取りに来ていたと考えるなら、どうだろう。あのまま、わたくしが騒ぎ続けていれば、他の人も集まってくる可能性がある。だから、さっさと問題を解決しようと仲裁に入ったのだとしたら。
それに、再現した夜会でも堂々と言っていたじゃない、違う衣装にして来たって。
――つじつまは合うわ。
もちろん他の可能性だって考えられるのだけれど。
とりあえず、やはり誰かに意見を聞いてみた方がいいのかもしれない。
「ラシア、何か考え込んでいる様子だけど、どうかしたのかな?」
こちらの思惑に気が付いていないのか、彼は相変わらずにこにことしている。
その美しい笑顔が、今はなんとなく怖い。
気のせいであってほしい。
でも、とりあえずこの部屋から、彼から逃げなくてはと思わせる何かがある。
カップを置こうとして手が滑った。茶器からこぼれた茶色の液体がテーブルクロスに染みを作る。
しまった。動揺してしまった。
急いで倒れたカップを戻そうとして、視界が霞んでいるのに気が付く。
おかしい。力がうまく入らない。それに世界が傾いている。
違う。自分が倒れているのだと気が付いたときには、もう遅かった。
笑顔が、ゆっくりと近づいてくる。
ゲームを思い出す。
断罪のイベント。数々の証拠を持ってきたのはお従兄様。画面の向こうでユーラシアは何と言っていたか。
『わたくしはやっていないわ』
記憶は、そこで途切れた。




