14. 建国祭
いよいよ、わたくし最大の難関の日がやってきた。
建国祭、業を煮やしたわたくしが直接的に彼女に危害を加える日だ。
学校も普段の授業はお休みとなり、改めて建国にまつわる歴史やプログラムを各自選択して履修することになっている。1週間、講義を聞き続けるもよし、図書館に通って関連本をあさるもよし。
生徒の自主性に任されている。自由だ。
教会の一時的閉鎖は学校にお願いしたけれどダメだった。校内にあれど礼拝堂は司教の管理下にあり、理由なき閉鎖は宗教弾圧とみなされてしまう可能性があるそうだ。
だからこそアーシアさんには教会にだけは行かないよう、よく言って聞かせた。絶対に、たとえ殿方に逢引きに誘われても行ってはダメよと。
彼女は、そのようなもの絶対に行きませんと真剣な顔をして約束してくれた。
だから、安心していたのに――。
「アーシアさんが出ていらした?!」
「ええ。少し前に、お手紙が届いて、出ていかれましたわ」
待ち合わせ場所に現れない彼女を探して、受けていたはずの講義室を訪れたわたくしにかけられた言葉。
どういうことなの。なぜ、イベントが起こるの。
学校を休むことも考えた。
けれど、手紙のようにわたくしのあずかり知らぬところでユーラシアを騙られてはたまらない。外出していないと証言があっても身内では信憑性が薄れるだろう。溺愛している家の場合は特に。
だから、わたくしは閣下と一緒に『歴史と経済の自然消滅と淘汰について』という全く興味のない講演会に聴衆として参加していたのだ。
もし、何かしら疑惑をかけられてもアリバイを証明してもらえ、そして万が一、わたくしがおかしな行動をした際には力づくで止めてもらえる、これ以上ない人の元に。
アーシアさんとて、同じだった。
人の目があれば危険な目に遭うことなどないだろうと、だから会場から出ないようにと、あれほど約束していたのに、どうして。
いや、今はそのようなことを言っている場合ではない。
イベントが起こってしまったのなら、アーシアさんがいる場所はあそこしかない。
騒ぐわたくしの声を聞きつけて、閣下がやってきた。
「どうした。何かあったのか?」
「デッドリー様、アーシアさんが危険な目に遭っているかもしれません! 教会に行ってまいりますので、万が一のために医師を待機させてください!」
「待て、危険だというのなら、お前が行くのも危ないだろう! おい、待てと言って――」
返事も聞かずわたくしは駆けだす。
悔やまれる。
自分の保身よりも彼女の身の安全をもっと優先すべきだった。
わたくしの意思とは関係なく彼女を害してしまわないようにと距離を置いている場合では、なかった。
負傷させるのがわたくしではないなら、それはどの程度の傷なのだろう。
彼女はこの世界の主役だ。まさか、主役が退場するなど無いとは思うけれど、絶対とは言えない。
「わたくしがすでにストーリーをめちゃくちゃにしてしまったのだもの。何が起こるかわからないわ。ああ、アーシアさん、無事でいて頂戴!!」
走りながら、そう願う。
悪役令嬢以外に、誰が彼女を狙うと言うのだろう。ただの無害な愛らしい少女を。
そもそも部屋を荒らされたことだって、イベントの強制力だと言うなら、それは人の心にまで影響を及ぼすということだろうか。そのようなことが本当に存在するのだろうか。
そうであるのなら、まずわたくしに影響があるべきではないのか。
教会入口にたどり着いたところで、絹を裂くような悲鳴が聞こえる。
「アーシアさん!?」
礼拝堂の方角からだ。やはり彼女はそこにいる。
足音を響かせホールを駆けると、すぐ後ろから閣下が追いついてきた。
「医師はすぐに来るそうだ。さきほどの悲鳴は彼女のものなのか?」
おそらくと返すと、彼も心配そうに礼拝堂に目をやる。
扉にかかっていた鍵は、閣下が念のために持ってきたという剣でノブを壊せば簡単に開いた。
転がるように中に入るわたくしたち。奥には床に倒れ伏した少女がひとり。
心臓が凍り付く。
ここからでも、彼女が抑え込んだ手と身にまとう制服が赤く染まっているのがわかる。
「くそっ。彼女を看ていてくれ。すぐに医者を呼んでくる!」
閣下が入口で踵を返し、急いで出ていく。けたたましい足音が礼拝堂にまで響いて届いた。
「アーシアさん! アーシアさん!」
気を失っているのか、呼びかけにも彼女は応じない。
傷があると思しきお腹の箇所にわたくしのハンカチを当てて、出血を抑える。彼女が低くうめいた。
やはり刺されたようだ。傷はどのくらいの深さなのだろう。
「どうして起こるの……?」
思わず口をついて出た言葉は、みっともないほどに掠れ、震えていた。
わたくしはここにいるのに、本当になぜイベントが進行してしまったの。
これが世界の法則というものなのだろうか。
わたくしの代わりに、誰かが強制的にイベントを起こした? でも、誰が?
ハンカチが少しずつ赤く染まっていく。
ホールを抜けたのだろう。閣下の足音が聞こえなくなった。
静かな教会の床は冷たい。
「せめて暖かいところ……いえ、動かさないほうがいいのよね」
「……ユーラシ……さま……?」
「アーシアさん?! 話してはだめよ!」
「しんぱ……な……わた、し……じ……、……から……だいじ……」
「大事? それがどう……アーシアさん?!」
彼女はごめんなさい、ともう一度小さく呟いて目を閉じた。
慌てて口元に手をやると、完全に意識を失ったらしいが息は続いている。
血も今のところ、追加のハンカチが染まることはなかった。
「これは……いったい何が?」
突然声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
戸口のところで、お従兄様が驚きに目を見張って立っている。
「何やら騒がしいと……ラシアと……そこにいるのはアーシア嬢かい?」
「お従兄様、アーシアさんがお怪我を……今、止血をしているのですけれど、他に何ができますかしら?」
失礼、と彼が近づいてきて、そっとわたくしが抑えていた箇所の布をめくる。
「落ち着いて。血は……止まっているようだから。ただ、動かせば傷口がまた開くかもしれない。このままがよいだろうね」
脈も確かめた後、そう言って、上着を脱いで彼女に掛ける。
「ラシアも、大丈夫? 震えているようだけど……」
事態に心が付いてこられないだけだ。血もすべて彼女のものであり、わたくし自身には傷一つない。
そう説明していると近づいてくる沢山の足音が聞こえてくる。ようやく医師がやってきたらしい。
「よかったね。もう大丈夫だよ」
アーシアさんに、そしてわたくしに安心させるようにお従兄様が声をかけ、わたくしの頭をなでる。
その優しい声に一気に力が抜けた。
よかった……。
駆け寄ってくるみんなの姿に安堵する。
けれど、それと同時に、何か大切なことを見落としているような気がして、心の中がひどくざわついているのをわたくしは感じ取っていた。
面会謝絶。
その札がずっと彼女の病室にかけられている。
「どうして……」
お従兄様は出血は止まっていると言っていたのに。
わたくしも会うことは許されておらず、花を預けるのが精いっぱいだった。
ただ、運ばれたときに医師とわずかに会話ができたそうで、その際に誰に襲われたか話したそうだ。
一瞬のことで、しかもフードを目深にかぶっていたため、顔が見えなかったとのこと。
彼女より背がかなり高く、背格好から男性だと思われるとのこと。
犯人はいまだ逃走中。学校は大変な騒ぎとなった。
ゲームとは違い、わたくしは容疑者にのぼることはなさそうだった。
閣下がその時刻はずっと一緒だったと証言してくださったし、そもそもアーシアさんの証言がある。
とは言っても、彼女がケガをしてしまった時点で喜べるわけがない。
ゲーム通りのイベントとはいえ、わたくしがしたのではないのなら犯人は想像もつかない。
アーシアさんにもやはり心当たりはないようだったと聞く。
ゲームのようなイベントが起こるのに、その起こる理由も結果も意味が分からない。
わたくしが容疑者になりえないのなら、なぜ起こったのか。
犯人はどういう意図をもって彼女を襲ったのか。
同じ疑問がずっとぐるぐると頭の中を回っている。
「やっぱり、わたくしが話をゆがませてしまったからなの……?」
何か見えない力が見えない糸で世界を操っているのだとしたら。
もし、これがゲームの力だというのなら、わたくしはどう動くべきなのだろう。




