13. 夜会
雲で月が隠れ、深い闇に包まれた外とは対照的な、シャンデリアの灯りが煌めく室内。着飾った男女の歓談の笑い声とゆったりとした音楽が広間に響き合う。
わたくしは彼の腕をとり、豪奢な会場へと足を踏み入れた。
「それにしても、驚きましたわ。よもや、デッドリー様にエスコートしていただけるとは思ってもおりませんでした」
「ああ、俺が勝ったからな」
こちらに目を向けることなく微妙に答えになっていないような言葉を彼は返す。
勝つって何に? それがエスコートと何の関係が?
とは思うものの、夜会でも彼の無表情は変わらないまま。この様子では問うたところで教えてもらえそうにはない。
普段はおろしている髪をきっちりと後ろになでつけ、今日はいつも以上に身なりに気を配っているように見えた。黒檀色の詰襟の上着に施されている金の装飾は精緻の一言、胸元には彼の地位を示すようにいくつもの勲章が輝き、黒熊の毛皮をあしらったマントの内側が瞳と同じ、覚めるような赤だ。
「これは、珍しい組み合わせですね」
「確かにエーゲン伯爵の仰る通りですな」
ホール入り口を通り過ぎたところで、入場したわたくしたちを出迎えたのはエーゲン伯爵とオール=ダード侯爵の2人だった。
さっそく発見だわ。
思わず彼に沿えた手に力が入る。
こちらの思惑を知ってか知らずか、侯爵はおもむろにわたくしに目を向けると、
「アストリード嬢、今夜はあの美貌の青年はどうしたのかね?」
「エフューロ様は私用がございまして……」
「ということは、あの噂は本当だったようですね」
「伯爵、噂とは?」
「ご令嬢がエフューロ君と別れるという噂ですよ。彼に愛想が尽きたとか」
「ほぅ、それは……」
もともと大きくはない侯爵の目が意味深げに細まり、わたくしを射抜く。
しまったわ。侯爵からは彼と繋がりを保てという忠告を受けていたのだ。
わたくしは急いで、
「まぁ、心外ですわ!」
口元に手を当て、いかにも驚いた声をあげる。
確かに別れたいのは本当だけれど、お従兄様が彼らの内のどちらかと繋がっているのなら、少なくともわたくしがお従兄様を警戒している様子は見せないほうがいいだろう。
それに周囲の耳目も集めているし、ここでお従兄様の株を下げるのは本意ではない。
実際、いつから夜会が好きになったのかは知らないが、お従兄様は参加できないことを非常に気にしていたみたいだったし、そこは否定しておかねば。
「残念なことに、エフューロ様はどうしてもはずせないご用事がおありらしくて。お忙しい方ですし、わたくしもあと2年で成人いたしますから、淑女としてあまり彼に我が儘を申すのもと思いましたの。そうしましたら、落ち込んでいたわたくしを気遣って、同級生のよしみでブロクラック様にお声がけいただきましたのよ。ただ、それだけのことですわ」
同級生、という言葉を強調する。
ここにいる女は、公爵の憐れみを頂戴しただけである、と。
「そうでしたか。確かに、侯爵家の仕事を学ぶには時間はいくらあっても足りないでしょうからね」
エーゲン伯が得心したとばかりに頷くのをそのまま見送る。
実はわたくしも教わるまで知らなかったことだけれど、お従兄様は我が家の仕事にほとんど携わっていない。お父様や叔父様がヴァルターを警戒し、表面上、入り婿候補に手伝わせているという形を見せているに過ぎないからだ。
「でしたら、宜しければ次からは私にもお声がけください。ご令嬢のお相手でしたら、喜んで務めさせていただきます」
伯爵はそっと私の手を取り、手袋越しに紳士の挨拶をする。
「嬉しいですわ、エーゲン伯爵にそう仰って戴けるだなんて」
わたくしも彼に淑女の微笑みを返す。同じように倣う侯爵にも同様の笑みを。
そうして内心ため息をつく。
駄目ね。当然と言えば当然だけれど、2人とも全然心の内が読めない。
それこそ、何代にも渡って国を裏切ってきた一族だ。そう簡単に看破できるとはこちらも思っていなかったけれど、それにしたって正面から見据えた今でさえ何を考えているのか見当もつかない。
当事者はわたくしも同じ。
ルシェル女公爵にばかり任せておくのもいかがなものかと考え、彼らが揃うと聞き、何かわずかでもつかめればと参加した本日の夜会だったけれど、これでは不発に終わる可能性が高そうだ。
落ち込むわたくしを置いて、3人の話は少しずつ領地のことなど仕事関連に移ってくる。
機を見て、わたくしは彼らからそっと距離をとった。
「少しでもわたくしにできることをしましょう」
気を取り直し、成果を得るべくわたくしは周囲を見回す。
噂話好きの女性はいないだろうか。そこから何か得ることができるかもしれない。
記憶を手繰り寄せては、揃っている顔と見比べる。
暇そうに壁際のテーブルでカナッペをつまんでいる中年女性を目がとらえた。
「あの方なら適任かもしれないわ……――男爵夫人、お会いできてうれしいですわ」
「まぁ、アストリード嬢。何てお美しいのかしら。ええ、わたくしも嬉しいわ」
突然の侯爵令嬢の登場にもごもごと口を言わせながら、あわてて食べ物を呑み込んでいる。
「夫人の今日のお召し物、とても素敵ですわ。わたくし、先日コンコルドに参りましたの。もしかして、そちらの最新のものではございませんこと?」
「あらまぁ、いいえ、そんな良いものではありませんわ。古い、オール=ダードの織物ですわ」
思った通りだ。着飾ることに執念を燃やしていた、かつての自分が初めて報われたと思った瞬間だった。
「まぁ、この布地が、あの有名な? 2度織られる、大変手間のかかる織り方だと伺っておりますわ」
「ええ、ですから丈夫で、お恥ずかしいのですけれど、何度も着用しておりますの」
「恥ずかしいなどと、夫人の白い肌に映えてよくお似合いですもの。わたくしが男爵でしたら夫人を自慢いたしますわ。――そうだわ、わたくしもお次はオール=ダードで頼んでみようかしら」
令嬢の無邪気な発案を耳にした途端、夫人は慌てて声をひそめ、
「お止めになった方がよいですわ。お若い方にはコンコルドのお隣ということであちらの最新のものの方がやはりよく見えるのでしょうね。けれど、エーゲン伯爵がもっと安価で供給できる商会を始めたとかで、最近は、絹より木綿が増えてドレスの質が良くありませんの。それだけではありませんのよ。最近、侯爵のお屋敷から織職人が暇を出されたともっぱらの噂ですのよ!」
「まぁ、わたくし全然存じませんでしたわ」
「中央都にいらっしゃると、なかなかこういうお話は耳に入ってきませんからね。お若い方ならなおさらでしょう」
夫人は話したくてうずうずしていたようで、猫のようにじりじりとにじり寄ってくる。
この様子だと、夫人ならたとえ話題を振らなくてもおしゃべりの機会を逃さなかったかもしれないわね。
わたくしは心の中でぐっと拳を握りしめるにとどめ、ミラー様の忠告を思い出し、扇で口元を隠した。
「夫人、もしよろしければ、不勉強なわたくしめにもっと詳しくお教えいただけます?」
「ユーラシア、こっちだ」
「デッドリー様?! ――お話の途中で失礼いたしますわ、夫人」
侯爵の財政状況が傾いているのはどうやら本当らしい。
あちこちに寄り道する夫人の話を根気良く聞いていたところ、突如彼に手を取られ、隣のホールへと連れ出される。
会話が打ち切られ、情熱的に連れ去られるわたくしを、「まぁっ、若いっていいわね」と夫人の呟きだけが追いかけてきた。
彼はわたくしを壁際まで引っ張ると、視線を遮るようにしてわたくしと先ほどまでいた大ホールの間に立つ。
「どうなさいましたの? 何かございまして?」
「いや、何でもない」
そのようなわけがない。普段動じない彼がこれほどまでに焦っているのだ。
何かあるに決まっている。
背後を隠そうとする彼につかまり、強引に肩越しに覗き込む。
見覚えのある男性が遠くに見えた。
たしか、例の夜会の中庭で見た顔だ。閣下に殴り飛ばされた方の。
まず間違いなく、デッドリー様が急いでこちらの小ホールに移動してきたのはあの男性のためだろう。
でも、どうして?
わざわざ重要人物らとの会話を中断してまで部屋を移らなければならない理由が、あの方にあるとは思えないのだけれど?
しかも、わたくしに見えないようにしてまで――……わたくしに?
「……もしかして、彼を目にしてまた傷ついてしまうのではないかとわたくしを気遣って?」
実際に、無愛想ながらも、心配気にこちらを伺っているのが気配で分かる。
そこまで気にしてもらっていただなんて。
意外な優しさに思わず口元に笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえていると、
「そろそろ、離れてくれ」
彼の低く押し殺した声に我に返る。
背伸びをし肩先につかまり立ちして覗いていたために、思っていたより身を預けてしまっていた。
「失礼いたしました」
危なかったわ。確かに、婚約者でもない男女がこうして身を寄せ合うなど決して良ろしくないことだ。デッドリー様が注意したくなるのも分かる。
上背のある彼のおかげでわたくしが隠れてしまい、今の状態に気が付いた人はいなかったようだけれど、すでに散々なわたくしはともかく、彼がこの気遣いにより良からぬ噂をたてられたのではいい迷惑だろう。
アーシアさんにも申し訳が立たない。
距離をとってから改めて顔を見上げると、まだ彼はわたくしのことが気がかりな様子だった。
「本当に平気なのか?」
「大丈夫ですわ。デッドリー様こそ、わたくしのためにご親戚とあのような関係になってしまって宜しかったのですか?」
元々親族との仲が良くないところに、わたくしのせいで余計にこじれてしまったのでは、とこちらこそ心配になる。
「俺のことなら心配は無用だ。それに奴らも、もうそろそろ人生の苦さを味わってもいい頃合いだ」
まだ人生の入口に立ったばかりの若者とは到底思えない言葉を口にする。
「ですが……」
「無用だと言っただろう――北の地は厳しい。石炭や鉱石などの地下資源は豊富だが、逆に農作物は育ちにくく、そのほとんどは他領から仕入れるほかない。齧る根すらなく、乳の代わりに己の血を啜らせるような時代すらあったのだ。寒い冬を生き抜くには協力し合い、寄り合って生きていくしかなかった。故に、ブロクラックは全てを庇護してきた。何百年も前の、生活水準も低い時代ならば、それは正しかっただろう。だが、時代は変わったにもかかわらず、住む人間の意識は変わらなかった。子どもじみた、親から養われるのが当前で、与えられるのは常に甘い飴であるべきだと考えるような者らが」
苦々し気な視線を遠く、あの男に投げかける。
無理を言って入ってきたのだろうか。ここからでは顔は見えないが、誰かの脚に縋ろうとするのを何人かの兵士に連行されるように男性は連れ出されている。
男性が視界から去ったのを見送って、こちらに向き直り、
「怠惰な猟犬は野良にも劣る。累代の領主はその意識の変革を求めた。だが縁戚の奴らは、むしろ不利益を被ったのだから償いをすべきだと言い出す始末だ。俺の祖父には兄がいて、本来そちらが家を継ぐはずだった。しかし、地位に胡坐をかいたような粗暴な人間で不行跡著しく、本家から遠く離れた家に追放され、結局弟である祖父が後継者に指名された。従祖父はそれを恨んでおり、伏した床から今もせめて孫や息子に継がせようと、縁戚一同と手を組み、虎視眈々と当主の座を狙い続けている。正統という意味では俺に一分の理があるとはいえ、縁戚が結託している状態では俺の地位も安泰とは言えなかった。足をすくわれないよう気を張って生きてきたつもりだが、印章の件はその俺の唯一の汚点であり、致命傷となりえた」
厳しい環境にいたとは思っていたけれど、ここまでとは想像もしていなかった。
当主たらんと常に努力を怠らず、気を緩めず、油断せず、弱みを見せず。
生まれたときからそうやって生きてきただなんて、どれほどに大変なことだったかと思う。
威圧的な、時に無神経とも思える態度にも納得がいった。そこまで気を配っている余裕がないのだろう。
「故に、お前には感謝している。そしてこれからも、お前を泣かせる者を俺が許すことはない」
彼はそこまで言って力を抜くように息を吐いた。
感謝している。
この言葉に如何ばかりの安堵が込められているのか。ようやっと理解できた。
わたくしが拾った印章は、彼の公爵としての立場をすくっただけでなく、彼が今まで努力によって積み上げてきた人生が崩れ去るのも防いだのだ。
私も心からの思いを込めて見つめ返す。
「デッドリー様のお力になれたのでしたら、光栄ですわ」
「そうか。――ところで」
わたくしの顔を覗き込み、彼はフッと表情を少し緩める。
「はい?」
「お前はいつまでここに突っ立っているつもりだ? 俺の過去話を聞くためにいるのではあるまい?」
「え、ええ、もちろんです。忘れておりませんわ!」
内通者に関する情報収集のため――と言おうとして再び手を取られる。
「デッドリー様?」
「どうした? ――踊るぞ」




