12. デッドリー・ブロクラック_2
当日、ほぼすべての人があの日と同じ格好、もしくは準じた衣装でやってきた。
ブロクラック公爵家の指示に逆らえる家などそうそうないのだから、当然のことだろう。
そのような中で唯一、堂々とオール=ダード侯爵だけは前回とは全く異なる服装でやって来たのだ。
オール=ダード侯爵が言うには一度袖を通した服など絶対に着たくないというのがその理由らしい。ならば同じデザインのものを作り直せばとも思うのだけれど、そういうことではないとのこと。
これが、どういうことを意味するのか。
犯人ならば、ここまであからさまなことをしないように思えるけれど、でもそう思わせておいて、さらにその裏をかくということもありうる。考えればきりがない。
わたくしは少し高いところから、会場を眺めている。
特に入念に男性を。
しかし、残念ながらあの日を想起させる人は見つけられなかった。というよりも疑ってしまえば、すべてがそう見えてしまう。
はっきり言って、庭の明かりは遠く、花の近くは暗かったので、自分でも見つけられるとは思っていなかった。しかも、女性に比べて男性は落ち着いた色合いを好み、バリエーションも少ない。よく見たら違いはあれど、遠目からでは誰もかれもが同じ格好に見える。
ときどき、デッドリー様が見つかったかと確認に寄るのだけれど、何度尋ねられても答えは同じ。わからない。
「ラシア」
何度目かにかけられた声に、反射的に分かりませんと答えようとして驚いた。
「お従兄様、どうしてこちらに?!」
彼がそこに立っていた。
装飾のない白いシャツに黒いジャケットの夜会服。
髪は後ろに流して、おそらくこの会場の誰よりもシンプルな恰好だろう。しかし、だからこそ余計に彼の美しさが際立っていた。
今日彼が来るとは思わなかった。そして何よりもわたくしに声をかけるだなんて。
わたくしの驚きをお従兄様は違う意味にとったようで、
「驚かせちゃったかな。ラシアは知らなかったのだろうけれど、僕はあの日、会場にいたんだよ。用事が早く終わってね。間に合いそうだから、君に会いに行ったんだ。すれ違いだったみたいだけれど」
嘘ではないけれども完全に真実でもない話が、よくもまぁ、すらすらと口から出るものだ。
綺麗な笑みをたたえて話すものだから、余計に憎たらしい。
けれど、ラシアはすべてを知らないはずなのだ。
だから、
「そうでしたのね。それは存じませんでしたわ」
笑って返す。
で、何しに来たのよ。わたくしは忙しいの。貴方の相手をしている暇などないのよ。
帰って頂戴、と意思を込めて見やると彼は柔らかく目を細めて、
「ラシア、踊ろう。あの時の償いを今させてくれないかな」
「えっ、ち、ちょっと、お従兄様!」
返事もしていないのに、断るつもりなのに、その前に手をとられ、ホールへ連れ出される。
「お待ちになって、お従兄様。わたくしは踊るつもりは――きゃっ!」
腰をグイと引かれて、思わず悲鳴が漏れた。
近い。誰よりも近い。多分この世で一番きれいな顔が、息がかかるほどの距離にある。
わたくしを、わたくしだけを、じっと見つめている。
今や彼への何もかもが失せたというのに、それでも胸が高鳴る。
緊張で息が乱れる。
「今日も綺麗だよ、ラシア。君がこの会場で一番綺麗だ」
「……あ、ありがとうございます。お従兄様こそ、とても素敵ですわ」
彼の視線をまともに受け止められず、目をそらして言う。
「君と対になるように色を合わせてきたんだ。本当は前と同じものをと指定があったんだけどね。ふふっ、君と僕だけの――」
秘密だよ、と耳に吐息をかけながら囁く。
自分の魅力がどこにあり、それらがどのように作用するのか、全て理解していての行動だ。
振り回されてしまう自分が腹立たしいのに、どうにもならない。
もうそれから席に戻るまでは、ほとんど記憶がない。
美辞麗句を散々告げられた気がするけれど、それよりも緊張で足を踏まないようにするのが精いっぱいだった。ダンスは不得意ではないはずなのに。
ようやく帰ってきた席には、アーシアさんとデッドリー様が待っていた。
わたくしがぐったりしているのを心配して、飲み物まで準備されている。ちゃんとジュースが。
「大丈夫か?!」
「大丈夫ですか?!」
同じ言葉なのに、意味は全く異なるのが面白い。
デッドリー様は、裏切りの一族に何か脅されたのではないか、という心配を。
アーシアさんは、別れたいのに別れてくれないしつこい男に言い寄られたのではないか、という心配を。
それぞれしている。
「ご心配をおかけしました。何もございません。普通の会話でしたわ」
どちらにも通じる返事をわたくしはする。
「素晴らしいダンスでした、思わず見惚れましたよ、ユーラシア嬢」
拍手と共にそのような言葉でもって、穏やかな目をしながらもいかにも頭の切れそうな風貌の男性が現れた。彼はわたくしを見て苦笑する。
「もしよろしければ、私ともダンスをと思いお誘いに参ったのですが……どうやら、お疲れのご様子ですね」
「まぁ、エーゲン伯爵」
エーゲン伯爵は資源の見込めない土地でありながらも、代々多角的な商売で領地を支えて来た凄腕の領主だ。投資家、実業家、起業家、篤志家。いくつもの顔を持っている。
ブロクラック公爵が豊かな資源の領地を基盤に安定して堅実な経営を行うならば、伯爵は常に新しい分野に進出して切り開いていく新進気鋭の辣腕家であり、同じ土俵に立ちながらも2人は全く異なる経営姿勢を見せている。
どちらが良い悪いという話ではなく、相対しながら主に経済でこの国を支えて来た、この国になくてはならない存在だった。まぁ、それを言うなら、7大貴族がみな何かしら国の大元を支えているのだから、どの家が内通者だったとしてもこの国には結構な痛手となるのだけれど。
ダンスの相手を求めてか、彼はわたくしの隣にいる少女に目を移す。
にこやかに微笑み、その手に口づけをし、
「可憐な方ですね……何処かでお会いしましたか、レディ?」
「えっ、あ、あのっ……」
こういうことに慣れておらず戸惑うアーシアさんを、すかさずデッドリー様がフォローする。
「伯爵、そういう口説き文句はパートナーがいない淑女にだけ使っていただきたい。彼女はアーシア嬢です」
「アーシア嬢、これは、大変失礼。いや、お会いしたことはありませんね。これ程の魅力をお持ちなら、覚えていないはずがない――おっと、これ以上は、怒られそうだ。それでは、いつかまたお会いした際には1曲お願いいたします、レディたち」
伯爵は優雅に一礼して去っていく。
その後姿にふと思いだした。
ゲームでも似たようなシーンがあったのだ。
ルートごとに攻略対象それぞれに誘われて参加した舞踏会のイベントの一部で、やはりエーゲン伯爵に一曲いかがですかと声をかけられるというものだ。
一瞬そちらのイベントが起こったのかと思ったけれど、そもそも夜会の再現であるため誘われるまでもなく彼女もまた今回の参加が半ば強制的に決定していたし、今のデッドリー様の言葉もゲームのような嫉妬混じりの牽制ではなく冷静な指摘であり、イベントにあったような甘い雰囲気は一切ない。
まぁ、今日の舞踏会は火サスに関連することで本編では起こりえない催しですもの。関係があるはずがないわよね。
最近、ゲームと離れた出来事に気を取られ、自分が悪役令嬢であることを忘れているときすらあった。
気を引き締めなくてはいけないわ。
改めて自分に喝を入れていると、
「私、あの方を会場で見ました。あの方がエーゲン伯爵様だったのですね」
アーシアさんの納得した声がわたくしを引き戻した。
この世界には写真と言うものがまだない。
だから人があったことのない人物の姿を知るとしたら彫像か姿絵しかなく、名前は知っているが見たことはないというのが当たり前だった。それがたとえ7大貴族であったとしても。
議事堂には21貴族の肖像画が飾られているけれど、議事堂に入るにはそもそも手続きが必要だった。
平民なら特に自分が住んでいる土地の領主の顔を知っていることですら、上々と言っていい。
あの当時の夜会では伯爵は主催者側なのだから、アーシアさんが彼を見たのは何もおかしなことではなく、むしろ7大貴族は全員いたはずだ。
時間が合わず、オール=ダード侯爵とは挨拶できなかったものの、わたくしなぞは侯爵以外の方とは全員顔を合わせている。
あの時の面々が次々に頭に浮かんでくる。
娘に男よりも自分を選んでもらえたため喜色満面のお父様、赤いマントをつけた騎士服の辺境伯、あの時はまだわたくしを警戒しているに留めていたから表面上は親し気だったルシェル女公爵、「ああ」の一言でこちらを向くこともなく挨拶を済ませたデッドリー様、そして星花の庭にたたずむエーゲン伯爵――……。
「……えっ?」
思わず声をあげたわたくしをふたりが訝しんで振り返るけれど、気にしている余裕はなかった。
最後、おかしくはないかしら?
あの日、星花の庭園で伯爵と会った記憶はない。
断言できる。
挨拶はホールでした。
何度も言っているが、明るい所から見て初めて星花と分かったような暗い場所で男性の姿かたちが、ましてや、顔がはっきりとわかる訳がない。
「ここのところ、いろいろなことが重なって忙しかったから疲れているのかもしれないわ」
いくら伯爵が怪しいからって記憶の捏造をするだなんて。
「しっかりしなくちゃ」
自分の記憶すら頼りにできなくなれば、わたくしはこの世界でいったい何を信用すればいいと言うのだろう。
誤字脱字のご報告、ありがとうございます。たいへん助かっております。




