11. 避暑地にて
「もしかして、その声は……ユーラシア嬢?」
呼び声に振り返れば、驚きの目で立っていたのはオーストラ様だった。
わたくしたちを認めると、小走りに駆け寄ってくる。
爽やかなコットンのブラウスは、夏だからだろう。首元に風が入るよう1番上が開いており、そこから細長いリボンが垂れて揺れている。あわせているのは裾に縁取りの入った麻の生成りのズボン。
目立たないよう控えめな装いを狙ったつもりなのだろうが、彼の美しさからそれらが全く意味をなしていなかった。
後ろに控えている護衛と思われる男女2人が、わたくし達に目を留めると少し微笑み、会釈し、距離をとる。
「まぁ、オーストラ様も、こちらにご滞在なさってますの?」
今は、夏季休暇の真っ最中。
アーシアさんを誘って、わたくしは幾つか持っている内の別荘の1つを訪れていた。
避暑地として有名なこの街は、当家以外にも周囲に同じような目的の屋敷がたくさん建っているため、知っている人にいつかは会うだろうとは思っていたけれど。
「うん。僕もこの近くに別荘があって、普段は使わないのだけど……そうか、だからお祖母様が……」
「ルシェル女公が何か? オーストラ様おひとりですの?」
「お祖母様は保守派の会合で中央都に残っているんだ」
オール=ダード侯爵の財政が傾いているらしいとの噂を耳にして、ルシェル女公は情報収集に動いているようだ。
オール=ダード家からそのような噂が出ること自体、珍しかった。
侯爵家は古く、使用人も代々に渡って雇用するなど、あちらは結びつきがたいへん強い。
そこから漏れるとなるともはや口を閉ざしてはいられないほどなのか、それともそれすらも何らかの情報操作によるものなのか。
目に入る、耳に届く、そのすべてを疑わなければならないなんて、どれ程の負担であるか。
信じられるということがどれほど貴重なものなのか、改めて思い知らされる。
デッドリー様が、オーストラ様やミラー様といらっしゃるときだけ表情が和らぐのは、当然のこととも言えよう。
おそらくデッドリー様にとって、笑顔はただの笑顔なのではなくて、多分、信頼――心を許した証なのだろう。
「……だから、僕だけ。この時期は沢山人が集まるから、友人に出会えるかもしれないと聞いていたけど……君に会えて嬉しいよ」
はにかむような笑顔に一瞬めまいがした。王子様の笑顔は破壊力が素晴らしい。
悪役令嬢なのに勘違いしてしまいそうになる。
しっかりするのよ、わたくし! 見知った人に会えて嬉しいというだけのことよ!
「……アーシア嬢も、会えて嬉しいよ」
「……はい、私もです、ルシェル様」
……なにかしら。
今、変な間が空かなかった? わたくしの気のせい?
見れば2人とも大変笑顔なのだから、わたくしの気のせいなのだろう。
「2人は、これからどこかに? もしよかったら、僕も付き合ってかまわないかな。あまりこの街のことは、よく知らなくて……」
その申し出をもちろん了承する。
ヒーローとヒロインの邂逅を邪魔するわけがない。
何なら、いい雰囲気になったところでわたくしは姿を消せばいいのだ。
彼を伴って、わたくし達は街の中心部に行く。
喧噪から少し離れた別荘地とは異なり、観光地も兼ねているため市街地に出れば、伝統と流行を上手に組み合わせたお洒落なお店も多い。シーズンということもあって、どこも活気に満ちあふれている。
それにしても、本当にオーストラ様は外出を控えていたらしい。
何度か訪れていた割には、全くと言っていいほど街を知らなかった。
ずっと、家に引きこもって本ばかり読んでいたから、と恥ずかしそうに彼は告白する。
「あの、先ほどからわたくし達のお買い物ばかりですけれど、オーストラ様は宜しくて?」
「うん。いつも買い物はデッドリーとばかりだったから、こうして他の人と過ごすのが新鮮で楽しいよ」
言葉の通りのようで、紫の瞳が輝いている。
きっと今までは噂から逃げるように人の目を避けて屋敷に閉じこもっていたのだろう。寂しそうな姿が想起され、胸に突き刺さる。
ゲームでは貴族の裏事情を語ることは当然憚られていたから、身分差に躊躇う彼女と価値観を共有するために明かした、孤児院育ちという以外の背景は分からなかった。
ただ、優しい人だと、それだけしか知らなかった。その優しさが、どのように事情を乗り越えて生まれていたかだなんて想像もしていなかった。
「お友達と過ごす時間が楽しいそのお気持ち、よく分かりますわ。わたくしも、アーシアさんと何かを見て回ったりするだけでも十分楽しいんですの」
「ユーラシア様……!!」
アーシアさんがうるんだ瞳でこちらを見上げる。図らずもわたくしの言葉がアーシアさんの胸にも響いたようだ。
彼女もゲームと同じなら、学校では身分故に避けられてしまい、あまりお友達ができないのだ。
「オーストラ様ともこうしてお時間をご一緒できて、わたくし大変うれしいです」
「良かった。じゃあ、もうしばらく一緒に楽しませてもらってもいいかな?」
「ええ、もちろんですわ!」
過去の彼を笑っていたのはわたくしも同じだった。せめてもの罪滅ぼしだ。
アーシアさんと同じく、彼のことも接待しよう!
3人で街を歩き回り、あちこちで一緒に店先の商品を覗き込み、おしゃべりし、1日中笑いあった。
とても楽しい1日を過ごせた。
オーストラ様もそうであったのならよいのだけれど。
「ユーラシア嬢」
青と赤が溶け合い、境界線を染める時刻。
屋敷の前で馬車を降りたわたくしをオーストラ様が引き留めた。
「今日のお礼に」
そう言って取り出したのはベルベットに包まれた小箱だった。
中に鎮座しているのは、品の良い小粒の装飾のネックレス。金色の鎖の先に紫色の石が輝いている。
女公爵へのお土産に宝飾店に寄りたいと言っていたけれど、こういうことだったのね。
「そのような物、いただけませんわ。わたくしもご一緒して楽しませていただきましたもの」
「そう言わないで。どうか、僕の気持ちとして受け取ってほしい。今日は本当に嬉しかったんだ。もちろん、アーシア嬢にも別のものを用意しているから」
穏やかな口調ながらも、オーストラ様は引く気はないようだった。
「……ありがとうございます。オーストラ様の瞳と同じ色ですのね」
「うん。その……まだ、ヴァルターと婚約は解消されていないと聞いているから、僕の贈ったものを身に着けてほしいとは言わないよ。ただ、それを見て、時々今日のことを……僕のことを思い出してくれたら嬉しい」
「お約束いたしますわ」
「……“いづれなる時にも勝る尊きもの 束の間の夢であったとしても 短き旅路に散りゆくとしても 恐れるな 一滴の潤いに虚ろの魂は癒されるだろう”」
「オーストラ様?」
「ああ、ごめん。よく読んでいた本の1節を思い出して……」
なかなかに文学的で難しく、何を言いたいのかさっぱりわからない。
これは、夏休みも勉強を怠るなという啓示かもしれないわね。
わたくしの焦りをよそに、オーストラ様は夕日に染まりながら微笑んだ。
「ありがとう。本当にいい1日だったよ。今日は、よく眠れそうだ」




