10. お従兄様_3
「訊かれなかったから」
簡潔な答えだった。
公爵家から中央都のタウンハウスに帰り、お父様にお従兄様のことを尋ねていた時のこと。
見計らったようにお従兄様が来訪して、わたくしはそのまま彼と過ごすことになってしまった。
忠告の通り、なるべく接点を持たないようにするつもりだったのに……。
だが、屋敷ならばさすがに彼が悪人だとしても何かを仕掛けてくることはないだろう。
どうせばれることだろうし、わたくしは思い切ってなぜヴァルターの生き残りであることを教えてくれなかったのかと問いただした。
その答えが冒頭のセリフである。
「それに、お父上から聞いているものだと思っていたよ」
身上書は提出しているのだから、わざわざ娘に一から説明する必要はないと思っていた。
なるほど。確かにその通りだろう。
お父様が彼の身辺については調べつくしているだろうし。
「ふふっ、“家は関係ありません”だって……初めてだよ、そんなこと言われたの」
お従兄様は美しい面差しに笑みをたたえながら、こちらをじっと見つめて言う。
こ、これは……別れたいと今から言い出しにくい雰囲気。
外見のみを評価した、とてつもなく相手を馬鹿にした言葉であるのに、彼にとっては違う意味に聞こえたらしい。
おまけにお父様が、「しばらくはそのままヴァルター家の人間と関係をつづけ、動きを見張っていた方がいい」とオール=ダード侯爵から忠告を受けたとかで、婚約の解消はさらに遠のいてしまった。
わざわざオール=ダード侯がそう言ってきたということは、お従兄様と侯爵は関係がないということだろうか。それとも、敢えてそう告げることで疑いの目をそらし、同時にお従兄様を使ってうちを監視しようという腹積もりだろうか。
「……さっぱりわからないわ」
前世でも手品は見破れなかったし、推理小説はいつだって犯人を当てられなかった。駆け引きだとか、姦計だとか、裏をかくだとか、そういった類は向いていないのだ。
「僕の母がそちらの血を引くらしくてね。鋼戦争でヴァルターは貴族の称号を剥奪されているし、そもそも父は平民で僕自身も平民として暮らしていたのだけれど、さすがに結婚するのにそれを黙っているわけにもいかず話をしたら、まさか、承諾してもらえるとは思っていなかったよ」
確かにヴァルターなら、正確には今はもう貴族とは呼べない。結婚するには、いずこかの養子にする以外なかったはずだが、裏切りの一族ともなればどの家も二の足を踏むだろう。
わたくし自身も、多分、没落したとかそう言った言葉で勝手に落ちぶれた身分の人なのだろうと決めつけていた。興味がなかった。
詮索しなかったと言えば聞こえがいいが、つまり、彼を歴史があり人生があるひとりの人間ではなく、自分に足るアクセサリーとしか考えていなかったのだ。自分の酷さをあらためて思い知らされる。
「……お従兄様は、婚約を嫌がってらっしゃるのだと思っていましたわ。その、留意されていましたから」
「僕じゃなくて、君のお父上が、だよ。相手が相手なだけに、君の気が変わる可能性に一縷の望みをかけたんだろうね。卒業するまでは婚約を正式に結ぶのは待ってほしいって。まぁ、気持ちはわかるから、僕は受け入れたけれど」
お父様……。
先にお父様と話し合っておくべきだった。そうすれば、もっと事はスムーズに進んでいたかもしれない。
わざわざ養子と言う形をとってまでしてもらったため、言い出しにくく、先に当人同士で話をつけてからと考えたのが間違いだった。
今や身の破滅を避けるためではなく、別の意味で彼を避ける必要が出て来ているのに、一層解消をするのは困難になってしまっている。
ヴァルター家――幼い頃にお父様に一度だけ議事堂に連れて行ってもらったことがあるけれど、鋼戦争のあと議事堂からは肖像画が取り除かれてしまっており、厚い絨毯から見上げて確認できたのはかつて飾られていたであろう壁の跡だけだった。どのような方だったのだろう。
「他にお従兄様のようなヴァルター家の方はいらっしゃいますの?」
「少なくとも僕みたいなのは聞いたことがない。父も母ももういなくなったし、多分、ヴァルター家は誰も残っていないのではないかな。ああ、そうそう。この髪は母譲りでね、たしか、伯父――母の兄が立派な銀色の髪の持ち主だったと聞いているよ」
家族の話はすべて過去形なのね。
もう本当に彼以外にヴァルターの血筋は残っていないらしい。
「お従兄様、この件以外にもうわたくしに伝え忘れていることはございませんの?」
「ないよ」
「本当に?」
彼はわたくしの目をじっと見つめ、言った。
「約束、するよ」




