01. プロローグ_3
念のためヒロインがいないか周囲を伺いながら両親のいる大広間に向かおうとしたところ、途中のホールでは小さな騒ぎが起こっていた。
遠巻きに眺める人々の後ろから覗き見れば、小太りの男が少女の腕をつかみ何かわめいている。
見覚えのあるそのシーンに肝が冷える。
「もう閣下の出会いイベントが始まっていたの!?」
本来の流れとしては、わたくしからお従兄様に救い出された後、今度は子爵に絡まれデッドリー様に助けられるはずなのだが、悪役令嬢がその役割を放棄してしまったためか、イベント開始が本来の時刻よりも早まっているようだ。
デボン子爵の大声は少し離れた場所からでも十分聞こえていた。酔っぱらっただみ声の、品性の欠片もない単語を含ませた言葉が。
ある意味、悪役の鑑のような立ち居振る舞いと言えよう。
若き公爵の登場のために、そしてミラー様のルートではラストに彼女につきまとって撃退されるために。役から逃げ出すわたくしとは違い、彼は立派にお務めを果たしているらしい。
騒ぎに背を向け、去ろうとしたところで今にも泣き出しそうなヒロインの姿が目に入った。
さすがにちょっと心配になってくるほどだ。それに、デッドリー様が騒ぎを聞きつけてやってくる気配がない。
おかしい。ゲームではすぐに颯爽と駆けつけてくれたはずなのに。
「あなた、ブロクラック公爵がどちらにいらっしゃるかご存じ?」
同じように経緯を見守っている給仕係に尋ねれば驚くべき答えが返ってきた。
「帰ったですって!?」
余りにも想定してなかった事態に思っていたよりも大きな声になってしまい、周りの人間がぎょっと振り返る。
「はい。何か急用がお出来になったとかで、先ほどお屋敷にお戻りになられました……」
給仕係は周囲の目を気にしてさらに声を潜める。
どういうことなの? まだ彼女を助けてないのにどうして早退するのよ! 帰りたいのはわたくしの方なのに!
自分だけがこの舞台から降りるはずが、開始早々予定外の展開にパニックになりそうだった。
せめて7大貴族の誰かが、当主が、騒ぎを耳にしてやってきてくれればよいのだけれど、大広間で接待中なのだろう。その様子はない。
お父様に声を……いえ、見つけるのに時間がかかりすぎるし、自国の下位貴族の騒ぎ程度で来賓を待たせて呼びつけるわけにはいかないわ。
公爵以外の攻略対象者、オーストラ様もミラー様もこの場には見当たらない。
「無視よ、無視……わたくしは何も見ていないわ」
ヒロインは随分とおびえた様子で、目の端には今にも零れ落ちそうに涙をたたえている。
関わりたくない、とはいえ、このまま彼女を放置して帰っていいものだろうか。
それこそ、名実ともに悪役令嬢になってしまうのではないだろうか。
もう一度周囲を見回すが、誰一人、身分の低そうな侍女を救おうという気骨のある者はいないようだ。
「……わたくしがやるしかないのね」
わざとヒールを鳴らし、中央に進み出る。
「あらあら、このような場所でお騒ぎになってらっしゃる恥知らずはどなたかしら?」
震えそうになる手を隠し、わたくしは彼女の前に出る。デボン子爵からヒロインを守るように。
顔を近づけなくても、吐き気を催すような濃厚なお酒の匂いが辺りに漂っているのがわかる。
赤ら顔の、目が半分とろけたようになっている中年男性がじろりとこちらをにらみつけてきた。
「フンッ、他人の会話にしゃしゃり出てくるな、小娘が」
「まぁ、アストリードの娘に対してずいぶんな仰り様ですわね」
「どこの家の者だろうと、これは儂とそこの娘の問題だ。ひっこんでいろ!」
名前で察して撤退してくれることを願っていたが、雲行きが怪しい。
侯爵、とは言ってもそれはわたくしの父の話だ。当主ならばともかく、爵位を持っているわけでもない小娘に言われる筋合いはないということだろう。
素面ならば娘溺愛の父に告げ口されるのを恐れていたと思うが、完全に酔っぱらっているようでそちらまで頭が回らないらしい。
普通に話しても通じなさそうな空気。
ええい、仕方がない。こうなったら、ゲームの知識を活用させていただくわ。
彼の耳元に口を寄せ、言葉を注ぐ。
「このようなところで騒ぎを起こしていないで、さっさと荷物をおまとめになったらいかが? 投資詐欺、そろそろ足が付きそうなのではなくて?」
本来はミラー様のルートのラストで彼がヒロインに付きまとう子爵を撃退するための情報だ。
恋愛イベントに関係するならともかく、両想いになってからのおまけみたいな話なので本筋には影響ないだろうとの咄嗟の判断だった。
子爵はしゃっくりのような声を上げ、目に見えて青ざめた。
「な、なぜ、それを……!」
わたくしは扇を広げ、口元を隠す。
「お教えする必要があって?」
さっさとお行き、と目で促せば、今までの態度はどこへやら。子爵は手足をばたつかせて慌てて走り去っていった。
「……な、何とか撃退できたわ……」
吐く息もお酒臭くて気持ち悪かったし、そもそも前世は普通の人だったので心の半分がこういう大舞台になれていない。
心臓がバクバク言って、胃がひっくり返ったような感覚だ。口の中はカラカラに乾いており、切実に飲み物が欲しい。
「アストリード様……!」
背後から可愛らしい声がかかる。
ヒロインがまだ涙をたたえたまま、わたくしを見上げている。
つやつやのお肌にほんのりと赤らんだ頬、うっすらと開かれた瑞々しい果実のような唇。サラサラの髪からは花の蜜のような甘い香りがする。つぶらな瞳は夢見るようにキラキラと輝きうるんでいて、覗き込むだけで吸い込まれそうなほど。この目でじっと見つめられたら、確かに思春期の男の子たちなら、イチコロだろう。
古いながらもドレスからのぞく華奢な体は庇護欲をそそられ、それでいてこの小柄さからは想像できないほど何事にも前向きで、健気で、一途な頑張り屋さんなのだ。
わたくしとは何もかもが違いすぎる。
「ち、ちょっと待っていただけるかしら……」
ちょうど通りがかったお盆の上のグラスをとって一気にあおる。
さぁ、挨拶だけして速攻ずらかるわよと思ったところで、給仕からの慌てた声が聞こえ、景色が歪み、なぜか意識はそこで途切れた。
「――ジュースだと思ったのだけれど、お酒だったようね。未成年だから飲んだことはなかったとはいえ、これほどまでに弱かっただなんて……」
「ユーラシア様?」
「い、いえ、何でもないのよ」
目の前で可愛らしく小首をかしげるヒロインに、ほほほ、と笑ってごまかす。
「――で、何だったかしら? わたくしたちが出会って……」
「ユーラシア様は助けてくださった後、私がドレスに染みをつけてしまっていたのに気が付かれて……」
身分の低さゆえにぶつかられて、嫌がらせにワインをひっかけられた、とは言わないのね。
こういうところがヒロインたる所以なのだろう。
「替えのドレスの提供を申し出、それから、私に涙してくださり……」
だからまぶたがずっと重たいのね。
泣き上戸だったのだわ、わたくし。
「私の気持ちをまるでご存じかのように理解してくださって……」
ええ。ゲームと補足の公式の前日譚で読んで知ってるから。
一人称視点だったから、貴女の心の機微が事細かに書かれていたのよ。
「お屋敷にご招待いただいてからも、「自分の家だと思ってゆっくりなさい。わたくしのことは姉だと思ってかまわないから」とまるで本当の姉妹のように扱ってくださり……」
前世で一人っ子だったから姉妹が欲しかったのよね。しかも今は同い年だけれど、前世の最後の記憶は通勤途中という程度の年齢だったし。
ラシアも一人っ子で寂しがり屋で幼い頃は同じく兄弟姉妹を欲しがっていた。まぁ、今や見る影もないのだけれど……。
いえ、冷静に分析している場合じゃないわ。
真面目にどうしたらいいのかしら。
「つ、つかぬことを伺いますけれど、紳士のどなたかとお会いになって? 穏やかな雰囲気の青年や、赤毛の方に「また会えるかな、子猫ちゃん」など言われなくって?」
「何ですか、そのおかしな人!?」
アーシアさんが途端に青ざめる。
違うのよ。ドレスの染みを気にして調度品の陰に隠れていた貴女を、ミラー様が子猫みたいで可愛いと褒めてくださるのよ。
その時のセリフよ。このセリフだけ抜粋したら、確かにおかしく聞こえるけれど。
「つまり攻りゃ……とにかく、どなたかにお会いしなかった?」
会ったと言ってちょうだい! 攻略対象の名前を出して!
わたくしの願いもむなしく、アーシアさんはにっこりと横に首を振り、
「いいえ。どなたともお会いすることなく、あのドレスで恥をかく前にユーラシア様は私を助け出してくださいました」
「……そ、そう……だったの……」
誰の邪魔をすることもなく、と言っていたのはどこの誰だったか。
初っ端から攻略対象とヒロインの出会いすら妨害しているじゃないの!
酔っていてもさらりと己の役割を果たすとは、さすが悪役令嬢のわたくし。
全然褒めていないわよ。
目の前ではわたくしの胸中など知らないヒロインが、それはもう嬉しそうににこにこと笑っている。
本来は悪役令嬢に向けるはずのない笑顔を。
重いため息がこぼれた。
「これから先が思いやられるわ……」
7大貴族なのに6家しかないのは、のちほど理由が出てきます。