09. side : オーストラ・ルシェル
「でも……」
躊躇う僕に彼女は何度この話題を繰り返すつもりなのだと半ばあきれ顔だった。
「以前、オーストラ様はわたくしの謝罪を受け入れてくださいましたわ。わたくしの謝罪は受け入れますのに、わたくしが貴方の謝罪を受け入れたことは受け入れてくださいませんの?」
「いや、それは」
「でしたら、わたくしは再度過去の所業を謝罪いたします。今後、オーストラ様が受け入れてくださらないのでしたら、そのたびにまずはわたくしが謝罪いたします」
「えっと……わ、わかった。確かに、君の言う通りかもしれない。僕は、僕の謝罪を受け入れた君を受け入れます。……ははっ、ごめん、僕たち何だかおかしなことを言い合っているね」
「ええ、本当に」
そうやって2人で笑い合ったのはつい最近のことだった。あの時の彼女の笑顔が忘れられない。
「――オーストラ」
呼び声に意識が戻った。
今は晩餐の時間。広い食堂にお祖母様と僕の2人きりだ。
お祖母さまは近頃たいそう機嫌がいい。
少し前までの、切羽詰まったような悲壮な雰囲気はもうどこにもない。
「ラシア嬢は、次はいつ遊びにいらっしゃるのかしら?」
音楽を口ずさむように彼女の名を口にする。
僕ですらまだ名前までだというのに、いつの間に愛称で呼ぶ仲に……。
お祖母様は今、ある一人のご令嬢に夢中だった。
それはもう、学校が休みになる都度、彼女を屋敷に招こうとするほど。
いつの間にか、屋敷はいつも花で飾られるようになった。彼女が褒めたから。
お母様も花がお好きだったらしい。だからこそ、屋敷が飾り立てられることはなかったというのに。
人は住んでいても、この屋敷は長い間死んだようだった。明かりが灯されていてもどこか暗く、暖炉に火がくべられていても、いつも寒かった。場所も人も過去に生き、過去に雁字搦めになっていた。
それが今、ようやく春の目覚めを迎えた。
それにしても、お祖母様は忘れてしまわれたのだろうか。彼女を本気で殺そうとしていたことを。
僕が彼女なら、お祖母様にだけは絶対近づかない。お祖母様だけは避ける。
それなのに、彼女もまるで最初からなにもなかったかのようにお祖母様と話をして、笑い合う。僕にも変わらず心から微笑みかけてくれる。
女性とはこういうものなのだろうか。
それとも彼女たちが特別なのか。
また彼女の笑顔を思い浮かべて、うっかり手が滑った。
銀器がぶつかって音を立てる。
「オーストラ!」
すかさずお祖母様から注意が飛んでくる。
僕を早く貴族に慣れさせるためだと今では分かるから気にならないけれど、最初は恐ろしかった。孤児院に帰りたいとベッドの中で、お祖母様の手を取ったことを後悔しながら眠った日も多々あった。
「今の音はいかがなものかしら。――でも、ラシア嬢は気になさらないでしょうね」
以前なら、今の失敗でどれ程の失笑を買うか小言が続いたものだけれど。
思わず笑ってしまった。笑えるほどの余裕が、できた。
「たしかに、彼女は気にしないでしょう。でも他の方はそうではないでしょうから、気を付けます」
「ええ、そうね。――一緒にいるラシア嬢のためにもね」
すかさず付け加えられた言葉にもう一度笑ってしまった。
彼女の言うとおり、多分、ずっとお祖母様も、追い詰められていたのだと思う。責任感と罪悪感に。
今までは恐れて口に出せなかったけれど、その内、母方の実家にも顔を出してみようと思う。きっと、お祖母様は許してくださるだろう。
何なら、彼女と一緒に訪れるのもいいかもしれない。
彼女ならきっとお願いしたら了承してくれるはずだ。
自分の変化にも笑ってしまう。
今まではずっと彼女が怖かった。彼女は本物だったからだ。デッドリーとはまた違う意味で本物の貴族だった。
そう思っていた。だから、近づかなかった。僕の地金を見透かされているような気がしていたから。
僕は何を見て来たのだろう。
僕を庇って彼女が飛び出して来た時、その華奢な体が震えているのが分かった。
当然だ。お祖母様は彼女を殺そうとしているのだから。
僕は撃たれても良かったのに。
この息の詰まるような生活にも、貴族の皮をかぶって生きるのにも、倦み疲れていたから。
それなのに、こんな情けない僕を助けるために彼女は……。
抱き上げたときの、あの軽さに驚かされた。この体で、僕を庇って前に出ただなんて。撃たれて壊れなかったのが不思議なくらいだ。
彼女が運ばれた時のことは今でも昨日のことのように思い出せる。
「すでに血は止まっております。しっかり食べて、血を補えば、お若いですから、傷跡も残らないでしょう」
「ああ、神様、ありがとうございます……!!」
お祖母様が彼女を診察した医師に礼を言い、両親が亡くなってから口にしていなかった主への感謝の祈りをささげる。彼女がケガをしたことを知って駆け付けた彼女の友人のアーシア嬢と、狩猟途中で戻ってきたミラーもほっとした顔をしている。
アーシア嬢はともかく、ミラーも近頃彼女とよく一緒にいるのを見かける。というより、一方的に追いかけまわしているように見えた。
辺境伯が子爵を捕えるのにアストリード卿の助力を得ただけだと思っていたけれど、個人的に仲がいいのだろうか。ユーラシア嬢と――。
あのとき、とっさに浮かんだ言葉にぞっとしたものだ。
「……“いっそ傷跡が残ればよかったのに”」
「オーストラ、何か言って?」
「いいえ、お祖母様」
一瞬だとしても、そんな残酷なことを思ってしまった僕を知っても、君は僕に微笑んでくれるのだろうか。
後編もお楽しみいただければ幸いです。
本来なら、前編はここで切るべきでした。間違えました。
中途半端なところから始まって申し訳ないです。




