09. オーストラ・ルシェル_5
熱にうなされ、意識がもうろうとし、事の原因と顛末についてようやく話ができるようになった頃には事件から10日も経っていた。
「――で、お前があそこにいたのは、どういう了見だ。なぜ、彼女のマントを盗み出してまで、彼女のふりをした?」
相変わらず前置きなど無く、デッドリー様が鷹揚に肘掛椅子に腰かけながらオーストラ様に訊ねた。
猟場に迷い込んだ侯爵令嬢が、徒に手に取った銃を暴発させてしまった――という騒動はありながらも、狩猟大会は何とか無事に終了した。公爵家の屋敷に残っているのも、今や関係者のわたくしとデッドリー様だけだった。
残ると駄々をこねたのを説得して帰ってもらったらしいミラー様からは毎日のようにお見舞いの品が届き、アーシアさんからも決して安くはないというのに手紙が日々届くのにも慰められ、わたくし自身、完全回復にはもう少し時間はかかるものの、すでに最初の頃のような酷い痛みもなくなっていた。若いために傷跡も残らないだろうとの医師の判断もいただいている。
そうしての今日の話し合いだったのだが。
デッドリー様の質問にオーストラ様はしばしの沈黙のあと、
「君にも伝えたよね、僕は、彼女は……アストリード家は内通者ではないと思うって。けれど、復讐に目が曇ったお祖母様は僕の考えをきいてはくださらなかった。だから、ああするしかないと思ったんだ。彼女に何か仕掛けようとしていたのは分かっていた。クジに細工をするよう言いつけていたのを聞いて、それで代わりにと……」
孫の言葉に、ルシェル様は恥じるようにそっと顔を伏せる。
対して、なるほど、とデッドリー様は相槌を打ち納得する様子を見せたけれど、全然なるほどではない。
どういうこと? わたくしが内通者? 何を裏切るというの?
しかも、今の会話から言ってルシェル女公だけでなくデッドリー様もそう思っていたという感じだった。
心当たりが全くないのだけれど!?
わたくしの混乱をよそに話は続き、
「お祖母様に人殺しにはなってもらいたくないし、それに――」
そう言って、オーストラ様はわたくしを見る。
「彼女にも一片の傷もついてほしくなかったから」
そこに別段の意味は含まれていないことは分かっている。
ただ、彼の優しさを示した言葉だった。
「クジを取り換えたことに気が付いたとしても、大丈夫だと思ってた。まさか、君が僕を心配して後を追って飛び出してくるなんて考えてもいなかった。……本当にごめんね」
オーストラ様はもう何度目かもわからない謝罪を口にする。
「君にちゃんと相談して、君とちゃんと話し合うべきだった。僕は、信じるって言っておきながら、全然気づいてなかったんだ、君の優しさに。だから僕がやらなくちゃって。自分が恥ずかしいよ……」
「そのようなことは決してございません。オーストラ様に助けていただいたのは、紛れもない事実ですもの。もう謝罪はおよしになってください」
わたくしとて、彼やアーシアさんが撃たれると分かっていて見過ごすことなどできない。ましてや、それが冤罪によるものだと思われ、しかも加害者に自分の大切な身内がなろうとしているのならば。
重ねて、被害者が地位にあぐらをかいた愚かなお嬢様であったなら、相談はせず自分で何とかしようと思うのが道理である。
「そうだとしても、なにも己を盾にせずとも……」
呆れたように呟くデッドリー様の声に恐る恐る手を挙げる。
「よろしいでしょうか。なぜ、わが家とわたくしをお疑いに? 内通者とはどういう意味でしょう?」
その質問に答えたのは、ずっと黙っていたルシェル女公だった。
今は落ち着いていて、わたくしを見る目はただ少女にケガを負わせてしまったという自責の念に駆られているひとりの女性だった。
いつものように静かだけれど、紡がれる声は憔悴のせいかかすれている。
「貴女は、印章を持っていたでしょう」
「印章?」
「それに裏切り者の一族を――ヴァルター家の生き残りを婚約者に据えているわ」
耳を疑う言葉が飛び出した。
「ま、待ってください……お従兄様が、ヴァルター家の人間?」
疑問を呈したわたくしに、驚きの声を上げたのはデッドリー様だった。
半分椅子から腰を浮かし、身を乗り出すようにして、
「まさか、知らなかったのか!?」
「ええ……その、婚約者に指名した時に家名は伺っておりませんでしたの」
「聞いていない?!」
更に呆れたような声が挙がる。
「その、わたくし、血筋は気にしておりませんでしたので……」
顔しか見ていなかったとはさすがに言えず、最後は蚊の啼くような声になってしまった。
デッドリー様は、本当にこのような人間が世に存在しているのかとでも言いたげな驚愕の目でわたくしを見つめている。
お願いだからその目はやめてほしい。大馬鹿者なのは自分でもわかっているから。
「あの、ヴァルター家の血筋は途絶えたと聞いておりましたが……」
「ええ、評議会がすべてを取り戻したときには「報復を恐れ全員逃げ出してここにはいない」と言われたそうよ。権利があちらにある以上、無理やり屋敷を捜索することもできず、表向きは失踪、と言うことになっているわ」
侵略の際、領主自ら門を開けたのを見たという証言も出たため、隣国に迎えられて逃げ延びたという噂もあったけれど、大半の見立てが一族は使い捨てられ全員死亡したというものだった。
まさか、生き残りがいただなんて。
それにしてもと、当時のことを思い出す。
お父様が焦り、お従兄様の背景を説明しようとするはずだ。顔がいいからと聞く耳を持たなかったけれど。
今まで彼と別れることにばかり気がいって、彼がどこのどういった人物かなどそういうことにまで注視していなかった。
「極め付きにあなたは、オーストラの過去を知っていたわ。再会するまであの子がどのような場所におり、どのように暮らしていたかだなんてあたくしにもわからなかったのに。知っているのはあの子が捨てられた場所を知り、以降も見張っていた者だけだと思ったの。だから、貴女を、アストリード家を……」
閣下は恥じ入るように肩を震わせる。
それを見やってから、デッドリー様は懐疑的な冷たい目をわたくしに向けた。
「――逆に俺も訊きたい。お前はなぜオーストラの過去を知っていたのだ?」
「そ、それは……」
「思い出したんだけど、僕、うっかり彼女の前で一度だけ昔のことを口にしてしまったことがあるんだ。忘れてくれてたらと願っていたんだけど、そうじゃなかったみたい」
オーストラ様がわたくしを庇うように言葉を重ねてくる。
当然ながら嘘である。しかし、任せてとこちらに向ける笑顔が語っていた。
デッドリー様がオーストラ様をじっと見つめる。嘘か真か見極めようとするかのように。
対して、オーストラ様も彼から目をそらさなかった。
「……人騒がせな」
目を伏せて、デッドリー様が呆れの言葉を吐く。
少なくとも今のところ、彼の言うことを信じることにしたようだ。わたくしの言葉なら絶対に信じようとしなかっただろうけれど。
「ええと、大まかには理解できたのですけれど、まだいろいろと分からないことが……印章とはなんですか――いえ、印章と言う言葉は知っております。そうではなくて、わたくしが持っていたとは?」
デッドリー様が無言で書棚から辞書を引きぬき手渡そうとしてきたのを押しやって、わたくしは見回す。
彼は本を戻した後、椅子には座らずそのまま棚にもたれかかり、
「――評議会主催の舞踏会での話だ。会場でお前がオーストラに渡しただろう」
「……あの、欠片のことですの?」
もしや星花の下、土の中にあったのを掘り返した、例のものを言っているのだろうか。
「その様子だと本当に知らなかったらしいな。そうだ。あれはうちが保管していた印章だった」
「ブロクラック家の印章? で、ですが、公爵家のものとはだいぶと見た目が異なっていたような……」
一瞬のことだったし、陰影は鏡文字だから絶対にとは言えないけれど。
「当家のものではない。そういう意味でなら、ヴァルター家のものだ」
ますます意味が分からない。なぜヴァルター家のものがブロクラック家に保管されているのか。
そもそも、もう没落してなくなった家の印章を厳重に保管する理由とは?
理解しようにもどこからどう説明を求めればよいものか。
慌てふためくばかりのわたくしを前に、ルシェル女公がゆっくりと声を発した。
「最初から説明しましょう。コンコルドはご存じ?」
「ええ。隣国に貸与されている租借地ですよね」
「そう。すべての始まりであり、今も残る昔の戦争の大きな傷ね。元ヴァルター領コンコルド、主権こそこちらにあるけれど、自治権、あの土地から上がる収益はすべて隣国のもの。租借料は金貨300枚。肥沃な資源と立地に恵まれた場所から見れば安すぎるくらいだわ。取り戻すのは連邦の悲願の1つだった。それがようやく期限を迎えようとしていた。やっとこの国に戻ってくるはずだったのが、その協定に必要な印章の4つの内の1つがブロクラック家から盗まれてしまったの。隣国に買収された親族によってね」
閣下の言葉にデッドリー様が顔をしかめる。
「そもそも印章がどうして複数の家にまたがってあるのですか?」
「我々は互いに誰をも信用していないからよ。ヴァルターはもともと4つの小領主の自治領だったために、4枚の印を組み合わせて使っていたの。あたくしたちはその印章をそれぞれが持つことで、抜け駆けできないよう、互いを見張っていたの。鋼戦争時、ヴァルター以外にも裏切り者がいたであろうと睨んでいた。それも上の者にね。上位でなければ知りえない情報を敵が知っていたから。ただ、その相手が分からない。4家も互いを疑い、ゆえにこういう手段をとったの」
デッドリー様が言葉を引き継ぐ。
「貸借終了の協定がなければ、さらに100年の延長がなされる。それだけは絶対に避けなければならない。経済的な利点ともう1つ、誰もが口には出さないが、もし再び侵略戦争がはじまるとしたら、ここからだろうからな。兵力を隠して集められていても、俺たちには知るすべがない。隣国も今や属国の反乱や独立戦争で国力を減らしつつあるため、こちらに兵を割くことはまずできないだろう。それでもコンコルドが本当に返ってくるまで油断はできん。だからこそ即座に俺は裏切った親族を突き止め、捕縛したが、すでに他の者の手に渡っていたらしく取り戻すことはかなわないまま自害されてしまった。盗んだ印の行方を白状させる前に」
「どうなったのですか?」
「後から分かったことだが、印はある夜会で隣国の手に渡るはずだったようだ。評議会主催の舞踏会という場所で。国内外の主要な者たちが一堂に会する場ならば、監視の目も分散すると思ったのだろう。よりにもよって我々の目の前で、奴らは堂々と狼藉を働こうとしたわけだ。だが、奴らにとって想定外の事が起こった。国外に引き渡されるはずの印が、さらに何者かによって盗まれたのだ」
「それはつまり……」
今度はデッドリー様のあとをオーストラ様が引き継ぐ。
「君だよ。君が見つけて僕に渡してくれた後、僕はすぐにデッドリーに返したんだ」
あの晩、デッドリー様がヒロインを助ける前に火急の用で帰宅したのを思い出した。
ひとりだけ帰ったわねと憤ったけれど、結局のところわたくしが原因だったのね……。
「印影は少し異なるけれど、屋敷で似たようなものを見たことがあったし、上級評議会で彼の家の印章が盗まれたことは公表されていたからね。君が持っているのを見た時は驚いたよ」
あの時の彼の驚き具合にやっと納得がいった。
盗まれた印章をこっそり取りに来た隣国側の人間だと思われたのね。
確かにあっさり渡されて驚愕するはずだ。
それにしても、印章は当然知っているし、わたくしも家のを使ったことはあるが、まさか土の中にそのようなもの、その一部が埋められているなどとは誰が考えようか。
しかも他家の、それこそ血が絶えた――正確にはお従兄様が残っているのだけれど――貴族の紋章の一部などわかる訳がない。いや、もしかしたら知って当然だったのかもしれないけれど、テスト範囲外の知識にはまだ追いつけていないのが実情だった。
お父様だって議会で問題になっているなら、せめて領主の娘として情報を共有してくれればいいものを。
と思ったけれど、婚約者を顔で決め、政治や世事には関心のない娘だ。わたくしが父親でも、下手に話して何か起こされるくらいなら黙っているだろう。
「コンコルドを皆は約束された未来だと思っているのかもしれないけれど、あたくしたちにとっては重荷でしかなかったのよ。あたくしはこの所為で、実の息子と義理の娘を失い、孫まで失いかけたのだから」
そうだ。
銃を構えていた時も、閣下は散々そのことを口にしていた。
この暴走の、怒りの原動力はそこに由来していたように思えた。
「いったい、過去に何があったのですか?」
わたくしの問いにオーストラ様がわずかに下を向いた。悲しそうな顔で。
閣下は重い口を開く。
「――……昔、オーストラが誘拐されたときに、交換条件を持ち出されたの。ヴァルターの印章と引き換え、とのね。あたくしは断ったわ。これはいずれ連邦に繁栄をもたらすもの。恒久の安寧と他所に奪われ続けた甘き恵みを取り戻すためにも決して奪われてはならないもの。でも、息子たちはそうじゃなかった。息子は子どもを取り戻そうとひとりで誘拐犯を追いかけ、逆に殺されてしまった。息子の細君は断ったあたくしに怒り狂い、なじり、そして亡くなった夫と永遠に帰ってこない自分の子どもを想い続けてとうとう心を病んでしまったの。最後には、自分で命を絶ってしまったわ――彼女のご実家はそんなあたくしを許せなかったのね。あなたたちも会ったことがあるはずよ」
その言葉に、仮面舞踏会で話しかけてきた男性のことが思い浮かぶ。
女公爵へ吐いた呪詛の言葉。
あの方がもしかして……。それに、閣下はわたくしたちが会話していたことに本当は気づいていたのね。
わたくしの考えを肯定するように閣下は黙ってうなずいた。
「あたくしが今までどのような思いで生きて来たか……。ブロクラック家の印章が盗まれたと聞いたとき、目の前が真っ暗になったわ。あたくしの選択は、息子たちの死は、何だったのかしらって。返ってきたと聞いたときは安堵したけれど、やはり裏切り者はまだ諦めていないということが分かって怒りがこみあげて来たわ。今度こそ、カタをつけなくてはと思ったの。2人の無念を晴らすべきだと。この手であたくしが引導を渡すべきだと……そして怒りに我を忘れて見誤り、あのように愚かなことをしでかしてしまった……。子を失ったあたくしと同じ思いを味わわせてやるべきだなんて……貴女とアストリード家には謝っても謝り切れない罪を……」
とうとう堪えきれなくなり、閣下は震えながら顔を覆いすすり泣く。
改めて、今までの苦しみと悲しみと怒り、さらに間違ったことへの恥と罪悪感、全てに苛まれているのだろう。そして、内通者を見つけられなかった無力感に。
「閣下……」
もちろん、もう少し確かめてからにしてほしかったとは思うのだけれど、毎日毎日、自分を責め続け、決して忘れぬよう怒りに身を置いていたとするなら、相当の苦しみであっただろう。オーストラ様が見つかるまでは特に。
それに、閣下が大切に想いながらも、オーストラ様と距離をとるはずだ。
オーストラ様はとてもご両親に似ている。孫を愛しく思いながらも、彼の顔をみる度に取り戻せないものを思い知らされ苦しかったのだと今ならわかる。
閣下を責める気にはなれない。
疑惑も元をたどれば、わたくし自身のうかつさから出たものであるのだし。
それに打算的なことを付け加えると、真実が明るみになった場合、絶対にお父様はルシェル女公を許さないだろう。
内通者という共通の敵が存在している今、領主は対立すべきではない。
傷は治る。
わたくしは生きている。
ええ、大丈夫だわ。
ルシェル女公だって、これ以上何かを背負う必要はない。
「閣下、お父様とお母様に説明いたしました通りですわ。わたくしの勝手な行動で銃が暴発したのです。それ以上でも以下でもございません。どうか、ご自分をお責めにならないでください」
「アストリード嬢……」
閣下は涙にぬれながらわたくしを抱きしめる。わたくしも思いを込めて抱きしめ返す。
亡くなった人たちを悼むように誰もが口を開かず、しばらくそうやって時が過ぎ、やがて落ち着いた頃、まだ質問していなかったことを尋ねた。
「疑われた理由に関してはお伺いしましたが、逆に、わたくしはどうして疑いが晴れたのでしょう?」
「それは、オレが説明しました」
明るい声が入口からかかる。
そこには、オレンジの髪の溌剌とした青年が立っていた。




