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09. オーストラ・ルシェル_4

整備されていた屋敷近くとは異なり、奥に進めば人の手はほとんど入っていない。だからこそ茂る藪のおかげで地面が途切れていることに気が付かず、ヒロインは落ちかけるのだけれど。


木々が互いに触れあうように枝を広げ、さすがに馬では難しいと徒歩で向かって少し。


お目当ての場所が見えて来た。


「…………いたわ!」


長く足元まで覆われたマントを身に着け、崖に立つ人が見える。


よかった。まだ落ちてはいないようだ。


胸をなでおろした瞬間、デッドリー様に手近な茂みの陰に引きずり込まれた。抗議の声をあげようとした口をふさがれる。


「あれは……ルシェル女公か?」


顎で指し示す先、オーストラ様のことしか頭になかったから、言われて初めて気が付いた。


その手前、なぜか彼に向かって猟銃を向けている人の姿があった。


「一体何がどうなっている?」


デッドリー様が声を潜めわたくしに訊ねるが、わたくしとてこういった場面は想定していなかった。


彼の言葉の通り、こちらに背を向け銃を手にしている人はルシェル女公爵だろう。


そして、フードの陰で顔はよく見えないけれど、相対しているのはおそらくオーストラ様のはず。しかし、彼が纏っている外套には見覚えがあった。


なぜわたくしのマントをオーストラ様が持っているの?


それに、なぜこのような場所で閣下はオーストラ様に銃を向けているの?


わたくしたちの目の前で相手に向かい、ルシェル女公が憎々し気に言葉を吐き捨てる。


「よくも抜け抜けとあたくしの前に顔を出せたものね、ユーラシア・アストリード!」


えっ?!


聞き違いかしら。今、わたくしの名前を言ったような。


ルシェル女公は再び唾を吐くようにわたくしの名を口にする。


「ヴァルターと手を組み、あたくしの孫にまた近づくとは!!」


鋼戦争にて領地を守り切れず没落した一族、ヴァルターの名前がなぜ出てくるのか。そしてそれがわたくしと何の関係があるのだろう。


それに、「また」とはどういう意味だろう。


何もかもが分からない。


とりあえずわたくしと思っている人物は間違いであること、それから閣下がなにか誤解をしていることを説明しなくては。


動こうとしたわたくしをデッドリー様が引き留める。


彼は静かに横に首を振る。


「今、お前が出ていけば確実にルシェル女公に撃たれるぞ」


「で、ですが……」


問答をしている間に空気はますます緊迫したものへと変わっていく。


今や声をかけたら、その瞬間に引き金に掛かった指が動いてしまうのではと思えるほどだった。


誰もが動けない。


オーストラ様もなぜ誤解を解こうとしないのか。


声を発するか、フードをとって顔を見せればすぐに人違いだと分かってもらえるはずなのに。


「もう2度と奪わせるものですか。あたくしは、あの子たちの墓に誓ったのよ、お前たちを決して許しはしないと!!」


閣下が狙いを定める。


「奪われる前に、あたくしが終わらせてやるわ!!」


あまりの気迫に息を呑む。憎悪の込められた声に思わず体が震えた。


まさか、本当に撃つつもりじゃないわよね。


彼女に狙われる覚えもないが、わたくしと間違えられてオーストラ様が撃たれるだなんてそれこそあってはならない。


目の前で力を込めるあまりに彼女の指が痙攣しているのが分かる。


いけない。閣下は本気なのだわ!


「閣下、わたくしはこちらです!!」


叫ぶと同時に勝手に体が動いていた。


頭で考えていたら、銃を前にして飛び出すだなんてできなかっただろう。


慌てて腕を引くデッドリー様を振り払い、藪から飛び出る。


「そちらはわたくしではありません。撃てば後悔なさいますわ」


彼女はわたくしを見て驚きを見せたものの、すぐに銃口をこちらに向け直した。


照準は合わせたまま、目だけを一瞬マントに包まれている彼に動かし、合点がいったというように、


「見下げ果てた女ね、身代わりを使うだなんて。侍女? それともわざわざこの為に奴隷でも買ってきたのかしら?」


「たとえ閣下といえども、今のはわたくしと、我が家に対する侮辱です。撤回してください」


「お前が、あたくしにそのような口がきけて? あたくしに息子と義理の娘を殺させた、お前たちに!!」


それは絶叫に近かった。


だめだわ。


何かの間違いではないかと、話をすれば何とかなるのではないかとも思ったけれど、怒りに我を忘れていて全く言葉が通じない。


銃を向けられるなんて前世も含めて生まれて初めてのことだ。怖くて、声を振り絞るので精いっぱいだった。その声も自分でも滑稽なほどに震えている。


それでも、ゆっくりと閣下に忍び寄っていくデッドリー様が視界の隅に見え、わたくしは何とか勇気を奮い起こす。


「……さ、先ほどから、わたくしは閣下が何を仰っているのか分かりかねます」


「どこまでもあたくしたちを馬鹿にするというのね!!」


「お祖母様、やめてください!」


フードを外し、オーストラ様が彼女に呼びかける。


先ほどまで銃を向けていたのが自分の孫であったことに、初めて閣下が動揺を見せた。


「……な、なぜ、オーストラが……?」


「どうか、僕の話を聞いてください!」


しかし、彼女は我に返るとすぐに銃を構え直し、


「お前の話はあとにして頂戴。今は、お前の両親の仇をとらなくてはいけないのよ!」


「閣下、まずわたくしに説明を――」


「おだまりなさい!!」


デッドリー様とオーストラ様のひどく焦った声が聞こえ、銃声が辺りに響く。


衝撃と同時にばちんと何か熱いものではじかれたような感覚が腕を襲う。


気が付けば、わたくしはオーストラ様に覆われるような形で地面に倒れていた。


多分、少しでもオーストラ様が遅れていたらわたくしは撃たれていただろう。そして、少しでもずれていたら、銃弾はオーストラ様の身体ごと貫通したはずだ。


「どうして、ここに来たんだ!」


珍しくも怒った顔のオーストラ様。


彼は赤く染まってゆくわたくしの腕に気が付いて、目を見開いた。


「あぁ、何てこと……」


かすれた声とともに向こうで音がする。


振り返れば、デッドリー様がまだ熱く煙をあげたままの銃を閣下から取り上げていた。


一方、孫も一緒に撃ちかけた女公爵の動転はオーストラ様以上で、今やその顔は白を通り越して真っ青だ。


「あ、あたくしは……息子や娘だけでなく孫まで殺すところだったなんて……」


デッドリー様がもう撃てないようにと銃から部品を取り外し、投げ捨てる。


それからわたくしのところに足早にやってきた。


無言で腕を持ち上げられ悲鳴が漏れる。


激しく痛い。


多分、弾がかすめたのだと思う。それだけでもこれほど痛いだなんて。


まともに当たっていたら、どれ程の苦しみだっただろう。


熱くて、どくどくと心臓の鼓動が頭の中に響いている感じだ。


デッドリー様が腕の部分のドレスを引き裂き、ケガの具合を確認する。


「撃ち抜かれてはいないが、全くの軽傷とも言いがたいな。止血するぞ」


懐から取り出したハンカチで傷の上部をきつく縛られ、我慢できずに再び悲鳴がこぼれた。


歯をくいしばって耐えるつもりだったのに。


わたくしの様子に彼は渋い顔をし、オーストラ様を見据える。


「……どういうことか、後で説明してもらうぞ」


「わかってる」


「ルシェル女公、歩けますか? 彼女をすぐに手当てしなくてはいけません。屋敷に戻りましょう」


呆けたような虚ろなルシェル女公の言葉がそれに続く。


先ほどまでの悪鬼のような姿はもうどこにもない。焦点のあっていない目でわたくしを見つめ、


「手当……そうね、そうしなくては……」


よろよろと立ち上がる。


わたくしも立ち上がろうとすると、


「つらかったら言ってね」


返事をする前にわたくしの身体が宙に浮く。


気が付けばオーストラ様に抱き上げられていた。


ルシェル女公を支え、デッドリー様がまず先行する。ところどころ枝を払いながら歩いているのは、後に続くわたくしたちを気遣ってのことだろう。


「怪我をしているのは腕ですから、歩くことには支障ございませんわ」


そう訴えるのだが、オーストラ様は穏やかに微笑みながらも絶対にわたくしを降ろそうとはしない。


デッドリー様やミラー様に比べると華奢で頼りなげな印象なのに、やはりひとりの男性。その足取りは確かでわたくしを抱える腕も力強い。


悪役令嬢が攻略対象にこのように親切にしてもらえるだなんて、もう今後の人生において絶対にないだろう。


そのような状況ではないというのに、余りにも整った顔が近くにあり、思わずじっくりと観察してしまった。


美しく輝く金色の髪は森の中に差す一条の陽光のようで、風にふんわりとこぼれるさまがとても優雅だ。その光をすかす紫の水晶に降る長いまつげ。


横顔に見る、高すぎることも低すぎることもない形の良い鼻と、上品な唇、そして白磁のすべらかな肌。


流石、プレイヤーから「王子」と呼ばれるだけのことはある。


これ程の距離で見ても欠点が見当たらないわ……。


余りにもまじまじと見つめてしまったからだろうか。


彼がこちらの視線に気が付き、ごく近い距離で目が合った。


焦るわたくしに、


「ごめんね。君にけがを負わせてしまうだなんて。もっと考えるべきだった」


「わ、わたくしが勝手に飛び出したのですから、オーストラ様のせいではございませんわ。オーストラ様こそ、お怪我はございませんこと?」


「……こういう時でも、君は人の心配をするんだね。大丈夫だよ、君のおかげで僕は傷一つない」


紫の瞳が揺れ、奇麗な顔が歪む。彼のほうが泣きそうな顔をしている。


何と声をかけていいか分からず、何を言っても謝られてしまうような気がして、ただ遠くに目をやる。


ヒロインもそういえば似たような状況になったわねとぼんやり思い出した。


まぁ、彼女の場合は足首をひねったことによるものだから当然であるし、今のようにどこまでも重苦しい空気ではなく、恋愛ゲームらしい、ひたすら甘いシーンではあったけれど。


愛らしい性格と存在をねたまれ怪我をしてしまうヒロインに、それを助けに来たヒーロー。一方のわたくしは、わけの分からぬまま誤解で撃たれて同情で運んでもらっている。


ヒロインと悪役令嬢の格差というものを実感しながら部屋まで運ばれる間、当然ながら周囲の注目をひどく浴びることになった。


血にまみれたドレスにぎょっとしながらも、それでも彼に抱えあげられているわたくしを見て大変羨ましそうにしているご令嬢たちが非常に印象的だった。


ベッドに寝かされるころには腕の熱さは全身に広がっており、傷があるのは腕なのに、まるで痛みの根が張り巡らされたようにつま先から頭までひどく痛む。


薬を与えられ、ようやくそれが効いて、わたくしは気を失うように眠りについた。

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