09. オーストラ・ルシェル_1
豪奢な会場できらびやかな明かりの下を、沢山の着飾った獣たちがくるくると回っている。
ここは、ルシェル公爵家がもつ公爵領内の舞踏会会場の1つ。
明日使われる会場背後にある森は、特にシーズンには狩猟地としても大変評判が良い。
会場内一面の緑の絨毯に同色の覆いは森を表しているのだろうか。天井からは雲を模した白布が吊り下げられ、テーブルには青々とした枝のリースや春の花々があしらわれている。
さすが21貴族のナンバー2。
ルシェル公爵家主催の舞踏会もまた、評議会の催しに負けない見事なものだ。
明日の狩猟大会への前哨戦として本日の参加者は皆、動物の仮面をつけている。
わたくしは黒い猫の、アーシアさんはピンク色の兎のものを。ドレスもそれぞれをイメージしたものとなっており、わたくしは髪で耳の形に三角の小さな山が作られ、首元には鈴、後側には尻尾に似せたリボンもついている。アーシアさんは耳を模したツインテールで、可愛さが爆発していた。
他の参加者はと言えば、たとえばルシェル女公は白い鷹で、オーストラ様は同じデザインの色違い、デッドリー様は公爵家の紋章と同様の黒い猟犬、ミラー様は赤い獅子だった。男性陣は仮装にあまり積極的ではなく、仮面と服装の色を合わせるに留めているようだ。
狩猟は普通、秋冬がシーズンで、ゲームでもこのイベントはそれに合わせたものだった。
が、今は春。
本来のものがわたくしの行動が影響してスライドしたのか、ゲームとは関係のない単なる催しなのかは今のところ不明だが、どちらにしろ、気を抜かないほうがいい事だけは確かである。
「獅子様はダンスもお上手ですのね」
「でしょ」
「確かに、様々な女性と踊られるのでしたら、いろいろと習得しておいた方がよいですものね」
「過去のオレ!! ていうかさ、なんでダンスは2回踊っちゃいけないわけ?!」
「以前、チャンスは平等にあるべきだと仰っていたではありませんの」
「またしても過去のオレ!! いい、子猫ちゃん、変な男に絡まれたらすぐにオレを呼ぶこと!」
「公爵家の夜会でそのよう不届きな方、いらっしゃるわけがございませんわ」
「いいから、はい、復唱!」
「……困った殿方がいらっしゃいましたら、獅子様をお呼びします」
「よろしい!」
何度も念を押してから、ミラー様はやっと離れていく。
待っている女性が一斉に彼に押しかけた。
仮面舞踏会は相手の身分を気にしなくともよいので、女性も普段より積極的なようだ。
可愛さの権化となったアーシアさんも次々にダンスを申し込まれている。それらをのんびり眺めていると、黄色い鷹がわたくしにそっと近づいてきた。
「美しい黒猫様、どうぞよろしければ、僕とも1曲お相手を願えますか」
「ええ、麗しい鷹様、よろこんで」
手を取ってフロアに出るわたくしたち。
彼の手が腰に回り、体を添わせ、やがて流れでた曲に合わせてわたくしの黒い尾とオーストラ様の黄色い片翼のマントが舞う。
蝋燭の明かりを金色の髪がはじき、キラキラと輝いて本当に王子様のようだ。
ダンスをしている人たちですら、目の前のパートナーを差し置いて彼に讃嘆のまなざしを注いでいる。
少し難しいステップも彼は問題なくこなしていく。
やっぱりダンスもお上手だわ。
上手に踊れるだけでなく、ちゃんとパートナーを気遣った動きができている。人の合間を縫って、わたくしが動きやすい場所へとさりげなく誘導してくれる。
たかだか数年で身に着けたとは到底思えない。
器用な方ではあるけれども、それでも一切の努力なしに成しうるわけがない。
そのようなことも分からず――否、知る知らないに関係なく、人を笑うだなんて、本当に過去の自分の浅ましさが悔やまれる。
「今宵はいかがですか?」
「楽しんでおりますわ。お招き、ありがとうございます」
「それならよかった。前はこういう時は張り切っているように思えたけれど、今日は随分と静かだから」
すでに十分過去を後悔しているというのに、さらに会場の男の視線は全て自分が集めて当然だと思っていた黒歴史を、今、思い出させないでほしい。
「レ、レディというものはあっという間に大人になりますの」
「これは失礼。……ねぇ、君が前に言ったこと、覚えてる?」
「どのようなことでしょう」
「平民が犠牲になるのを止めたいって……。近頃、ミラーと仲がいいよね。子爵が捕まったって聞いたけど、君も手伝ったんだよね」
「少しですわ」
「ごめんね。実は僕、あの会話のときはまだ君のこと疑っていたんだ。話したのは全部じゃなくて、ミラーに後から情報を提供したんだ」
それは知らなかった。ミラー様も何も言わなかったし。
だとしても、オーストラ様の対応はごく当たり前のものだ。
わたくしは典型的なご令嬢であった。
彼が謝る必要すらない。
ダンスが終わり、そう伝えると、やがて彼は何かを決意したように、
「ありがとう。やっぱり、君はいい人だね。――僕は決めたよ。もしもの時は、君を選ぶよ」
「はい? あの、今のお言葉はどういう……」
「君が、ルシェル女公爵の孫かね?」
会話を遮るようにして、突然、ひとりの中年男性が話しかけてきた。
仮面でよくは分からないが、全体的な雰囲気から年のころは50前後といった具合だろうか。
ただ、かろうじて見える額のしわに年齢以上の悲哀と苦悩を感じとれた。
「はい」
仮面舞踏会で身元を特定しようとするのは無粋ではなくて、と伝えかけたところに真面目な彼が返事をしてしまった。
背筋を伸ばすオーストラ様を、男性は何とも形容しがたい目で見つめ、
「……そうか。ならば君に忠告しておこう。女公爵には気を許すな。あの女は人の命より金を選ぶ女だ――すでに2人も殺しているのだからな」
余りにも華やかな会場とかけ離れた言葉に反応が遅れた。
「あの、それはいったい……」
尋ね返すも男性は答えることなく踵を返し、一瞬にして獣の群れに紛れてしまう。
「どういう意味かしら? ルシェル女公が何か事件を起こしただなんて聞いたこともありませんし、あの方の勘違いではないのかしら?」
「そう、だね……」
「ルシェル様?」
仮面で顔は分からないが、声色から彼に動揺が見える。
突拍子もない言葉だったのに、馬鹿なことをと一笑に付さないその様子に逆に不思議に思う。
もしかして、何か心当たりでもあるのだろうか。
そもそも、いったい誰なのだろう。
会場入りしているということは、ルシェル女公が許可した貴族であるのは間違いないのだろう。
ただ仮面をしていなかったとしても、あの男性の名前が分かったかは疑問だった。
侵略戦争とその後の領地を取り戻した鋼戦争で貴族の勢力図は大きく変化した。領地を守り切れず責任を問われ没落した者がいる一方で、守り切った者、英雄となり貴族になりあがった者たちがいる。
わが家も守り切った家の一つで、特にそれを機に盤石の地位を築いた。
改革派による積極的な推進により、最近は爵位を買い取り貴族の仲間入りをする者もおり、血に何のいわれも歴史もない貴族も増えた。
学校かこういった場でしか交流のないわたくしには、面識のない者のほうが多いほどだ。
「気になさらないほうがよろしいかと思いますわ」
「うん、そうだね……ありがとう……」
社交界には様々な噂がある。
もちろん、その中には口さがないものも存在する――たとえば、現ルシェル女公爵がオーストラ様を誘拐された際に要求されたお金を払いたくないと拒否し、結果、彼が見つかるまでに多大な時間がかかった、とか。それに逆らって支払いを行おうとした前公爵夫妻は、まるで謀られたように相次いで亡くなった、とか。
くだらない話だ。
公爵領は資源に恵まれ、莫大な資産を持っている。多額を要求されたところで大した痛手ではないし、逆に払うのを拒む額というのなら、まず間違いなく国が買えるほどのものだろう。そもそも取引が成立したとして、金貨と馬車の世界でそのようなもの、どうやって持ち帰ると言うのか。
それに、女公爵が彼を見つめる目は本物だ。
彼を愛している。
もちろん、多少ぎこちなくはあるけれど、その点とていずれ時間が解決するし、何ならヒロインが間を取り持ってくれるはずだ。
「2人とも、どうかしたのかしら?」
困惑しているわたくしたちに、当人が声をかけてきた。
上品と言う文字が人の姿をとれば、こうなるであろうという方だった。
銀にも見える豊かな白髪を結い上げ、白いレースのひだ飾りが控えめに配置されたシックなドレスを身に着けた老齢の女性。
ある程度の年齢を感じさせるしわが仮面の下には刻まれてはいるものの、それを彼女は知性と落ち着きという魅力に変えていた。オーストラ様より少し淡い色の瞳が余計にその雰囲気を際立たせている。
オーストラ様のことがあったからだろうか、ゲームでも身分の低いヒロインに対しても分け隔てなく公平に接してくれる穏やかな方という印象だった。
ルシェル女公はどうやら先ほどの男性には気が付かなかったらしい。
オーストラ様は少し考えて、
「いいえ、なんでもありません。お祖母様」
口元に笑みをたたえる。
彼が話さないと決めたのなら、わたくしが告げ口するわけにもいかないだろう。
「あまりの人の多さに2人で圧倒されておりましたの」
彼に合わせ、わたくしも適当なことを言う。
「あらあら、謙虚な黒猫様だこと。これから若い淑女は会場の華となるのだから、もっと胸を張ってらっしゃい。自分こそが今日の主役である、という気持ちを持つくらいでいいのよ。ああ、ほら。あの方たちのように堂々と」
おっとりとした口調の彼女が示すほうにはミラー様ともうひとり、男性がいた。
仮面をしていても分かる。
デッドリー様だ。
顔を半分覆っていてもその魅力は隠しきれないようで、会場の女性たちの視線が彼らに注がれていた。ミラー様はともかく、デッドリー様は仮面の下で女性の視線を不愉快に思っているのは間違いなく、仕草からして不機嫌そうだった。
彼もまた、女性からそうとう声をかけられたに違いない。
ミラー様とは異なり、いつものごとくダンスはすべて断っていそうだけれど。
彼はめったに踊らないので有名だった。いつぞや、何処かの王女様に誘われたのすら断ろうとして周囲を騒然とさせたぐらいだ。
だからこそ、ヒロインとのダンスシーンが映えるとも言える。
「鷹様のお2人は、明日の狩猟に参加なさるのですか?」
「ええ、あたくしはね。狩りは得意なの」
おっとりとした口調とは裏腹の言葉でもって、閣下は微笑む。
「――それに、銃の腕が衰えないように練習しておかないと。いつ何時、何が起こるか分からないでしょう?」
微笑みながら口にした彼女の最後の言葉は、遠い日のここにはもういない誰かに向けて言ったように思えた。




