04. ミラー・マイエン_6
後日、未亡人との話し合いにわたくしも参加することとなった。
正直、子爵はまだしも家族間の問題に立ち入るのは気が引けたけれど、わたくしも来てほしいと伝える彼の拳が必死に震えを隠していたのが見えてしまったから。
辺境伯家のお屋敷に到着した時にはすでに2人は揃っていて、応接室には重苦しい沈黙が漂っていた。
背の高いゆったりとしたひじ掛け椅子に座っているのは、ぽってりとした唇に色気を添えるほくろをもった女性。
ゲームではミラー様を通してしかその存在を知りえなかったから、お顔をちゃんと拝見したのは初めてだった。
妙齢の、30歳手前くらいと言ったところだろうか。
まだ十分に若いものの、こわばった表情と醸し出す悲壮な雰囲気が彼女を更に年上に思わせている。
もうご当主が亡くなられてから何年もたつというのに、依然として黒に身を包み、彼女は喪に服していた。
向かい合う形で座るミラー様の隣に案内されて腰かける。
わたくしを合図に、彼が天を仰ぐように閉じていた目を開いた。
大きく息を吸い、意を決して口を開く。
「……単刀直入に言うよ。10日前、義姉さんがどこにいたのか教えて」
「そんなに前のこと覚えていないわ」
落ち着いた彼の声に対して、紡がれる声は緊張のせいか少しかすれており、やや物憂げだった。
「昼過ぎに出かけたそうだね。どこに行ったの?」
「ごめんなさい、覚えていないの」
「夕方、義姉さんを見かけたよ。ある場所で。わざわざ古い馬車に乗って、変な恰好をしていたよね」
「ミラー、それは私ではないわ。きっと見間違えたのよ」
「オレが義姉さんを見間違えると思う?」
「……あると、思うわ」
その言葉にミラー様はぐっと唇をかみしめた。
まだ声を荒げてはいないが、今の一言で彼の感情が大きく揺さぶられたのが伝わってくる。
「子爵がどれだけのことをしていたか、知ってる?」
「伯父が何かしていたとしたら、申し訳ないと思うわ」
「……力のない者を騙して財産を巻き上げるんだ。無一文なら子どもを売れと言われた家もあったらしい」
「…………」
「酷いよね。義姉さんはそれを聞いても何も思わないの? 幼い病気の娘を助けたいだけの女性を騙して法定外の利息で借りさせ、返済が滞れば体で返せと言い放つ男を庇うの?」
「…………」
「兄貴がいたら、何て言うかな……」
その言葉に、今まで微動だにしなかった彼女が動揺したのが分かった。
「ミラー、ねえ、2人で話をしましょう……?」
夫人がちらりとわたくしを見、ミラー様に向かって微笑みかける。
ただしその顔は血の気を失っており、唇は震えていた。
わたくしは居ないほうが話は進むのかもしれない。
「ここにいて!」
退出しようと立ち上がりかけたわたくしを引き留めたのは、彼の声だった。
尋ねているのはミラー様のはずなのに、まるで彼の方が追い詰められているかのような。
彼はじっとお義姉様を見つめたままで、動かない。
懇願するように未亡人が改めて促すものの、彼は同意せず、横手でつかんでいるわたくしの手首に力を籠めた。
痛いと悲鳴を上げそうになるほどの力の強さ。
まるで彼の心の声のようだった。
返事の代わりに、あいているもう一方の手でそっとその腕に触れる。
安心して。ここにいるから、と。
座り直したわたくしの気配を感じてか、彼がゆっくりと息を吐く。手から、徐々に力が抜けていく。
「……わかった。本当に知らないと言うのなら、兄貴の名前にかけて誓ってほしい」
「私の言うことを信じてくれないの?」
「信じるよ、兄貴の墓の前で、今と同じ言葉を口にしてくれたら」
お兄様の名に彼女はうつむく。
返ってくるものはなく、ただ静けさが部屋を包み、いつまでも続くのではないかと思われた頃、ようやく夫人が声を発した。
「ごめんなさい。私、貴方たちを騙していたの……」
ミラー様の肩がびくりと震え、やがて力なく落ちる。
「どうして、子爵のいうことを? 金が欲しかったのならオレに――」
「お金が欲しいのではないわ!!」
甲高い声で彼の言葉を遮る。
顔を手で覆い、絞り出すように、
「……脅されていたの、伯父に。ずっと」
思ってもいなかった言葉だった。
黙っているつもりだったわたくしもさすがに、
「どういうことですの?」
「わ、私、本当は――……子どもを産めない体なの。幼い頃の熱病の影響らしくて……。彼が後継者として子どもを望んでいたのは知っていたわ。必要なことも。でも、言えなくって……」
顔を上げた未亡人の面は痛々しく涙にぬれていた。
義理の弟に、初対面のわたくしという他人に、子を産めないと告白するのはどれほどの勇気を必要としたことだろう。
この国ではルシェル女公爵のように女性でも領主になれる。
平等とはいかないまでも、ある程度の権利は認められている。
それでも、貴族の女性に一番に求められる役割は次の世代を産み育てることだ。
不妊は十分離縁の原因として認められてしまうのだ。
「ですが、なぜ、今も……ご存命の時ならまだしも、ご逝去されても子爵との関係を終わらせなかったのですか?」
「……この家を追い出されたくなかったの。彼を忘れたくなかった。それなのに、すこしずつ彼との記憶が薄れていくのが怖くて。彼の思い出がここにはたくさん残っているから……」
涙で声が詰まり、後は言葉にならないようだった。
部屋に夫人の嗚咽が響く。
ミラー様はどう声をかけていいのか、分からないようだった。
わたくしから手を放し、彼女に触れようとし、その手を引きあげる。
男性が慰めるには難しい問題なのだろう。
だから、彼の代わりに彼女を抱きしめた。
震える夫人は幼子のように頼りなく、儚げだった。
「状況は理解いたしましたわ。おつらい話を打ち明けてくださって、ありがとうござます。わたくしが申すのも何ですけれど、お2人に、ご家族に、改めてお伝えすべきですわ。ミラー様は貴女様の味方ですし、現ご当主もきっと悪いようにはなさいませんわ」
肩越しに振り返ると、ミラー様は今の言葉を肯定するように頷いていた。
「おつらかったでしょう。今までよくぞ、あの子爵に耐えていらっしゃいました。もう、よろしいんですのよ」
彼女は声をあげて泣き出す。
もう何も言わなくていいのだと声をかけても、しゃくりあげながら、今までのこと――子爵の罪も含めて包み隠さず話し出した。
長い間誰にも明かせなかったものを、ひとりで抱えて来た重荷を下ろすように。
黙っていたことも、子爵の手伝いをしたことも問題だ。
でも多分、彼女はご当主が今も生きていらしたら、ちゃんと打ち明けていたと思う。
話す前に亡くなられたからこそ、これほどまでに罪悪感に苛まれ続けていたのだろう。
彼女自身はもう十分に罰を受けている。これ以上苦しむ必要はない。
それだけは、わたくしにもわかる。
だから、アーシアさん、ごめんなさいとわたくしは心の中でヒロインに謝罪する。
わたくし、貴女の邪魔はしないと言ったけれど、撤回するわ。
わたくしのこと嫌いになってもいいわ。
わたくしはミラー様を呼び、そっとその背を押す。
彼を励ますように。
そしてできるだけ邪魔にならぬよう彼らと距離をとる。
彼がわたくしを見る。
わたくしの顔と、それから指の跡が赤く残っているわたくしの手を。
振り切るように前を向き、夫人の足元に跪き、何かを告げた。
彼の言葉に彼女は涙にぬれた顔をあげて一瞬ためらい、縋るような表情を見せ、やがて静かにかぶりを振った。
「私、彼を愛しているの。今も本当に愛しているの。それだけは嘘じゃないわ……だから、ごめんなさい、ミラー。あなたの願いは受け入れられない」




