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04. ミラー・マイエン_5

「本当にお部屋にいらっしゃるのかしら……」


力を込めて扉を叩く。叩き続ける。


学校が終わってから直行したため、まだ誰も帰ってきていない。


今なら多少騒いだところで問題はないと見越してのことだった。


いつまでも諦めない騒々しい音にわずかに扉が開かれ、やっと本人が顔を出した。


酷い顔だ。


かき回したように髪はぼさぼさで、よく眠れていないのだろう、目の下には黒いクマが浮き上がっている。


彼はわたくしを見てしばらく固まった後、


「ここ……男子寮だよ!?」


「それが何か?」


何でもないように答えたけれど、実は男子寮の管理人に少々心づけを握らせて通してもらっている。


普段なら絶対に無理だと思う。


しかし、あの一件以来、ミラー様は学校に顔を見せず、屋敷にも帰っていないそうで寮を訪ねたところ、そもそも部屋から出てこないということで管理人も心配しての特別措置だった。


扉が閉まろうとするのをそうはさせじと足を差し入れて、妨害する。


「部屋に入れていただくまで絶対に帰りませんわ」


扉に張り付くわたくしに呆れたように彼はため息をつき、ようやく大きく開いてくれた。


入ることができた部屋の中は薄暗く、惨憺たるありさまだった。


使用人も入れていないのだろう。空気は淀んでおり、物があちこちに散乱し、机の上にはうっすらと埃が積もっている。


ベッドの上のくしゃくしゃのシーツが、彼がずっとそこにいたことを示していた。


「わたくしの伝言、お聞きになりまして?」


返事もけだるそうに首を横に振った。


「例のこと、マイエン夫人にお尋ねしましたの?」


さらに首を振る。


分かっていたことだけれど。


わたくしのもの問いたげな視線に彼は、


「だって、もし子爵の手伝いを本当にしていたら?! あの優しい義姉さんは嘘だったとしたら?! 兄貴のこともオレのことも騙していたとしたら?!」


矢継ぎ早に問うてくる。


憧れの女性が悪事に加担していたことはもちろん、お義姉様が自分と何より大切なお兄様を裏切っていたことが一番ショックだったのだろう。


彼が子爵の罪を暴けたのは、伯父の味方をする義姉が何も知らない善良な女性だと思っていたからこそだった。


彼は多分、悪い親族から彼女を守るヒーローになったつもりだったのだろう。


途中からむしろ彼の方が積極的だったのもそれが理由なのだと今なら分かる。


しかし、あの人目を忍ぶような恰好、古い馬車、大量の貨幣、何も知らされずに彼女がただ行動していたとはとうてい思えない。


たとえ何か理由があってのことだとしても、悪事を知っていて、それどころか関わっていて、だからこそ叔父を庇っていたという事実は彼を完全に打ちのめしたのだ。


「落ち着いてくださいませ。とにかく、お聞きしなければ解決しませんでしょう?」


「嫌だ。知りたくない」


「目を背ければ、現実がなかったことになるとでも仰りたいご様子ですわね。このまま黙っていれば、状況が変わるとでも? ご当主から問題を任されたのではなくて?」


わたくしだって目をつむれば悪役令嬢でなくなるのであればそうしたい。


だが、そうではないのだから、行動するしかない。


彼はあるじとして、いずれ領民を導いていく立場になる。


否。もし、彼がこのままひきこもるのならば、確実に継承権は他に移るだろう。


国境地を預かる領主に甘えは許されないのだから。


それだけは何としても避けなくてはいけない。


「うるさいな! 知りたくないって言ってるだろうッ!!」


「ミラー様……」


「ごめん。ほんと余裕ないから、帰って……」


彼はうつろに笑う。


打ちひしがれた様が胸に痛い。


そして、それを前にただ立ち尽くすことしかできない自分自身が歯がゆくてならない。


これが、ヒロインと悪役令嬢の違いなのだろう。


彼女がいないということが、これほど影響するとは……。


しかも、今のこの何もかもはすべてわたくしのせいなのだ。


「ごめんなさい……」


「どうしてキミが謝るの?」


「わたくしのせいですもの。わたくしが最初に余計な口出しをしてしまったから……」


報われない想いを引きずる彼を癒し、包み込む。


本来なら、そのようなヒロインを心の支えとすることで乗り越えるはずの問題を、わたくしによって無理やり直面させられている。


申し訳ないという思いでいっぱいだった。


今からでもヒロインを、と迷ったこともあったが、自分の不始末を彼女に肩代わりさせるのも、その為に2人をお膳立てするのも間違っている気がする。


彼を支えて、問題解決のお手伝いをする。


何としてもそこまでは、わたくしがしなくては。


改めて自分に気合を入れる。


「もしかしたら、お義姉様も何かお困りかもしれませんわ」


気休めを言うつもりはない。


安易な希望的観測が外れた場合、傷つくのは彼だから。


ただ、お金を受け取る際、マイエン夫人に嬉々とした印象はなかった。少なくとも積極的に加担している様子は感じられなかった。


それに彼がこれほどまでに慕っている女性だ。悪い人ではないはず。


どうか、そうであってほしい。


「でしたら、どなたがあの方を助けられますの? ミラー様しかいらっしゃいませんわ」


膝をつき、彼と目線を合わせた。


彼が飛び退る。


「な、何ッ?! なんで、そんな寄ってくんの!」


「いえ、泣かせてしまったのではないかと……涙は出てらっしゃらないようですわね。安心いたしました」


「オレ、男の子なんだけど?」


「紳士であっても涙を見せてはいけないという決まりはございません」


彼をこれ以上傷つけないよう、できるだけ静かに、穏やかに、優しい声を心掛ける。


「お手伝いさせていただくと申し上げましたでしょう。何なりと申してくださいませ。もし、不安なことがありますのなら、すべてお聞きしますわ。ミラー様はしっかりしてらっしゃいますけれど、おつらいときは我慢せず、どうぞ仰ってください」


人の身体は大きなものを急には呑み込めない。


心も同じ。


かみ砕く時間が、必要だ。


最終的にはヒロインに癒してもらえるだろうが、その間の時間はせめてわたくしが稼がなくては。


「……キミ、ほんとにラシアちゃん?」


「失礼なことを仰いますわね。わたくし程の美人がこの世に2人とおりまして?」


彼は笑う。


「たしかに、ラシアちゃんだ」


「少しはお元気になられたようですわね。ああ、そうでしたわ。あの被害者の方のお子様は、無事に手術も終わり快方に向かっているそうです」


「……会いに行ったの?」


「ええ。その後が心配でしたから。お手紙もあずかってきておりますわ。貴方にです」


たどたどしい、習ったばかりの文字が連なった手紙を彼に渡す。


呑み込みの早い子で、字を教えたらすぐに真似して書けるようになった。


あの子は賢い。元気になったら、母親を支えて立派に生きていけるだろう。


そう。


始めてしまったけれど、悪いことばかりじゃない。


だって、物語の終わりで捕まえるよりは被害は少なくて済むのだから。


ミラー様は手紙を読んで、膝の間に顔をうずめる。


「……オレ、自分のことしか考えてなかった」


「お身内の問題が絡んでおりますもの。仕方がありませんわ」


「……キミがいてくれてよかった」


「わたくしはお手伝いさせていただいただけです」


「……ほんとに……よかった」


そう呟いた後は、鼻をすするような音に変わる。


多分、今までの反省とこれからの出来事に立ち向かう勇気を心にためているのだと思う。


頑張って。あなたならできるわ。


口には出さず、わたくしはただそれが縁に溢れるほどになるのを静かに待ちつづけた。

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