炭の上で懺悔
ファウストはハーマン・ベルングストムを車から引きずり出して、外へ突き飛ばした。
そこがどこだか分かると、ベルングストムは顔を蒼くした。
そこはサーカスが襲撃された空き地だった。
警察はサーカスの焼け跡に立ち入り禁止の札を立てなかったし、ろくに現場検証もしなかった。襲撃者のなかに警官が混じっていたからだ。
「ハーマン・ベルングストムくん。記憶力がその後の人生を大きく左右する瞬間というものがある。きみにとっては今がその瞬間だ。この際、きみが昵懇にしている警察署長は忘れよう。ブリックスなんてケチな町も忘れよう。スウェーデンの陰気な小説も忘れよう。そして、思い出すんだ。きみたちが大好きな白いシーツとその白いシーツ集団のなかで一人だけ赤いシーツをかぶってたやつの名前。それにそいつがこのキャンプから奪ったエメラルドのこと。全部思い出すんだ。これは入試試験や教員採用試験と同じくらい真剣にやらないといけない。落第したら、この場でその脳みそを吹っ飛ばす」
ファウストがリヴォルヴァーの銃口を額に突きつけると、ベルングストムはぺらぺらしゃべった。
赤いシーツの男はウォーリーヴィルのライナー・ポーター。グランド・ドラゴンであの日の襲撃の総司令官だった。自分はただ集まりがあると言われて、ここに来ただけで、まさかあんなことをするとは思わなかった。全部、ウォーリーヴィルのクランたちの仕業だ。自分は誰も傷つけなかった。母親の墓に誓ってもいい。
「――だそうだ。ジャン。きみから言いたいことがあるんじゃないか?」
ジャンはもう外に出ていた。
風が吹いて、かぶっていたハンチングが脱げると、ベルングストムはジャンを見て、震え出した。
「おれを覚えているか? それとも印象に残らなかったか? たくさん殺し過ぎて、見分けがつかないか? あの日、お前らはおれたちを撃った。まるで動物でも追い回すみたいに。お前が道化師のフィルを撃ち殺すのも見ていたし、ナディアを捕まえたのも見ていたし、ナディアがお前の銃を奪い取ったのも見ていたし、ナディアが――彼女がお前らにレイプされるくらいならと自分で死を選んだのも見ていた。彼女は死んだんだ。わかるか? お前の銃で死んだんだ」
「待ってくれ! そんなつもりはなかった、本当だ!」
昨夜の虐殺者は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして命乞いをした。
「頼む、殺さないでくれ! 妻と娘がいるんだ! だから、頼む。お願いだ! もう、二度とあんなことはしない。クランからも脱退する。わ、わたしは悪党なんかじゃないんだ。わたしは文学者なんだ!」
ファウストがリヴォルヴァーをジャンに渡した。
ジャンはその銃口でベルングストムの額につけ、撃鉄を上げた。
「頼む、殺さないでくれ! 何でもする、何でもするから!」
泣きじゃくりジャンの足にすがりつく男を銃の狙い越しに見下ろしながら、人のなかで変わらないものはあるのだろうかと考える。
喝采から殺戮へ。殺戮から命乞いへ。
変わった先にあるものは世界を汚し続ける。
その汚れを嫌うなら人差し指一本を動かせばいい。
でも、ナディア、きみは――。
ジャンは銃を下げ、ファウストに渡した。
「撃鉄を戻せない。すまないが、元に戻してくれ」
「ん、殺さないの?」
「ああ」
「まあ、復讐の主人公はきみだ。僕じゃない。好きにするがいいさ」
命が助かったと分かると、ベルングストムはまるで空っぽだったと思った銀行口座に大金が振り込まれていたのを眼にしたような顔をし、そのうち、這いつくばって、ジャンの靴にキスをし始めた。
ジャンはそれを軽蔑の視線とともに蹴り外した。
「クランを抜けろ。ここで死んだ仲間のために祈れ」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
「気が変わらないうちにとっとと失せろ」
ベルングストムは立ち上がり、体のどこかが固まってしまったみたいな不自然な揺れ方をしながら、走り去った。
ファウストは遠のいていくベルングストムの背中が木立へと消えていくのを見ながら言った。
「あれは間違いなく、クソを漏らしたね。人はクソを漏らすとああいうふうに走る。あいつはきみを見た瞬間から漏らしていたけど、気づいたかい?」
「いや」
「その様子だと今の自分の顔も分からないみたいだね」
「どういうことだ?」
「車のミラーを覗いてごらん」
丸いドア・ミラーに移ったのは、髪から睫毛まで真っ白になった少年だった。銃弾が肉をえぐった右眉の上に包帯を巻き、包帯のあいだから白い髪がはみ出している。
表情は想像していたよりもずっと険しい。もともと柔和だったわけではないが、あの事件が起こる前の顔ではなかった。
そんな思いを他所にファウストは口笛で『ダラー・プリンセス』を吹きながら、クランクを自動車に差して、エンジンをかけ始めた。
エリスが外に立ったまま、じっとサーカスの焼け跡を見ている。
「ん? どうかした?」
「……忘れ物をした」
「え? どこに?」
エリスは焼け跡を指差した。
「じゃあ、取りに行っておいで。帰ってくるまで待ってるからさ」
エリスはコクリとうなずいた。
漏らしたクソが下着からあふれ、太腿を伝い落ちる不快な感触。
ハーマン・ベルングストムの心を占めたのは命拾いしたことへの喜びでもなければ、生活を改めようとする清新な決意でもない。
ただの復讐だった。
やつらが先にウォーリーヴィルへ行く前にグランド・ドラゴンに伝えないといけない。そして、やつらはエメラルドのことも言っていた。事はグランド・ウィザードまで報告が上がるだろう。
あいつら、ただじゃおかない。
ブリックスの名士である自分にこんな無様な思いをさせたあの三人を生きたまま燃える十字架にくくりつけてやる。
だが、今はこの不快なクソをどこかで洗い流さないといけない。
ベルングストムは小川を見つけると、ズボンもズボン下も脱いで、汚れを川の水で洗い流そうとした。
すっかりとはいかないが、変な歩き方はしないで済むほどに片づくと、ずぶ濡れのズボンをはいた。舌で前歯のあった場所に触れると、むき出しになった神経に触れ、痛みで涙が出た。前歯は全部なくなっていた。前歯のない顔ほど威厳のないものはない。しゃべり方も舌足らずみたいになる。
あのジプシーの生き残りの顔に蹴りをぶち込むのを楽しみにして、しばらくは生きていくしかない。
水面を蹴飛ばした。何度も。気が済むまで。
そして、振り返ると、そこにはさっきの三人の一人――東洋系の少女が立っていた。
ベルングストムの背筋に弱気の寒気が走った。少女の顔には表情らしいものも感情の切れ端もない。道端の石ころを見るような目でこっちを見ている。
「な、何か用ですか、あの――」
おっかなびっくりにたずねると、少女が後ろに手をまわした。
か細い背中から大ぶりのボウイナイフが現れた。クランの仲間が持っているのと同じ、分厚く切っ先が反った大きなナイフだ。
周囲一キロには誰もいない。
少女の意図を知った瞬間、ベルングストムは慌てて口を開いた。
「待て。待って――」
ナイフが閃く。
ベルングストムが最期に感じたのは喉を切り裂く刃の冷たさだった。