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グッド・キラーズ  作者: 実茂 譲
Episode 1. ポーク・アンド・ビーンズ
3/27

今日を特別にする理由

「あー、怖かった」


 と、言ったのはナディアではない。その父親である団長だ。エジプト人を詐称し、ステージでは見事な司会で客の注目を奪い取る大胆な男も、ステージを降りると、その過剰な善良さと小心さでぷるぷる震える小動物のようになってしまうのだ。


「父さん、気が小さい」


「そうは言うが、怖いものは怖い。ナディア、お前は怖くなかったのかい?」


「あったりまえでしょ」


 だって、ジャンが来てくれたもん。なんて殊勝なことは言わないのはわかってる。


 星が際立つ田舎の夜空の下、テントの脇に出した大きなテーブルに一座はついて、夕食の最中。

 メニューは団長の好物のポークチョップにいんげんを添えたものと熱々のベイクド・ポテト。飲み物はカトリック教会のミサ用赤ワイン(禁酒法下のアメリカで数少ない合法的なアルコールだ)。


 サーカス一座の食卓は自己の生存を賭けた戦いだ。


「おい、おれの肉食ってんじゃねえぞ!」


「てめーはもうポークチョップ二本食っただろうが!」


「あー、ビールが飲みてえなあ!」


「禁酒法だなんてな。信じられねえよ。アメリカ人はまじめにバカを仕出かすやつらだ」


「おつに澄ました判事や議員どもに法律をつくる資格はないってわけだ」


 最後のセリフは、ジャンが言った。

 みな、その通りだとうなずいた。法律もそれを振りかざす判事も警官もあてにならない。石を投げられても、蛇女の蛇が盗まれても、やつらは助けてくれない。どんなことが起きても悪いのはいつだってジプシー野郎だと言われてきた。警官が一緒になって、サーカスの追い出しにかかったことだって何度もある。


 理解できない話だ。この町の住人のほとんどはサーカスを見に来ているし、拍手喝采もする。楽しみにしているのは間違いない。そのくせ、ここに長居してほしいとは思っておらず、今日拍手した人々が、明日にはあのチンピラたちのようにサーカスを追い出しにかかるのだ。


 そのとき、誰かがトントンとジャンの肩をたたいた。


 ナディアだった。ずるっぽい笑みを浮かべて、ちょっとこっちにいらっしゃい、と手を握って、トウモロコシ屋台の裏手へ連れて行った。


 屋台の裏にはグリルがあって、小ぶりのトウモロコシが詰まった箱が重ねてある。すぐそばを流れる小川の水音が耳をくすぐってきた。


「なんだよ、ナディア」


「一度しか言わないし、他言したら、一生口きかない」


「はあ? なんだそりゃ? なんか変なもんでも食っ――」


 ナディアはジャンの胸ぐらをつかんだ。そして、ぐいと引き寄せた。いきなりのことでジャンはよろめいたが、次の瞬間にはジャンの唇はナディアの唇と重なっていた。


 ジャンは思わず、飛びずさった。


「なっ――!」


「そんなふうに驚かなくてもいいでしょ? ――昼間は助けてくれて、ありがと。でも、お礼なんか言うのはこれが最初で最後だからね」


 ナディアはそのまま走って食卓へと戻っていった。頭のなかをクエスチョン・マークでいっぱいにしたジャンを残して。


 意味が分からなかった。ナディアとキスをしたのは初めてではない。物心ついたころから口に頬に額にとキスしまくった。ただ、それは団長が半泣きになって屠られ損ねた鶏みたいな声を上げるので、楽しくてやっていたことだ。いたずらの延長線上にある。

 今のキスがそれとはまったく違うものなのは間違いない。


 だが、どうして、今なんだ?


「このままじゃやばいな」


 こんな疑問抱えたままじゃ夜もろくに眠れなくなる。

 それに向こうにリードを取られっぱなしっていうのも気に入らない。


 なら、どうするか?


 食卓でみんなの見ている前で、こっちからナディアの唇を奪ってやる。

 冷やかされても構うもんか。


 食卓ではルーマニア風サフラン・ピラフが出来上がり、生存競争は第二ステージへと上がりつつあった。身長二メートル四十センチを超える巨人がピラフの大鍋を高く持ち上げて、誰の手にも届かないようにした。

 その下では団員が手を鍋に向かって伸ばし、ぴょんぴょん飛んでいた。ナディアも飛んでいた。そのままどこまでも飛んでいくのではないかと、ふと思った。まるで妖精にでもなったみたいに。


 ジャンはナディアの手首をつかんだ。


「なによ?」


 不敵に笑った。まるでジャンがこの後、みなの見ている前で自分にキスすることが分かっていたかのように。ひょっとすると、ジャンの頭をぼうっとさせ、今のような状態になることを仕組んだのではないか?


 ナディアは勝ち誇ったように笑っている。


 ピラフをめぐる醜い抗争が一時停戦するくらいの濃厚なキスをしてやる。

 ナディアが予想もしてなかったくらい激しいやつを。

 それでその後、どうしてこんなことをするのか、たずねてやる。


 二人の顔が近づいた。お互いの火照った肌を感じられるくらい近く。


 何かが起こる。それが間違いないと思ったそのときだった。


 ピラフの鍋をかかげる巨人の頭が銃弾で吹っ飛ばされたのは――。

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