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グッド・キラーズ  作者: 実茂 譲
Episode 2. コンビーフ・ハッシュド・ポテト
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サーモン・チェイスの肖像

 リーフプレイスの市街地は北のアップタウン、東のリバーサイド、南のダウンタウンの三つに分断されている。アップタウンは割と新しい区域で、リバーサイドは開拓時代の足掛かりになった古い町だった。ダウンタウンは19世紀半ばにつくられた町でリバーサイドよりは新しい。

 ちなみに部屋を貸す相手のことなど全く気にしなかったために殺し屋入居率100%になってしまったウィルハルトの下宿屋はダウンタウンにある。

 どの区域にも歓楽街があり、どの区域も樹海で虫食い状になっている。少しでも気を抜けば――例えば、家のペンキを塗り直さないとか、草むしりをしないとか、植物の栄養になりそうな食べ残しを森に捨てるだとか、そういうことをすれば、町はたちまち樹海に飲み込まれてしまう。


 そして、ジャンが手品を大道で披露しようとしている市庁舎前の公園はリバーサイドにあった。リーフプレイスで一番最初につくられた建物である製材所を改築したもので人口十万の都市にふさわしい、石造りでどっしりとした構えの五階建てだった。レッドリーフ川のすぐそばにあり、窓には小役人たちが忙しそうに動き回っているのが、ちらちら見える。


「ふああ。ねむ……」


 ジャンは何とか目をこすって、眠気を払おうとしたが、眠気はむしろ目玉に擦りこまれたようで、ますます眠たくなった。


 それもこれもエミリィとかいう、あの馬鹿女ビッチのせいだ。


 あの後、ジャンとエミリィはどちらがこの下宿を出ていくかでさんざん言い合いをした。ここにきて、不機嫌なウェイトレスがどれだけ世界平和に貢献しているのか思い知らされた。仲介するものは誰もおらず、ウィルハルトは耳が遠いので声の大きいのは気にならないらしい。


 ――あんた、男ならレディ・ファーストしなさいよ!


 ――じゃあ、レディ・ファーストでお前が先に出てけよ。


 ――こいつ、最悪。


 ――こいつじゃない。ジャンだ。ジャン・バティスト・ルトロンって名前があるんだ。わかったか、このアッパーカット女。


 ――エミリィ。エミリィ・パートリッジって名前があるの。あ、やだ。わたし、ストーカーに名前教えちゃった。


 ――誰がお前のストーカーなんかするか、馬鹿女。


 ――美少女暗殺者のつらいところよね。アホなストーカーに付きまとわれるなんて。でも、覚えときなさい。わたしに変なことしたら、わたしが手を下すまでもなく、わたしのファンクラブがあんたにセメントの靴を履かせて、メキシコ湾に放り込むんだから。


 ――ファンクラブだぁ?


 ――わたしのかわいらしさを正当に評価できる品のいい人たちよ。


 ――そいつら、ムショから出てきたばかりだったんじゃねえの? 女に飢えてると、メスのカバでもリリアン・ギッシュに見えるっていうもんな。


 ――なんですってーっ!


 そうやって夜明けが来た。あんなのと一つ同じ屋根の下に生きるなど冗談じゃないが、逃げるように去るのはむかつく。何としてでも、相手を追い出さなければいけない。


 そもそも、あのエミリィとはターゲットだってかぶっている。万が一にも出し抜かれて、エミリィがターゲットをったら、恥さらしもいいところだ。

 この勝負、絶対に負けられない。


「とは、言ってもな……」


 殺し屋になるのはまだ違和感があるし、それはクランの大ボスを殺して腹が決まるわけでもない。それに相手が極悪人とはいえ、こうして競争するようにして一度もあったことのない人間の命を狙うことはおそらく許されないだろう。ウィルハルトの台所もろとも地獄に落ちる。


 だが、ジャンは区切りをつけなければいけない。もう二度と戻らない幸福に溺れようとするのは惨めなだけだ。自分はもはや〈守り手〉ではない。これから、殺し屋として生きていく。幸い、殺す相手は筋金入りの悪党だけだ。それだけでも恵まれていると思わないといけないのかもしれない。


「ちっ。考えても仕方ない」


 ジャンは市庁舎前の公園の木陰がある一画でシルクハットを逆さまにして置き、カードをつかったマジックをいくつかやって見せた。相手の選んだカードを当てたり、カードの束を空にばらまいてから手のひらへと伝書鳩のように帰ってきたりさせると、一セントか二セントが逆さのシルクハットのなかへ放られる。


 ジャンは何度か手品を披露し、カードを切る。切っているあいだ、カードは意志をもった生き物のように様々な音を立てた。まるでカードがおしゃべりをしているようだった。半分は腹話術だが、残り半分は本当にカードがしゃべっている。

 熟練者の手に触れるとカードは言いたいことを言いやすくなるらしく、いろいろしゃべってくれる。ただし、カードにだけわかる言葉で。


 ジャンはいろいろレパートリーを試したが、一番なのは金銭欲を刺激する手品だ。扇状にひろげたカードが人差し指でコツンと叩くだけで、全て100ドル紙幣に早変わりすると、川辺で釣りをしていた連中までもがジャンのもとに寄ってきた。

 だが、一万ドル札に変えるのはあまり受けなかった。見物客たちが日々の暮らしで手にできる紙幣の最高は二十ドル紙幣が精いっぱいで、サーモン・チェイスの肖像がのった一万ドル札のことは架空の紙幣だと勘違いしているのだ。


 だが、一万ドル札の手品を食い入るように見ている男が観客に混じっているのにジャンは間もなく気づいた。というのも、その顔は資料として渡された警察写真に載っていたのと同じ顔――グラムリー家の末っ子であるフランシス・グラムリーだったからだ。


 フランシスは二百ポンドを優に超える大男でだらしなく大きな口を開けて、ジャンが変えて見せた一万ドル札に見入っていた。生え際が後退し始めた頭の回転はいかにも鈍そうで、着ているもののみすぼらしさはとくにひどく、これならダイナーに行く途中に転がっている死体のほうがいいものを着ている。


 それでもグラムリー家の人間だ。フランシスを見るなり見物人の群れがモーゼに割られた紅海のように左右に別れた。


 フランシスがリヴォルヴァーを抜いて、ジャンの顔に突きつけたとき、ジャンの脳裏によぎったのは――ジャンにとっては不本意だが――エミリィ・パートリッジが自分の死体のまわりでフィドルを弾きながら喜んで小躍りしているさまだった。

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