ダイナーの戦い
ビッグ・デューク・ダイナーは混んでいた。自動車道路沿いにあるので、客のほとんどはトラックの運転手や売り物の見本をトランクに詰めてあちこちまわるセールスマンだ。
席は一つしか空いてなかった。一番端の席。そこに座ろうとしたら、隣に座っていたブロンドのロングヘアの少女がぽかんとした顔でジャンを見た。
なんだ、この女? でも、どこかで……。
テーブルの上で握りしめられた拳を見て、ジャンは思い出した。
あのときのショートアッパー女だ。
そして、少女のほうでも、ジャンのことをおっぱい触ってきた変態として思い出しているのだろう。
表情もぽかんの過渡期を越えて、嫌悪と憤怒の氷河期に突入した。ジャンも長旅をして暮らした経験から、この手の女の氷河期がいつ大噴火に変わるかを知っている。
それにしても……。こいつも殺し屋ときいたが、なんていう武器だろう。
席の端に立てかけてあるのは刀だ。
試験のライバルはなんとターゲットをサムライ・ソードで叩っ斬ろうとしている。
それにしても、とジャンは嫌な顔をする。
グリーンの瞳に嫌悪の炎をたぎらせた少女の隣に座るのは楽しいことではない。今日はいろいろあったのだから、食事ぐらいは穏やかな心地でとりたい。
かといって、他の席が空くまで立って待っているのは、マヌケに見えるし、何よりも少女に対して、する筋合いのない遠慮をするのも嫌だった。
おれには好きな場所に座る権利があるし、こっちは別に後ろめたいところなんてない。
それでも ジャンの尻がスツールに触れるや否や戦いが始まった。
「他のところに座ってよ」
「おれが知る限り、ここは自由の国だそうだ」
「はあっ? なにそれ?」
少女の顔に険が走った。ジャンはそばにあったコショウの壜の蓋をこっそり外した。もし、ショートアッパーを食らわすそぶりを見せたら、顔面にコショウが炸裂する。海が干上がるその日までくしゃみが止まらなくなるだろう。
手に汗握り、ついでにコショウの壜も握った戦いはダイナーに付き物の不機嫌なウェイトレスがメニューを持ってきて、停戦となった。人間相争うたびにいちいちヴェルサイユ宮殿に集まって講和条約に署名していたのでは体がもたない。簡単な停戦協定は世界を救う鍵になるやもしれないものだ。
さて、空腹であることについては少女もジャン同様、お腹がきゅーきゅー鳴きっぱなしだった。二人はお互いの存在をより強く無視しようとして、開いたメニュー表に顔を突っ込んだ。
青い厚紙には品書きの空きスペースに牛やペンギンや消防士のイラストがついていて、人気メニューの『リーフプレイスで一番ホットなオリジナル・チリ』『時間のない人うってつけ! ファイマーマンズ・ランチ・セット』などには特に大きなスペースが割かれていた。
そのなかでも店の名前にちなんだ『ビッグ・デューク・スペシャル 驚きのご奉仕価格で満点のボリューム!』がメニューのなかでも一番目につくところにでかでかと載っていた。『100%デリシャスな仔牛の』テンダーロイン・ステーキ・サンドウィッチにフライドポテトとカッテージ・チーズがついて、なんと、たったの二十五セント。
よし、これにしよう。見れば、まわりの客もみなこれを頼んでいる。見た限り、ボリュームに嘘はないようだ。
ただ、ジャンに言わせれば、野菜が足りていない。つまりバランスが悪い。せめてステーキ・サンドに玉ねぎでも挟んでおけば慰みくらいにはなった。
だが、それもコール・スローを一緒に頼めば、問題はない。
それにコール・スローを頼むのは横にいるアッパーカット女避けにもなる。ここまでみんながビッグ・デューク・スペシャルをうまそうに食べていると、少女も注文する可能性が高い。まったく同じ注文になると、やれ気持ち悪いのストーカーの変態野郎だのと言われて、くそ面白くもない事態になるだろうから、コール・スローを頼んで、注文にいちゃもんをつけられない程度の個性を加える。
そして、デザートにパイを二切れ。一切れではだめだ。ダイナーのパイは小さいのが当たり前だ。
むしろ、とジャンは思う。
ダイナーというものはいかに材料をケチって小さなパイをつくるかに自分の存在意義を見出しているきらいがある。ここのようにステーキ・サンドに大盤振る舞いするのにパイに関しては病的なケチくささを発揮するという矛盾はケチケチパイが金銭的な原因に根差しているのではないことを示している。
だが、ダイナー評論家を気取って、パイの小ささを分析しても腹はふくれない。注文せよ、さらば与えられん。
「ビッグ・デューク・スペシャルとコール・スロー。あと、パイを二切れ」
「ビッグ・デューク・スペシャルとコール・スロー。あと、パイを二切れ」
聖歌隊みたいにきれいなハーモニー。
は? とジャンと少女はお互いの顔を見た。
「ちょっと真似しないでよ、変態」
「したのはそっちだろ。アッパーカット女。会心のコール・スローまで真似しやがって」
「あんた、オートミールに変えなさいよ」
「あんなふやけたボール紙食えるか。そっちが変えろ。おれはメニューを見て、すぐ決めたんだ」
「わたしはこの店に入った瞬間、決めてた」
「なら、おれはこの町に来た時に決めてた」
争いは時を遡り、二人は受胎されてこの世に生を得る前、まだ宇宙の塵に過ぎなかったころから、テンダーロイン・ステーキ・サンドをコール・スローと一緒に注文しようとしていたと言い出した。
そのうち、二人の論争はバチカンの異端審問を招きかねない危険水域へと入りつつあったが、というのも、二人は神が七日間で世界を創造するより前に注文を決めていたと言ったからだった。つまり、ステーキ・サンドは神が創造したものではなく、それよりも前に存在していたということになる。
冗談の通じない聖書原理主義者がきいたら――ジャンのボキャブラリーで表現するなら――クソをもらすほどに怒り狂うだろう。事実、ダイナーでパンケーキを食べていた福音派の牧師は二人の口喧嘩をきいて、顔を真っ赤にしお腹をゴロゴロ言わせながら、トイレに飛び込み、かなり罰当たりな言葉をまき散らした。
二人の口喧嘩はアマチュアの神学論争へと舵を切り始め、テンダーロイン・ステーキ・サンドが神に取って代わり、絶対的かつ究極的な存在になったころ、その絶対的で究極的な存在が二皿、不機嫌なウェイトレスの手により、乱暴にカウンターに置かれた。
ダイナーの戦争はいつも不機嫌なウェイトレスによって幕を閉じられる。
メニューは実際のところ、予想通り。ビッグ・デューク・スペシャルはうまくて食い出もあり、パイは恐ろしく小さかった。
お互い、この場からとっとと離れたいがばかりに詰め込むように食べて、無料のコーヒーで胃に流し込む。会計を終えながら、外に出ると、なんとアッパーカット女がついてくるではないか? いや、むしろ並んで歩いていると言っていい。
「ついてこないでよ、変態」
「それはこっちの台詞だ。こっちに下宿があるんだよ」
口喧嘩しながら、森のなかの死体を通り過ぎて、路地を通り、道路を渡り、ウィルハルトの下宿の前までやってきて、二人はとんでもないことに気がついた。
下宿屋の二つの部屋。
それを借りているのは他ならぬ自分たち二人なのだ。