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グッド・キラーズ  作者: 実茂 譲
Episode 1. ポーク・アンド・ビーンズ
2/27

13×4+1

 ロマはジプシーと呼ばれることにあまりいい顔をしない。その言葉には白人たちが黒んぼニガーとか、イタ公デーゴと吐き捨てるのと同様に悪意が垣間見えるからだ。でも、ジプシーという言葉はエジプシャンがなまって省かれてできあがった言葉だ。そこに神秘やわくわくする非日常を感じて ジプシーと呼ばれるなら、まんざらでもない。


 それでもロマ、ジプシーの暮らしが困難の連続であることには変わりがない。思ったより、客の入りが悪いとか、そういうこと以外にもいろいろあるのだ。ジプシーは馬を盗むとか、ジプシーは子どもをさらってサーカス用にしつけて売り飛ばすとか、根も葉もないでたらめを本気にした人たちに石を投げられながら、ずらかったのは一度や二度ではない。


 そこで〈守り手〉というものが登場する。ロマの一団が危害をくわえられそうになったときに出て行って、トラブルを未然に防ぐ。


 ジャンはエジプシャン・サーカスの若き〈守り手〉だった。


 みなでメイン・テントを立ててから一週間後、屋台も占い小屋も用意できた一団はお客を本格的に呼び始めた。この一週間、バイオリン弾きとギター弾き、そして、美しいナディアがまわりの町を宣伝に出かけていた。


 おかげでテントは満員御礼だった。髭女と喜劇役者が笑いと取って、怪力男が町に立っているのと同じ鋳鉄製の街灯をちょうちょ結びにし、舞台はいい感じに温まってきた。


「おれの出る幕はないな」


 ジャンはマジシャンのスーツのしわを引っぱって伸ばした。彼はカード・マジシャンだった。だが、ジプシーのサーカスへやってくるお客はカードはカードでもタロット・カードを楽しみにやってくる。カードに描かれた絵の種類と位置で、婚期やフロリダの土地ブームがいつまで続くかを知りたいと思うものは二十世紀の四分の一が経過してもなくなりそうになかった。


「なに、拗ねてんの?」


 舞台の袖に立っていると、そこには薔薇色の衣装をまとったナディアがいた。枢機卿の帽子みたいに真っ赤なスペイン風ブラウスが癖のある長い黒髪と黒い瞳の美しさをより際立てている。


「別に。楽ができていいと思っただけだ」


「へー、でも、そんなこと言って、本当は――」


 そのとき、アラブの族長のような恰好をした団長がわっと声を上げた。


「レディース・アンド・ジェントルメン! 今夜のメイン・イベント、かの英国王太子プリンス・オブ・ウェールズの前でも披露した本場アンダルシア仕込みの美しい踊り子、カラバルバ嬢の登場です! みなさん、拍手をお願いします!」


 ぷっとジャンは吹き出した。この大袈裟な文句はいつきいても笑える。何が本場アンダルシアだよ。親父がルーマニア出身なんだから、ナディアだってルーマニア風の名前を持っている。そして、カラバルバという名前。どんな辞書を引いたら、そんな名前が出てくるのか。そして、その名で呼ばれるのをナディア=カラバルバは嫌がっている。


 そして、それを分かっていて、ジャンはわざとナディアをカラバルバと呼ぶ。


「そら、出番だぜ、カラバルバ」


 芸名で呼ばれてムッとしたが、ギター弾きとヴァイオリン弾きに連れられてステージに出なければいけなかったので、ナディアに出来ることは顔をしかめて、イーッとしてやる程度だった。


 ナディアの登場で場が沸いた。ナディアの踊りはただの踊りではない。恋をした女の浮かれ騒ぎ、失恋の痛手、男女のやり取りのれそのものだった。

 手でつまみあげれば大きくなり、膝を曲げて地に伏せれば床の上を水のように広がる赤いスカートで恋がもたらす全ての感情を表現できた。金はメッキだが、大きなエメラルドだけは本物の首飾りがきらめき、光るものに集まらずにはおられない人間の本能を刺激した。


 音楽が止んだ。踊りが終わったのだ。


 ナディアはスカートの端をつまんで、片膝を後ろに引いて、客席にお辞儀をした。こんなに情熱的に踊れる十六歳が他にいるならぜひとも見てみたいものだ。


 もちろん、ジャンはそんなことナディアには言ったりしない。幼馴染の性格はよく分かっているつもりだ。そんなこと言おうものなら相手は図に乗って、さんざんからかい倒される。


 まあまあだったぜ、カラバルバ、と声をかけて、冷やかしてやろうとジャンが手ぐすねを引いたそのときだった。


 お辞儀するナディアの死角から男が三人、手すりを乗り越えた。

 いかにも地元の白人らしいのが小動物の巣にするつもりなのか、大きな顎鬚を生やしている。得意技は黒人か自分の妻を殴り飛ばすことくらい。万年、密造酒ムーンシャイン漬けの脳みそが選べる武器はウイスキーの空瓶、野球のバット、2×4ツー・バイ・フォーの角材、それに臭い息ときている。


 この三人組がナディアに聖書のセールスをしに来たわけではないことは博士の免状がなくても分かる。


「これでもくらえや、ジプシーの売女ばいた!」


 ウイスキーの空き瓶がふりかざされた。ナディアはギリギリで気づいたが、いかんせん不意打ちだった。ギター弾きとヴァイオリン弾きたちが助けようとしても間に合わない。


 その場にいた観客たちは思わず、目をつむったが、耳は塞がなかった。そして、この魅惑のジプシー娘が顔を叩き潰される音を今か今かと恐る恐る待っていたが、そんな音はいつまで経ってもしてこない。


 ナディアの顔を打とうとした空き瓶は宙で止まっていた。ならず者の手首はジャンによってがっちり握られている。体格では相手のほうが上なのに、ジャンに握られた腕は引いても押しても動きそうになかった。


「うちはお触りは禁止だ、お客さん」


 ならず者の足を刈ると、バナナの皮でも踏んづけたみたいに盛大に転んだ。


 バット男と角材男はひるんだ。殴りに来たくせに自分たちが殴られることになるとは予想だにしていなかったのだ。


 ジャンは二人と向かい合った。

 皮肉っぽいところもあるが、精悍な顔立ち。いでたちはマジシャンで、慣れたショーマンらしく自信たっぷりの表情。だが、大きなアイスブルーの瞳はならず者と対決する保安官かハラキリをするサムライのような覚悟であふれている。


 もし、ここが満員御礼のテントのなかでなかったら、二人の狼藉者は尻尾を巻いて逃げるだろう。だが、ここは違う。小さな田舎町だから、この二人のごろつきはテントの観客全員と知り合いだった。ここで退いたら、腰抜けの噂がへばりつき、下手をすると一生剥ぎ取れなくなるかもしれない。


「ぶち殺してやる」


 すっ転んだ瓶男が唸った。叩き割られてギザギザになった瓶を握りしめて、おそらく安酒でこさえた憎悪で目を血走らせている。


「まあ、そうカッカすんなよ。手品でもどうだ?」


 ジャンはいつの間にか手にしていたトランプを扇状に広げた。


「どれでも一枚、好きなのを選んでいいぜ。もちろん怖けりゃやらなくてもいいけどな」


 最後の一言に瓶男が反応した。


「クソ手品なんか、クソくらえだ。こいつが終わったら、ズタズタにしてやる」


 それでも男のトランプを一枚選び取る手はかすかに震えていた。

 それでジャンは確信した。このクソッタレ、おれをジプシーの魔法使いか何かだと思ってやがる。


「そのカードを自分だけに見せて覚えるんだ。おれには見せるなよ。覚えたら戻してくれ」


 男からカードを受け取ると、ジャンはカードを切って、混ぜ、また切って、滝のように上からざあっと流し、かと思うと、カードを片手で切って、空いた手で懐中時計を手に取り、動いているかどうか耳にあてたりした。

 ジャンは〈守り手〉だが、その前にカード・マジシャンなのだ。馬鹿を舞台から叩き出すにしたって、面白おかしく叩き出して、お客に喜んでもらわないといけないし、ショーで食っている人間としてのプライドもある。


「さあ、あんたが引いたカードを当てて見せよう」


 ジャンはトランプの一番上のカードをめくった。


 それはクローバーの5だった。


「ハズレだ。マヌケ」


 瓶男が嘲笑い、それに釣られて、他の二人も笑った。何が起こるにしろ、殴られるかどやされるくらいのことが起きてひどい目に遭うかもしれないと思っていたから、安心も大きかった。


「アハハハッ、バカ野郎め! アハハハ、ハ、ハ? ひっく!」


 瓶男のしゃっくりが止まらなくなった。三度、四度、五度、そして十三度目のしゃっくりで、喉の奥からトランプが吐き出された。

 ジャンはそれを拾い上げた。


「そう。あんたが引いたのはダイヤのキングだ」


 そして、ジャンはそのカードを弾くようにして空に飛ばして、指を鳴らした。

 その途端、カードは燃え上がり、眩い閃光の影を観客たちの瞼の裏に残して消えていった。


「お望みなら、同じものをエースからキングまで、ジョーカーのおまけ付きで、その喉に押し込んでもいいんだぜ? きっとドラゴンみたいに炎が吐けるだろうな」


 三人のごろつきは怪物ブギーマンにでも出くわしたみたいに顔を真っ青にして、捨て台詞すら残すヒマもなく逃げ出した。


 観客が拍手した。ナディアのときよりも強いくらいだった。


 ジャンはシルクハットを取って、深々とお辞儀をした。

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