森は街を食う
もともとノースカロライナに存在する町は大なり小なり市街と森が入り乱れている。
だが、そんなノースカロライナ州の都市でもリーフプレイスは異色の存在だ。
人口十万の中規模都市にもかかわらず、市街地として開けているのは市域の35パーセント足らず、残りは森林か沼、あるいはその両方。まるでルイジアナの湿地帯のような凄まじい場所だ。
まともな市民は市内の森林地帯を樹海と呼び、よほどのことがない限り立ち入らない。なぜなら、樹海にはジョージ・ワシントンの時代からある蒸留所や盗賊の隠れ家、悪魔崇拝者たちの祈祷所、放棄された墓場やいかがわしい酒場がいまだに存在し、犯罪の巣窟となっているからだ。
そして、何より恐ろしいのは頭のイカれたグラムリー一族だ。伝説的な暴力と近親相姦に彩られた、この罪深い一族は樹海のどこかにある奴隷制時代の屋敷を根城にし、始終酔っぱらって、ショットガンをぶっ放す相手を探している。伝説によると、屋敷は沼のそばにあり、その沼では〈軍曹〉という名のワニを飼っていて、始末に困った死体を食べさせているらしい。
ジャンがもらった資料によると、グラムリー一族は自分たちのつくるコーン・ウイスキーを絶対視していて、この危険な密造酒商売を廃業に追い込もうとした禁酒法取締官を生きたままワニの沼に放り込んだようだ。
「とんでもないやつらだな」
ジャンはファウストの運転する車でリーフプレイスに入り、ダウンタウンの下宿屋で下された。
「じゃあ、ターゲットが片づいたら、迎えに来るよ」
「あそこ、映画館の前で放し飼いにされているのは牛か?」
「緑がきれいでいい街だ」
「冗談だろ?」
ファウストが行ってしまうと、ジャンは仕方なく荷物を入れたグラッドストン・バッグを手に下宿屋の呼び鈴を鳴らした。下宿屋の主人には家賃さえ入れば店子は気にしないタイプと店子のことを何でもかんでも知りたがるゴシップタイプの二つのタイプがいるが、ここの主人は前者のタイプだった。
それはジャンにも都合がいい。ジャンはここに人を殺しに来たのだから、あれこれ詮索されるのは困る。家賃を二か月分前払いし、自分はあちこちの町をめぐっているマジシャンなのだと説明すると、家主のウィルハルトという中年男はジャンから受け取った四十ドルを光にかざし、十ドル札にハトっぽいところがないか注意深く睨んだ。受け取ったはずの家賃に羽が生えて飛び去っていくのはなるほど確かに面白くないが、ちょっと試しにやってみたい気もする。
やがてジャンの支払った紙幣はテストに合格したらしく、二階の202号室の鍵を渡した。
「うちは食事なしだから、外で済ませてくれ」
ウィルハルトはぶっきらぼうに言った。
食事なし? このちんけなマッチ箱に住ませるだけで月に二十ドルも取るのかよ?
だいたい、外と言っても、まわりは似たような二階建ての木造住宅が並んでいて、その隙間を穿つように森林が食い込んでいる。歩いて五分のところの自動車道路沿いに軽食堂があるが、そこに行くには森を通らなければいけない。森はさして分厚くもないのに、真っ当なカタギを拒むかのように枝葉で閉ざされている。
――ん、ああ。そうか。おれはもうカタギじゃなかった。
毎日の食事についてはおいおい考えるとして、ターゲットにまつわる噂を仕入れておきたかった。
とはいえ、グラムリー一家をどう思うとあちこちきいてまわるような馬鹿な真似をすると、ワニの餌にされる可能性がある。もし、グラムリーがジャンの考えているような連中なら、自分のことをきいてまわるよそ者にいい顔はしないだろう。
ただ、グラムリー一家もギャングだから、ショバ代の徴収のようなものがあるはずだ。
行商人や旅芸人みたいなやつが市内の一番人が集まる場所で商売を始めれば、向こうからぶつかってくるだろう。
ただ、今日はなんだか疲れたし、ショートアッパーを食らった顎がズキズキ痛むので、本格的に動くのは明日からにしよう。
おいおい考えることにしたはずの食事について、意外と早く考えるハメになった。
さて、近くのダイナーは森の向こう。迂回すると三十分は歩くし、かといって森を突っ切るのは危ない気がした。
腕に自信があるので自炊も考えたが、一階のキッチンを見て、あきらめた。
もし、キッチンをどれだけきれいに使ったかで天国行きと地獄行きが決まるなら、ウィルハルトは間違いなく地獄に落ちる。
それでも裁きを担当する神なり天使なりはウィルハルトにこうたずねるだろう――お前、どうやったらこんなきったねえキッチンで生きてけるんだよ?
「しかたないな」
森を突っ切るか。
下宿屋を出ると、舗装した道路があり、その向こう、二階建て民家のあいだに路地がある。
路地の向こうは森だ。一歩足を踏み入れただけで苔だらけの幹のあいだから滞留した水の気だるげな臭いがして、暮れ時であることを差っ引いても異常な薄暗さで物が色を失う。
そして、懐中電灯で足元を照らしながら歩いて、三分と経たないうちに死体を見つけた。
死体はスプリングがむき出しになったベッドの上で干からびていた。おそらく森に住んでいたのだろう、幹のあいだに張り渡されたロープからテント用のキャンバス地がぼろぼろになって垂れていて、小さなキャンペーンデスクの上には埃まみれになったウイスキーの空き瓶が乗っていた。正規品のジャック・ダニエルズだから、この死体はどうやら禁酒法施行前から死体をやっているらしい。
ジャンは刑事ではないが、それでも死因が頭に突き刺さった肉切り包丁なのだと予測をつけることができた。ただ、マットレスの下に虎の子の五十ドルが隠したままになっているし、錆だらけのショットガンもこの死には無関係だと声を大にするようにして、ベッドにもたれかかっていた。
他殺の可能性が濃いが自殺説も捨てがたい。自分で自分の脳天に肉切り包丁を突き刺すという壮絶な最期だってないとはいえない。
だが、一番の問題は住宅地から三分も歩かないところに死体があるのに誰も気づかないことだ。
逆に言えば、それだけ一般市民は森に対して我関せずの態度を取っているということでもある。
ターゲットはそんな森で暴君のごとく君臨している。
「一筋縄にはいかないってことか」
暗がりに吸い込まれるように消えていった思案のつぶやきをそのままに、ジャンはダイナーへと足を進めた。見つけた五十ドルを元の場所に押し込んだ。警察に通報しようという気は起らなかった。
迷宮入りは間違いないし、殺し屋試験真っ最中のジャンとしては、あまり警察と係り合うのもよろしくないのだから。