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グッド・キラーズ  作者: 実茂 譲
Episode 2. コンビーフ・ハッシュド・ポテト
16/27

少女と山で二人きり、ただし役得はない

 四年にわたる世界大戦はロシア革命やスペイン風邪と協力して世界中で数千万人を殺し、楽観主義者たちを幻滅させた。


 だが、大戦が生み出した最大の害悪はアマチュア・スナイパーの増加だった。

 もちろん、卓越したカモフラージュと忍耐力を武器に精密な狙撃をやってのけた伝説的なスナイパーも輩出されたが(そして、そうした本物のスナイパーのほとんどがインディアンだった)、大戦ではごく普通の兵士でも百メートル先から走ってくる敵兵の頭を撃ち飛ばすことができた。


 戦争が終わって、復員したこれら数十万人のアマチュア・スナイパーたちは本物のスナイパーと違って忍耐力がない、人を撃ちたくてうずうずしている犯罪者予備軍だった。おまけにライフルの木の銃床は危険なほど人の体に馴染み、理性が危うくなる。失業や離婚に絶望したアマチュア・スナイパーがスプリングフィールド銃の魅力に取り込まれ、ブース、ギトー、チョルゴシュに続く四人目の大統領殺しになる日も遠くない。


 だが、そんな事情はノースカロライナの山奥に何の影響もない。

 その日も、ジャンはエリスを観測手スポッターにして、狙撃の演習をした。リー・エンフィールド・ライフルにスコープをつけて、四百メートル先の煉瓦を撃ち砕く。罪のない十余りの煉瓦が粉々になった。


「よくできました、なんて撫でてもらおうとは思ってないけど、まあ、いいスコアだと思う」


「ええ」


 エリスはそう言って、四百メートル先の煉瓦が散らばった高台を凝視した。しばらくして、首をふりながら、小さく息を吐いた。


「狙撃で必要なものは信じること。ターゲットが必ず現れて、スコープの十字線レティクルに確実に捉えられるという信念が大事よ」


「信念なんて、そういう実体のないもの、あんたが大切にするとは思わなかった。格闘訓練じゃ、あらゆるルールと型を忘れて、少しでもはやく相手の急所に一撃くれることだけ考えろって言ってなかったっけ?」


「でも、事実そうだから。狙撃体勢を取って待って一時間たつと必ず疑いが生じる。自分は間違った場所で待ち伏せをしているんじゃないか、ターゲットは別の出入り口から既に逃げた後ではないか。そう考え始めると、きりがなくなる。だから、信じるの。ターゲットは必ずスコープのなかに現れると」


 自分にしては長くしゃべり過ぎたと思ったのか、エリスはまた首をふり、別の銃を、と言った。


 それからジャンは指が痺れ、肩が痛み、まぶたの裏にスコープの十字線が焼きつくくらいになるまで、狙撃を続けた。

 日が山の向こうへと沈みかけて、ようやく訓練が終わり、家に帰ることになった。

 銃やナイフ、格闘とあらゆる面でエリスに及ばないジャンの数少ない特技――料理が真価を発揮するのだ。

 エリスは中国系にもかかわらず、中華料理は何一つつくれず、スクランブル・エッグ以外のものを料理することはエリスにとって、未知の領域だった。


 サーカス団では食事当番は持ち回りだった。流浪の旅のせつなさを少しでも和らげるものがあるとすれば、それはうまいメシだ。地下には武器庫の他に食料庫があって、ファウストが二週間に一度やってきては缶詰だの野菜だのを放り込んでいく。


 さーて、とエプロンをしたジャンが袖をめくる。

 厨房のコンロに鍋をかけ、オリーブオイルでニンニクと玉ねぎ、鶏肉、サフランを炒め、米と香草を入れ、スープストックをぶち込み、蓋をして放っておく。そのあいだに茶色い瓶から垂らした糖蜜でかぼちゃを焼き、いい塩梅に焦げたところでピラフの鍋の蓋を開けると、途端にいい匂いがしてくる。


 ルーマニア風チキン・ピラフとかぼちゃのロースト。それに少し硬くなったパンとセブンアップの壜。

 ここにきて間もないころ、料理をすると、サーカスのみんなの顔が浮かんできた。だが、最近悲しみに変化があらわれた。深いところに根差しているのは間違いないが、ひとりでに涙があふれ出ることはなくなった。


 自分を薄情だと思う。

 あるいは殺し屋として完成されつつある予兆なのかもしれない。

 それでもやはり薄情だ。


 食事はランプの下で無言のうちに行われる。エリスは物を食べても感情が顔に出ないので、一見まずそうに食べているように見える。だが、エリスがジャンの作った料理を残したことは一度もない。少し無理のある解釈だが、言葉を交わすのも惜しいくらい、食事に集中してるととれなくもない。


 エリスは本当に不思議な少女だ。口数は少なく、喜怒哀楽どころか表情らしいものが顔に浮かぶこともない。年齢だって十五、あるいは十四かもしれない(ひょっとすると二十歳を超えているかもしれない。東洋人の年齢はあてるのが難しい)。

 小さな顔に大きな黒い瞳が印象的だが、髪が短く切られている。ただ、それは流行のフラッパー風ではなく、ただ動くのに邪魔だから切ったといった無造作な感じで、後ろのほうだけ少し長くなっていたりする。


「どうして殺し屋になったんだ?」


 食事が終わって、ジャンはぶっきらぼうにたずねた。


「……なりたくてなったわけじゃない」


「ならなきゃ殺すって言われたのか?」


 エリスは目を上げた。エリスはときどきハッとするような瞳でこっちを見てくることがある。何か伝えようとしているように思えたし、ジャンを遠ざけようとしているようにも見える。


「あなたが考えているのとは違う。ファウストに拾われる前に、もうわたしは暗殺者として完成していた。わたしに人殺しを教えたのは別のアメリカ人たちよ」


 エリスは食器をもって、流しへ行った。それ以上のことはきけそうになかった。


 だが、意外なことに食器を洗い終わると、エリスから話しかけてきた。


「復讐してよかったと思う?」


「それ、つまり、あんたにも復讐したい相手がいるってことか? まさか、ファウストじゃないよな?」


 違う、とエリスは首をふった。


「じゃあ、誰だ?」


「わたしを殺し屋に仕上げた五人のアメリカ人。アメリカに戻ってきているのは間違いない」


「誰を殺されたんだ?」


「弟」


「そうか……」


「だから、知りたい。復讐してよかったと思う?」


「するのとしないのなら、したほうがいい。でも、それが全てを解決できるわけじゃない」


「……どういうこと?」


「さあな。分からない、なんていえばいいか。とにかく思ったほど世界がよくはならなかった。つまり、――だめだ。説明できない。おやすみ」


 ジャンから初めて自分から会話を打ち切って部屋へ逃げるように去った。

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