夢を夢と断言できるものは少ない
視界が反転して、青空がぐるぐるまわる。
ジャンはT型フォード・トラックの荷台から転がり落ちた。
昨夜の雨で湿った名もなき草が体の下でつぶれて、六月の雨の前の風のように匂った。
太陽の光と一緒に降ってきた声がジャンの鼓膜をふるわせた。
「ほらっ、ジャン! 柱を立てるんだから!」
「ナディア? 死んだはずじゃ――」
「なーに寝ぼけたこと言ってるの? さあ、しゃんとする!」
森に三方を囲まれた静かな空き地。
サーカスのみなが横たわった柱のそばで待っていた。
そうだ。おれはみんなと次のサーカス巡業地に向かっていたんだ。
みんなのほうへ歩きながら、ジャンはナディアに夢の話をした。
サーカスが焼き討ちにあったこと。殺し屋とともに、その報復をし、そして、自身も殺し屋になったこと。
ナディアはぷっと吹きだした。
「へんな夢。へんなジャン」
「夢のなかにいるときはそれが唯一の現実に思えるんだ。なかには夢を見ていて、これは夢なんだぞ、って自分に言い聞かせることができるやつもいるけど、おれは違う。みんなが死んだときも本当に死んだ。この世でひとりぼっちなったと思ったんだ」
ジャンが浮かない顔をすると、ナディアが人差し指でジャンの額をピンと弾いた。
「痛えな。なんだよ?」
「幸運のおまじない」
「嫌がらせの間違いだろ?」
「じゃあ、柱を立てる」
「それが魔除けにでもなるのか?」
「わかんないけど、サーカスの柱を立てると、世の中の全ての偉い人にあかんべえした気持ちになれる。どんなに偉くても、柱を立てたことがなくちゃ、ぜんぜんってこと。わかる?」
「ああ」
サーカスのみなが待っている。団長が、さあ、始めよう、と音頭を取る。
ロープを握って、力いっぱい引いた。
ところどころペンキの剥げた赤い柱が、ぐぐっと立ち上がり始めた。
柱のてっぺんが太陽に触れると、まばゆい光が降り注いだ。
全てが白く輝き、目を開けていられなかった。
感じるのは肌触りのよい風だけ――。
目が覚める。
薄暗い。まだ日の出前だ。
白く塗った天井が目に入った。板目が徐々に暗がりから浮かび上がる。
朝の風で針葉樹の葉擦れが強く聞こえる。
前々から不思議には思っていたが、あんな細くて針みたいな葉がどうやったら楡や樫の葉擦れみたいな音が出せるのか。こたえをわざわざ探すために何かしようという気の起こらない程度の謎だ。
「あ、そうだ」
手で顔に触れて、涙が伝い落ちた跡があるか確かめた。
ない。
これで三度目だ。ナディアたちの夢を見ても、涙を流さなかったのは。
古いが頑丈なつくりのベッドに横たわったまま、首を右へ向ける。
小さな部屋だった。田舎風の洋服ダンス。四角い年代物の鏡。安楽椅子とナイトテーブルは1812年の戦争のころにつくられたもののようだ。そして、なぜか置いてあるホウキ(これは厨房とセットの狭い食堂やエリスの部屋、風呂場、小屋の地下の秘密の武器庫にも置いてあった)。
どれもくすんだ色をしている。ガラスのはまった窓の向こうにモミや杉に覆われたブルー・スモーキー・マウンテンが見える。
朝焼け。頂が輝き出した。