柱の立つ場所
「ここだ。ここがいい」
静かな川辺の、みずみずしい野原。朝靄越しに差す陽光に枝の小鳥がまどろみ、鳴くのを忘れている。
ここはサーカステントの柱を立てるのにうってつけだ。杭は簡単に打てるが、引っこ抜けることはないし、自動車や馬車で来た客のための駐車スペースに最適の土地がある。
ここは死ぬのにいい場所だ。
ジャンが自分で後部座席のドアを開けた。その後ろから銃を手にしたファウストが続く。
二人は運転席にエリスを残して、野原へと歩き出す。
D・Cの愛人が住むアパートは逃げ出した後でもぬけのからになっていた。
もちろん、エメラルドもなかった。
だから、ジャンは死ぬのだ。
野原を歩きながら、ジャンは自分が死ぬわけにはいかない理由を考えてみた。
だが、一つも思い浮かばなかった。
みなを守れなかった〈守り手〉。取るべき仇は取り、死ぬべきやつはみな死んだ。
幻を見た。
そこにサーカスのみながいた。柱が横になっていて、みながジャンを探していた。
ナディアが現れた。
――ここにいた! もう、さんざん探したんだから! ほら、はやく!
ああ。おれもそっちにいくよ。ナディア。
銃声が鳴って、全ての幻がかき消えた。
弾はジャンの耳に唸りがきこえるくらいの近い場所を飛び過ぎていった。
「いろいろ考えたんだけどね」
ファウストの声が後ろからきこえてくる。
「ここできみを撃っても一セントにもならない。だから、働いて返してもらおうと思うんだ。きみをグッド・キラーズにスカウトしてみようかと思うんだよ。トンプソンの扱い方に天賦の才を感じたし、磨けばダイヤモンドになれるかも」
「――おれに殺し屋になれってのか?」
「そういうこと」
「もう、おれには生きる理由がない」
「それは死ぬ理由がないことも同じさ。どうせ、何もする気がないなら、こっちのオファーもぜひ考えてみるべきだ」
「〈守り手〉が殺し屋になるのか」
「パンチのきいた皮肉だよね」
「……殺すのは悪党だけか?」
「そうであることを祈ろう。で?」
眼をつむる。瞼の裏に顔が浮かんでくる。
ハーマン・ベルングストム。ライナー・ポーター。
工場の裏口で火を吐いて死んだ大男。
D・C・スタッドソン。そして、青いシーツの憎悪に満ちた少年。
狂った時代にふさわしい狂った悪魔たち。
この世界は素敵なサーカスを焼き払おうとするやつらに満ちている。
ジャンは借りがあった。ファウストに対してではない。
彼が守るはずだったのに死んでしまった全ての人に対して、借りがあった。
殺し屋になって悪党を葬り、善人の命を救うことで帳消しになるとは思えない。
ただ、借りを返そうとする意志があることを示せるだけだ。
だから、ナディア。おれは――、
「……わかったよ」
ジャンは幻の名残に背を向け、歩み出した。
車が走り出し、柱を立てる場所が遠ざかる。
だが、置き去りにしていくわけではない。少しまわり道するだけだ。
いずれ、そこに辿り着く。
焦ることはない。
ふと、エリスと目が合った。
エリスは助手席から振り返り、ジャンを見ていた。
エリスの目に感情らしきものがよぎった。
安堵だ。
ほんの一瞬だった。顕微鏡が必要なくらい小さな変化だったが、それを見て、ジャンはいつぞやの幻が幻などではなかったことを知った。
そのうち、あの唄をきくこともあるかもしれない。
遠い国の不思議な唄を。
息遣いの優しい、安らぎの唄を。
End




