ストラディバリウスの奏で方
インディアナ陸海軍兵士記念塔は州都インディアナポリスのダウンタウンのど真ん中に立っている(これはインディアナ州の真ん中と言ってもいい)。
高さ八十六メートルの白い石のモニュメントはKKKの頭巾のような形をしていた。その塔に、青銅製の水兵や大砲、旗、鷲、カウボーイみたいな恰好の兵士がクリスマスツリーの飾りのようにくっついている。塔のてっぺんには剣を手にした勝利の女神が立っているので、クリスマスツリーの印象はいよいよ拭い難くなる。
この塔が記念しているのは独立戦争や南北戦争、世界大戦ではなく、米西戦争だった。全く苦戦することなくアメリカの一方的な勝利に終わり、多くの若者に戦争とは気楽な冒険なのだという危険な思い込みを植えつけた戦争――その思い込みは世界大戦でバラバラに吹き飛ぶことになる。
記念塔の根元に歯の抜けた老人の口みたいな出入口があり、そこから塔の展望台か地下の軍事博物館へ行ける。展望台は入場料に三十セント取られるが、軍事博物館はタダで入ることができた。
そもそも軍事博物館は客から金を取れるほどのものがない。低い天井は塔そのものの重さに耐えるためにアーチをかけまくっていて、ひどく狭苦しかった。飾ってあるのも、スペインのきいたことのない連隊の軍旗や木でつくられた大砲でろくに掃除もされずに埃がたまっていた。誰一人いないのだ。この展示物を守ったり、掃除したりするための人間が。南北戦争や世界大戦を記念した塔なら、こんなことはあり得ない。
三人はマイルストーン将軍の肖像画を探した。ライナー・ポーターから将軍の人相をきかなかったのは手落ちだった。こんな寂れた博物館でも将軍の肖像画は百五十ぐらいある。
結局、片っ端から傾けた。百二十か三十くらい傾けて、ようやくあたりを引いたが、そのころにはどの将軍も同じ顔に見えていた。まるで世界一タフな女性が一人で一度にこの将軍たちを孕み、産み落としたかのように顔がそっくりになっていた。
正しい絵を傾けると、骨董銃をかけた壁が動いて、入口が開いた。下り階段が続いている。
階段を下りた先には電灯で照らされた真っ白なホテルのロビーのような場所。
酒瓶やグラスをほったらかしにしたバー・カウンターとKKKを創設したフォレスト将軍の像。
正面には大きな白い両開き扉があって、左右にショットガンを手にしたKKKのメンバーがいた。
キシュ! キシュ!
シーツに開けた穴から侵入者を目視するより先に、エリスがサイレンサーをはめたルガーで二人の胸を撃ちぬく。
ジャンのトランプがツバメのように飛んでいき、バー・カウンターの陰で古い大口径リヴォルヴァーを構えていた白シーツの男の喉を切り裂いた。トランプはそのまま後ろに立ててあったウイスキーの瓶を三つ、きれいに切断した。
二人の見事な連携に、ファウストは、たまらないね、と首をふった。
「音のしない手口。すごくプロっぽいよ、二人とも。でも、僕はじゃんじゃん音を鳴らすつもりだから、ごめんね。大枚はたいたストラディバリウスだからね。奏でてこそだよ」
ファウストはヴァイオリン・ケースを開けた。中身が本物のストラディバリウスでないくらい、ジャンも気づいていた。ビロードの内張りには、木と鉄でできた様々な形の銃の部品がはめこんであった。
ファウストはそれを手慣れた様子で組み立てた。
――トンプソン機関銃。45口径。全長85.1センチ。重量は5キロ。装弾数は二十発、三十発、五十発、そして百発。一分間に六百発を発射できる。1923年、ボストンでモリス・“ファッツ・モー”・ゴールドスタインを蜂の巣にするのに使われて以来、この銃はギャングの抗争に欠かせなくなり、中折れ帽やコートと一緒にギャングのシンボル・アイテムとなった。
ファウストは五十発入り円形弾倉を装填し、ボルトを引いた。最初の一発が薬室に装填される音をきいて、うっとりとした顔をした。この男もちょっと人としての軸がずれているのかもしれない。
「この扉を蹴破ったら」ファウストは扉の前で機関銃を腰だめに構えた。「止まらないこと。とにかく動き回っていれば、相手の弾は当たらない――たぶん。でも、いい経験になるはずだ。銃弾が飛び交っているのに自分に当たらないっていうのは、なかなかいい気分になれる」
ファウストはドアを蹴破ると同時に引き金を絞った。
けたたましい銃声とともに、四人のクランがなぎ倒される。
白いホール。白ペンキで塗ったベンチに百人以上いるKKK。
南部連合旗とフォレスト将軍の騎馬像。そして、演壇の左右には噴水があった。
演壇は三十メートル先。
そこに太った大男がいた。紫色の衣装で頭巾を剥いでいる。
インディアナ名士年鑑で見た顔――D・C・スタッドソンだ。
走る。頭巾を血だらけにしたクランが倒れる。それを飛び越える。
気配。振り返る。背後で大男が斧を上段にふりかぶっている。
――くそっ。やばい。
ポン! と斧男の頭がはじけた。
エリスだ。サイレンサーから一筋の煙。すぐに人ごみに見えなくなる。
クランの半分は武器を持っていない。
持っているうちの半分はろくに使い方を知らない。
だが、残り半分は油断がならない。
ダダダダダダダダッ!
銃声。血。硝煙。ファウストの機関銃がクランを次々と細切れにしていく。
その端整な顔が心からの哄笑で歪む。心から人殺しを楽しんでいるようだった。
ファウストの背後にクランが二人。
両手にリヴォルヴァーを手にしたチビと二連式のショットガンを構えたデブ。
ジャンが天井へカードを放った。
火花が散って、鎖が切れ、武骨な鋳鉄製のシャンデリアが二人のクランを紙細工のようにつぶす。
演壇へ目を戻す。青いシーツの男に守られながら、D・Cが舞台の左へ逃れようとしている。
浅すぎる呼吸。めまい。それでも走る。
邪魔立てするやつを片っ端から切り裂き、切り裂き、切り裂きまくる。
床に血だらけのシーツが重なっている。
靴が足ごと転がっている。
白いシーツの地獄がそこにあった。
演壇まで手が届き、何とか舞台の上へ転がり込む。
紫の衣装が目の端に見えた。それに青いシーツの男が。
青シーツの袖から短剣が二本、手のひらに滑り込む。鷹のように両腕を広げて、とびかかる。
カードを放つ。短剣が閃き、次々と切り落とされる。
左腕に痛み。気づくと、浅くだが切られている。
斬撃が目に見えない。今度は右の腿を切られる。
ジャンは右手でカードの束を握り、たわませ、親指を滑らせる。
カードがホースでばらまいた水のように青シーツにとびかかる。
目くらましで稼いだ貴重な間合い。カードを顔めがけて三枚一度に放つ。
二枚が真っ二つに切り落とされたが、最後に一枚が頭巾を切り裂き、青シーツの顔があらわになった。
少年だ。自分と同い年ぐらいの。
頬に浅くない傷。血が垂れて、青い衣装に黒く染み込んでいく。
その顔は憎悪に満ちていた。長い睫毛に縁取られた瞳のなかで大きな十字架が燃え上がっていた。
こいつは気に入らないのだ。ジャンが自分と同じ人間であることが。
自分とD・C以外のあらゆる人間が自分と同じ人間であることが気に入らないのだ。
喉の奥から獣のような咆哮を上げながら、切りかかってくる。
カードを放つ。目の前の少年ではなく、後ろで逃げようとしているD・Cの背中へ。
背中にカードが刺さったD・Cの悲鳴で、少年が一瞬怯んだ。
ジャンが肩から少年にぶつかり、そのまま噴水へ落ちる。
少年に馬乗りになり、首を両手でつかみ、水のなかに押しつけ続ける。
両手をばたつかせ、短剣が虚空を切り裂く。
ジャンの手のなかで喉がつぶれた。
泡と一緒に血が吐き出され、水がみるみる赤くなっていく……。
ファウストに襟首をつかまれ、引きはがされて、ジャンは我に返った。
「もう死んでる。これを」
ファウストがトンプソン機関銃をジャンに手渡す。銃の重さが冷たく濡れた手に妙に馴染んだ。
「肩をやられた。骨はやられてないけど、ストラディバリウスを満足に弾けるほど軽くない」
「手当は?」
「自分で何とかする。それよりD・Cを追うんだ。のんびり使い方を教えるヒマはないから要点だけ言う。撃つときは低く狙って、絞り込め。それで殺れる」
大きな銃を抱えて、ジャンは舞台裏の階段室に入った。螺旋階段を上り、最後の踊り場の開きっぱなしのドアを通り抜けると、路地のような場所に出た。
道を挟むアパートの窓から洗濯物が張り渡され、鉄製の非常階段が錆びた梯子を垂らしている。
鉄の塊をかかえて、階段を走るように上ったせいだろう、一瞬、息が上がって、目がくらんだ。
いや、違う。
ライトをつけた黄色いデューセンバーグがエンジンをうならせて、走り出すところだった。
軽快なエンジン音を立てて、デューセンバーグが真っ直ぐ走ってくる。ちらりとだけ見たファウストの射撃姿勢を思い出しながら、トンプソン機関銃の説明書に載ってもいいくらいにきれいな膝撃ちの姿勢を取った。
ファウストの唯一の教え――低めに狙って引き金をゆっくり絞るように引く。機関銃はクスリの切れたヤク中のようにジャンの腕のなかで暴れた。銃弾は道に突き刺さったが、すぐジャンは銃を御すコツを飲み込み、狙いを車に絞ることができた。
45口径弾は直列八気筒エンジンをボコボコの穴だらけにし、パリの馬車職人に特別にあつらえさせたボディをズタズタに切り裂き、十発以上の弾丸がハンドルを握るD・C・スタッドソンの顔と首と胸にめり込んだ。
デューセンバーグは狭い路地で蛇行運転を始め、左右の壁へ悶える闘牛のようにぶつかりながら、めらめらと燃え始めた。咄嗟にアパートの避難梯子に飛びついたジャンのすぐ足元を、デューセンバーグが走り去る。炎が靴底を焦がすくらいの近さで通り過ぎ、インディアナ州が誇る最高級車は横転しながら、大通りに飛び出して、インディアナ州をポケットにいれて好き勝手に使った男ごとバラバラに吹き飛んだ。