明日お前は死ぬ。お前は何を為した?
インディアナ州。ブリックス。
州道122号線を南下する車列があった。時代遅れだが修理が容易なT型フォードのセダンが二台にトラックが八台。トラックの一つは大きな羽目板の看板を載せていた。
『アブドル・カシムとエジプシャン・サーカス』
ペンキが剥げかけた看板にはそう綴られていた。アブドル・カシムとはこのジプシー・サーカス団の団長のことだ。恰幅がよく、大きな顔に大きな口でよく笑い、好物はポークチョップ。そもそも彼はエジプト人ではない。本名をイアン・サヴェリネスクというルーマニア系のロマだった。
『アブドル・カシムとエジプシャン・サーカス』にはそもそもエジプト人は一人もいない。ただ、エジプトという言葉が匂わすエキゾチックなところを利用しているに過ぎなかった。
サーカスはテントやら鰐やら興行に必要なものを全て車に乗せて、アメリカのあちこちを旅していた。メイン州とウィスコンシン州のあいだにある州全てで公演をして、今はインディアナ州でどこか落ち着ける空き地はないかと車を走らせていた。
流行っていない食堂や水はけの悪いくぼ地ばかりが目立つ田舎でときおり何をして暮らしているのか分からない大きな家が見えたりする。
そのうち団長のアブトル・カシムはもってこいの空き地を見つけた。客が来たくなくなるほど町から離れていないし、「ジプシーどもを追い出しちまえ!」と石を投げられるほど町に近くない。
「じゃあ、ここに陣取ってみるかな」
団長の号令で車が空き地に流れ込むと、怪力男がテントを引っぱり出し、蛇女は蛇に水浴びをさせるために、髭女は髭に潤いを与えるために空き地の裏手に流れる小川に向かった。小人と巨人は舞台衣装の入った箱を持っていき、虫干しさせた。学者犬は量子力学に関するドイツ語の論文を口にくわえて、気持ちのよい木陰に寝そべった。
「ジャンはどこだい?」
団長がきょろきょろあたりを見回した。
「あれえ、いねえぞ」
「ほんとだ。いねえよ」
団員の何人かはポケットを裏返した。まるでジャンが小銭に紛れてそこにいるかのごとく。
「ポケットにいるわけねえだろ! ボケ!」
「なんだと、このやろー!」
「やんのか、テメー!」
団員同士が荷物もそのままにして取っ組み合いを始めた。団長はそれを止めようとしたが、不運な一撃を顔面に食らってのけぞって倒れた。
それを横目に一人の少女がトラックのまだ荷箱が降りていないほうへと歩いていった。黒い髪、大きな瞳、表情豊かな唇、鼻はツンと少し上を向いていて、まさにジプシーの踊り子といった感じ。もう二十歳を越えているように大人びて見えたが、本当はまだ十六歳だった。
「ジャン! そこにいるんでしょ!」
少女――一座切っての踊り子で団長の娘ナディアが威勢よく声を上げた。そして、荷箱の下にあるつっかえ棒を蹴飛ばすと荷箱が傾き、
「うわわああああ!!!」
荷箱の上から少年が一人落ちてきた。少年はゴロゴロとそのまま地面を転がって、くぼ地にはまり込んでピタリと止まった。
「いってえなあ」
「ほら、立った、立った! テントもまだ立ててないんだから」
少年は寝ぼけた目を何度かこすって立ち上がった。頭の二、三回振ると、少し眠気が飛んだらしかった。
「ほら、ついてきて」
「ナディアさんよ。どうせならもっと優しく起こしてくれよな。毎度毎度、あんなふうにビア樽か何かみたいに転がってちゃ、そのうちケツが割れちまうぜ」
「そんな減らず口が叩けるなら、もう働ける証拠だね。ほら、はやく!」
少年はフアアとあくびをした。
空き地の中央ではみなが少年の到着を待っていた。何せサーカス・テントの大柱を立てるのだから。これだけは団長から何からみんなで一丸になって立てると決めているのだ。
「ジャンが来た。そろったぞ」
さあ、皆の衆、ひとつお願いしようか! 団長が声を張った。
おーっ! 男も女も威勢よく返事した。何が楽しいって地面にぺちゃんこになったテントがむくむく大きく立ち上がるのを見るのは爽快だ。まるでピラミッドを作り上げたみたいな充足感が得られる。
そおれ! 怪力男が、髭女が、空中ブランコの兄妹が、占い師が、ロープを引いた。肉体労働を嫌う学者犬もロープをくわえて、ぐいぐい引っ張った。
「あと少しだぁ!」
「それそれぇ!」
サーカス団がみんなで引いた樫製の大柱は見事地面に立ち上がった。こうなれば、たとえハリケーンがきても倒れることはない。
やんややんや。サーカス団員ははやし立てる。しょっちゅう口喧嘩するし、どちらかが鼻の骨を折るまで殴り合ったりするが、それでもサーカス団は大きな一つの家族だった。本物の家族を知らないロマの一つの家族だったのだ。
ジャンもすっかり眠気が飛んだ。サーカスのメイン・テントの大黒柱を立てるのは何度やっても気分がいい。もし、明日死ぬことが決まって、お前はこれまで何をしたと神さまに偉そうにたずねられたら、あの柱を指差して、あれを立てた、と胸を張れる。
ジャン・バティスト・ルトロン――サーカスのカード・マジシャンにして、ロマの〈守り手〉でもある少年はそう強く思うのだった。