名前をなくした少女
誤字・脱字、設定のミスはご了承下さい。
あるとき、ある場所で一人の赤ん坊の女の子が生まれた。
珍しいことにエルフと人との間に生まれた子だった。
もちろん、ほとんど悠久と行ってもいい時間を生きるエルフと短い命の人という組み合わせも珍しいと言えば珍しいが、それだけなら、前例などいくらでもある。
しかし、問題はその少女だった。
普通であれば、エルフと人のこの間に生まれた子は、どちらかの血を色濃く受け継ぎ、エルフか人かどちらかになる。
エルフの血が濃ければ永遠の寿命と長い耳を、人の血が濃ければ100年にも満たない命と何の変哲も無い人の体を。
だが、その少女は違った。
一見女の子の見た目は普通の人そのものだった。
母譲りの人外めいた美しさを持ち合わせていたが、耳が長いわけでもなく、周りも少女が人として産まれたのだろうと思った。
いつしか時は過ぎ、小さかった少女はすくすくと育っていた。
少女の両親は、特定の家を持たずに旅をしていた。
母は相も変わらず老けなかったが、父は確実に年を重ねていた。
それでも仲良く三人の旅は続いた。
それは、少女が12の時だった。
たまたま立ち寄った村が、魔族に襲われた。
魔族というのは、その姿はほとんど人と同じだ。
しかし、中身はまるっきり違う。
人よりも高い身体能力と人の何倍もの寿命を持ち合わせ、さらにはそのほとんどが固有の魔法を持つ。
いわば、言葉を話す、人の形をした魔物だ。
そして、古来より魔族たちは人を食料とする。
少女の両親は、旅をしながら冒険者を生業としており、強い部類だった。
今までにも魔族と戦ったことだって何回もあった。
だから、少女は村の人々と見つからないように息を潜めているときも、いつも通り魔族を倒して自分を迎えに来てくれると信じて疑わなかった。
しかし、両親が少女を迎えに来ることはなかった。
両親は果敢に戦ったが、相手が悪かった。
相手の魔族は、何百年と生きる古株だったのだ。
魔族の強さは基本生きた年数に比例する。
両親の奮闘で、魔族を追い払うことには成功したが、その代償として両親はその命を散らした。
呆然とする少女に、その村の村長は言った。
「貴方の両親は、私たちのせいで命を落とした。代わりになれるとは思わないが、その分貴方を愛情を持って育てよう」
その日から、少女はその村の一員となった。
あの時の言葉通り、村長をはじめとする村人たちは少女を実の家族のように扱った。
そのおかげか、次第に少女は笑顔を取り戻し、村のために働くようになった。
また、少女は母から才能を受け継いだのか、魔法にも長けていた。
魔法が使えれば、魔物や魔族と戦うことが出来る。
そうすれば、またあの魔物が来たときに、誰かを失わなくて済む。
少女は仕事の合間に魔法の練習をして、成長するにつれてその才能を開花させた。
そうして、少女は村の中で健やかに成長していった。
しかし、幸せな時間は永遠とは続かない。
最初の違和感は、少女が20を越えたときだった。
もはや少女と呼べる年齢ではなかったかもしれないが、少女の見た目は16、7で止まっており、丁度少女のそれだった。
しかし、この時は単にそういうものなのだろうと自分に言い聞かせていた。
20程度で若い見た目の者など珍しくはない。
そう言って、変に音を立てる心臓を、見て見ぬふりをしていた。
だが、現実は非情だ。
確信したのは少女が30を越したときだ。
その年齢に達してもなお、少女の見た目は変わらなかった。
少女は自分の異質さに動揺した。
しかし、
「きっと君は特別なのだろう。だが、例え君が永遠の寿命と姿を持っていようと、私たちの家族であることに変わりは無い」
村人たちは、少女のことを偏見の目で見ることなく受け入れた。
村人たちは少女がハーフエルフであることを知っていたし、なにより少女のことを大切に思っていた。
だから、少女はこの村のことを自分のすべてを持って守ろうと思った。
それから、いつしか時は過ぎ。
最初に少女に手をさしのべた村長は天寿を全うし、時折お菓子をくれた男の子は結婚し、子を産んだ。
魔法を褒めてくれた女の子は、外の世界が見てみたいと村を出て行った。
本当に沢山のことがあった。
大切な誰かが死に、しかしその子や孫が続いていき、つながっていく。
変わることのない少女は、誰かが居なくなるたびに悲しくなったが寂しいと思うことだけはなかった。
どう変わろうと、その村が大切であることには変わりない。
この温かい自分の居場所を、この永遠とも呼べる命が尽きるまで守り続けたい。
これが自分の人生なのだろうと、この時は信じて疑わなかった。
その信頼が、侵食されていったのはいつからだったのだろうか。
あの日から何百年とたった頃。
村ではある噂がよく聞かれるようになった。
―――いわく、かの少女は魔族の手先であると。
なんてことのない、いつか自然消滅していくような軽い噂だった。
だが、消えることなく、それは次第に本物になっていった。
少女はエルフの寿命を受け継いでいたが、その見た目は人だ。
そして、魔族も長い命と人の見た目を持つ。
もちろん、少女は間違っても魔族などではない。
だが、そんなことは端から見ては分からない。
少女がエルフの血を引く証拠など、出せないのだから。
だから、ついに村人たちがその噂を信じてしまうのも無理はなかった。
「やだっ、やだっ!いやっ、やめてぇっ」
乱暴に縄をかけられる。
必死で抵抗するが、大の男に取り押さえられて虚しく終わる。
「っ、ん、―――んぅ」
叫び声を鬱陶しく思われたのか、布で猿ぐつわをされる。
少女が本気で抵抗しようと思えば、長年磨いてきた魔法でどうにでもなったが、しかし相手は少女が大切に思う村の住人だ。
今少女を無理矢理運んでいる人だって、ほんの少し前までは野菜を分けてくれて、一緒に談笑をしていたのだ。
いくら自分の危機と言えど、大切な人を傷つけることなど少女にはできなかった。
ドンッ―――ガチャリ
荒く縄と猿ぐつわを外されると、牢に押し込められて鍵をかけられる。
床に叩きつけられたせいで、腕や足が痛い。
「いやっ、やだ!助けて!」
鉄格子にすがりついて、何度も叫ぶ。
しかし、その声を拾う人は誰一人としていない。
「…ねぇ、助けて」
いくら悠久の時を生きる少女も、永遠に叫び続けることは出来ない。
「なんでぇ…」
こうして、少女の声は次第に小さくなり、いつしか消えていった。
それからまた何百年の月日が経った。
少女の入れられた牢は堅く、また魔法の効かない素材で出来ていた。
だが、不幸中の幸いなのか少女を殺せば呪いが降りかかるという噂が出回っていたおかげで、殺されることはなかった。
光の一筋も差さない牢の中、日に二回食事が運ばれてくる。
春が過ぎ、夏が来て、秋が終わり、冬が明けてまた春を出迎える。
しかし、牢の中は暗闇で、長い年月の中少女は自分の名すら忘れていった。
そんなある日のこと。
微かな物音に気付いた。
時間間隔はとうの昔に狂っているが、それでもまだ食事係が来るには早い。
冷たい壁にもたれかかっていた体を起こすと同時に、衣擦れの音がする。
その音に気付いたその者が、怯えたように声を出す。
「…だれ?」
暗闇の中発せられた声は、何十年ぶりかに聞いた、少女のものではない声だった。
「…ねぇ、だれかそこにいるの?」
幼さ故の高く、舌足らずな柔らかい女の子の声。
ここにはそんな子が来ることはない。
「…あなたは迷子?」
久しぶりに発した声は、少しかすれて上擦っている。
こんなことなら、一人ででも喋る練習をしておくべきだったと後悔する。
突然の声に、女の子はびっくりしたのか。
しかし、怯えながらも返事を返す。
「…うん」
怖がりながらも、この暗闇の中蝋燭の火の一つも無くいるよりは、何者かわからずとも誰かが居る方がいいのか、ぽつりぽつりと話す。
「いえのなかをたんけんしてたら、いつのまにかここについちゃったの」
今はどうなっているのかわからないが、少女が閉じ込められたのは代々村長の住まう家で、確かに探検するには十分な広さを持つ。
「どうして貴方はここにいるの?」
「…私が、バケモノだからだよ。だから、もうここに来たらだめ」
だが、いくら子供と言えど無闇にここに来るのはよくない。
何百年も前の話なので、今もそうなのかは怪しいが自分が覚えている道を教えて、少女はそう言った。
しかし、ここで少女の予想とは違う展開になってくる。
一度は返した女の子だが、折を見て少女の元にやって来るようになったのだ。
最初の頃は早く戻るように言っていた少女だが、何回言っても聞かない女の子についには折れた。
それに、少女にしても久しぶりに自分を恐れず話してくれる女の子といるのが嬉しかったのだ。
女の子、その子の名前はジェシカと言ったが、ジェシカとはたくさんの話をした。
「今日はね、算数の勉強をしたんだ」
「何を教わったの?」
「足し算と引き算。まだ間違いも多いけど、正解したらみんな褒めてくれるの」
「そっか。えらいね」
「貴方の好きな食べものは何?」
「好きな食べ物かぁ。たくさんあるけど、私はサンドウィッチが好きだよ。君は?」
「私はね、母様の焼いてくれるクッキーが好き。誕生日にはいつも用意してくれるんだ」
そして、大切な約束も。
「私はね、いつかここを出て旅をしてみたいんだ」
「村長にはならないの?」
「うん、今度弟が生まれるの。だから、その子が村長になるんだ」
「へぇ、それはおめでとう」
「ありがと。だからね、いつか貴方も一緒に旅できたら良いな。どうかな」
「それは素敵なことだけど、私はここから出られないよ」
「大丈夫、私が大きくなったら出してあげるよ」
「…もしも、私が悪者で君を騙して出ようとしていたらどうすの?」
「そんなことないよ。だって貴方は優しいもの」
「……」
「あ、そうだ。貴方は名前を忘れてしまっているんでしょ?今は二人だから困らないけど、いつか外に出るときには困るよね」
「そうだね、なら、君がつけてよ」
「ええぇ。責任重大すぎるし、今すぐは無理だよ」
「そうかな?なら、外に出るときまでに考えといてよ。ほら、約束」
「うん、わかった。考えておく。とびきりの名前をつけてあげるよ。約束ね」
そうして、鉄格子越しに指切りをした。
もちろん少女は、この約束が実現するとは思っていなかった。
なにせ、少女は人々にとっては魔族なのだ。
村長でもないジェシカの一任で牢から出せるわけもない。
だから、指切りをしておきながらも守られることのありえないはずだった。
しかし、少女の思いとは裏腹に思わぬ形で、この約束が半分だけ果たされることとなる。
それは、とても唐突だった。
いつも通り冷たい牢の中でジェシカを待っているとき。
―――ガタッ、パチパチパチ
騒々しい物音と、何かがはじける音がした。
そもそも少ない牢の訪問でも、こんな乱暴な音はしない。
世話係の者は恐る恐るだし、ジェシカも家の者にバレてしまわないよう音を立てないようにしている。
何者だろうと少女が身構えていたとき、少女の鼻をある臭いがくすぐった。
「…煙」
つまりは、火の臭い。
火事か何かだろうか。
先程の音は炎によって扉が燃え落ちる音だったらしい。
いまだ視界は真っ暗だが、音の響く地下を伝って少女の耳にまで届いたのだろう。
例えなんであろうと、少女に出来ることなど無いのだが、少しでも煙を吸わないように牢の奥に身を寄せる。
魔族と言われている少女を助けに来る者などいないだろう。
こんなところで死ぬとはなかなかに寂しい最期だが、ここに入れられた時点で似たようなものだ。
そのとき―――
―――ガン、ガンガン、ガラガラ、ドンッ
明らかに人工的に叩かれた音。
火によって、明かりが持ち込まれるとともに一つの人影が映る。
火の光に照らされて、鮮明に浮かび上がるその顔は、茶色の髪と瞳の愛らしい顔立ちの少女だ。
年は十代半ばと言ったところか。
少女にとっては初めて見る顔だが、しかしその少女が何者かは言われずとも分かっていた。
「ジェシカ!」
「ごめんね、遅れちゃって」
そう言って笑いながら、ジェシカは少女の閉じ込められている牢の方に近寄ろうとするが――
途中でふらりと体が崩れ、壁にもたれかかる。
驚き、ジェシカのそばに行こうとするが、鉄格子に阻まれ叶わない。
「っ!その傷――」
ジェシカの腹の部分には、服の上からでもわかる刺し傷があり、おびただしい量の血が流れていた。
ジェシカが、そろりそろりと壁を伝って少女の方へとやってくる。
「何百年と現れてなかった魔族が来たの」
「――っ!」
「村の人々はもうほとんど殺された」
傷が深いせいか、囁くようにジェシカが言う。
「でも、せめて、貴方だけは助かって欲しい」
シャラリ、と音がする方へ目を向ければ、ジェシカの手には少し古ぼけた銀の鍵が握られていた。
それを、少女の手に握らせると同時にジェシカが崩れ落ちる。
「ジェシカっ」
急いで鍵をあけ、飛び出すように牢を出るとジェシカの体を抱き上げる。
だが、出血量が多い。
いくら治癒魔法をかけようと、もう助からないだろう。
「…ふふ。貴方って、本当に美人さんだったんだね」
「…っ」
少女の顔を下からのぞき込みながら、ジェシカは微笑む。
それは、少女を安心させるための笑みだった。
そして、自らの最期を悟った笑みでもあった。
今にも溢れそうな涙を、必死に食い止める。
なんで、自分はこんなにも無力なのだろうか。
あんなにも頑張って、村の人々を守りたいと練習した魔法も、ジェシカの傷を治すには至らない。
「…ごめんね。そんな顔させて、色々約束守れなくなっちゃった」
「もういいよ」
喋るたびに傷に響くのか、少し顔を歪めるジェシカが痛々しくて。
謝る声が何故だか腹立たしくて。
そんな顔をさせたいんじゃなかった。
約束なんて守れなくたって、ジェシカが笑っていてくれるなら、何だってよかった。
なのに―――。
「ありがとう。貴方は、貴方の人生を生きて」
その言葉を最後に、ジェシカの命が燃え尽きた。
動かなくなったジェシカの体を、もう一度強く抱きしめてから、丁寧に壁にもたれかからせる。
「…ばいばい、ジェシカ」
ゆっくりとジェシカの穏やかな顔から、視線を外して立ち上がるときに少しふらつく。
長いこと歩いてなかったせいなのか、それともジェシカの死が衝撃だったのか。
もしかしたら両方かもしれない。
一歩一歩確かめるように足を踏み出す。
少女がのろのろしている間に、火の手がまわる。
炎は今にも少女に覆い被さろうとしているが―――
―――ジュゥゥ
少女が手を一降りするだけで、炎はあっという間に凍りづけにされていく。
手を振ったのはそれが最後で、その後は少女が視線さえも投げかけずに勝手に凍っていった。
崩れかけた地下からの階段を踏みしめる。
そのたびに何百年もの間切られることのなかった、少女の身長を軽く超える長さの銀の混じった白髪が、ずるずると引きずられている。
歩くのには邪魔だ。
あとで切ろうと思いながらも、歩みを進める。
そうして地上へと出たとき――
少女の目には、緑のツタに胸を貫かれ宙へと浮いた人々が映る。
その中心には、そのツタを操る人と同じ形をしたモノがいる。
ソレは少女の気配に気がついたのか、少女に視線を向ける。
ソレは、少女を人として捉えていなかったが、それでもわずかな同情が湧いたのか。
まるで神が、道端に捨てられた赤子を助けもせずに哀れむように、口を開く。
「…生き残りか。だが、その運も今尽きたな」
そう呟き、緑のツタを少女に向けて放つ。
ツタは主人の命に従い、常人では目で追うことすら叶わない速さで少女に迫る。
しかし―――
―――バチンッ
目に見えない何かが、ツタをはじいた。
「――お前っ」
防がれることを夢にも思っていなかったのか、ソレは驚いたように目を見開く。
しかし、少女はソレの表情などに構わずに、おもむろに手を上げる。
少女が何をしようとしているのか気付いたソレは、一気に焦ったような顔になった。
「やめっ――」
ソレの懇願に目もくれず、少女が手を振った瞬間。
―――バシュッ
ソレの首が、綺麗に切り裂かれた。
少しの間をあけて、ゴトリ、とソレの首と胴体が地面に落ちる。
たった一つの大きな傷口から、流れる血は赤い海を作った。
「死んだ…」
ジェシカを死へと追いやった元凶が、こんなにもあっけなくその命を散らすとは。
正直、予想外だ。
「…これから、どうしよう」
周りを見渡すが、そこにあるのは瓦礫と化した、家の残骸だ。
あまりにひどい惨状過ぎてここが村であったことすら、一目見ただけではわからない。
また、すでにアレが操っていたツタは力なくそこらに散らばっているが、見たところ少女の他に生存者はいないようだ。
とはいえ、今の村の住人のことを少女は知らないし、唯一の友達であったジェシカは死んだ。
昔のように守るべきものも、果たすべき目的も、何もない。
ジェシカが生きているのであれば、違ったかもしれないが。
でも、いまだ尽きる様子のない永遠の命だけがここにある。
そのとき、ふと脳裏に一つの声が響いた。
―――『私はね、いつかここを出て旅をしてみたいんだ』
―――『だからね、いつか貴方も一緒に旅できたら良いな』
「…旅でもしてみようかな」
旅に出れば、何か自分のやりたいことができるかもしれない。
それまで、あの子が憧れていた夢を、代わりに叶えてあげるのも悪くない。
あの子は自分に、自分自身の人生を生きろと言ったけど。
まだそれが見つからないうちは、あの子の望みが自分の人生だ。
「あっ、名前はどうしよう。これから先は、必要だよね…。まぁ、いっか。きっとなんとかなるでしょ」
こうして、一人の名前を失った少女の、もう一度名を得るための旅が、はじまった。
ちなみに。
あのツタの魔族は、少女の両親を殺した魔族です。
本文に入れようかなと思ったんですけど、名前も忘れてしまうほどの年月が経った今、そもそもその魔物を見たかどうかも怪しい少女がそれを覚えているのもどうなのかと思い、こぼれ話になりました。
あと、これもまたど忘れなんですが、少女の力はかつての両親を軽く越えています。
何百年も練習したんで、当然ですね。
牢の中でも、暇すぎて魔法の基礎練ぐらいしてたでしょうし。
これは、序章ということで、あといくつか話を書くつもりなんですけど、如何せん僕なので。
まぁ、いつかどっかで機会があったら書きたいなぁぐらいです。
読んでいただき、ありがとうございました。