悪役令嬢だったお嬢様の心の声が俺にだけ聞こえる件について
『お嬢様が木の上から落ちた』
そのニュースは瞬く間に屋敷中に広がった。日頃からわがままばかりのお嬢様だ。あれを持ってこいと言われ、持っていけば気分がならなくなったと床に投げ捨て、気に入らないことがあればすぐに使用人を解雇する。だから、痛い目にあって少し胸がスカッとした。
これは俺だけではなく、屋敷中の使用人全員の意見だ。お嬢様は嫌われている。
落ちた後、お嬢様は三日三晩ほど寝込み、その間は本当に平和だった。お嬢様に出くわす心配もないのだ。
「アレン、ちょっと来なさい」
「なんでしょうか、執事長」
いつも通り業務をこなしていると、いかにもセバスチャンといったなりの老紳士がそっと俺を呼ぶ。執事とはいえど、下っ端の俺が執事長と話す機会なんて滅多にない。……なんだろう、とても嫌な予感がする。
「お前に重要な役目が与えられた」
「役目……ですか」
「エリーナお嬢様の専属執事に任命されたのだ」
「……は?」
思わず惚けた声が口から出る。その瞬間、執事長にギラッと睨まれ、慌てて口を閉じた。
「……お嬢様に仕えることになるのだから、言動には気をつけなさい」
「申し訳ありません。それで、一体誰が私めをお嬢様の専属執事に?」
自慢じゃないが、お嬢様と関わるのが嫌すぎて、俺は今まで会うのを避けてきた。だから面識もないはず。
「……お嬢様だ」
意味がわからない。
「私だって、お前が任命された理由はわからない。だが、お嬢様がお望みで旦那様が決定された以上私たちに拒否権などはない。……粉骨砕身で努めるんだな」
執事長は最後にボソッと不穏なことを言うと、これ以上関わりたくないとでも言うかのように、俺1人部屋に残して去っていった。
次の日、朝早くから俺はお嬢様の部屋の前に立っていた。中に入りたくない。これからあのわがままお嬢様の相手をしないといけないなんて、めんどくさいことこの上ない。……でもクビになるのも困る。
覚悟を決め、ノックをした後に部屋へ入ると、お嬢様は白い天蓋ベッドの中で、流れるような長い金髪をシーツの上に広げ、座っていた。
「あら、あなたが……今日からよろしくね?アレン」
『うわぁぁあ!アレンだ!夢にまで見たアレン!なんてかっこいいの!まさに理想!推し!推しが眩しすぎてつらい、死ぬ死ぬ死ぬ』
なんか、可憐な声とは真反対の図太いよくわからない声が同時に聞こえたような……。周りを見渡し、最後にお嬢様を見ると、向こうもこてっと首を傾げて、透き通った湖のような瞳でこちらを見つめてくる。
相変わらず見た目だけは妖精のように美しい人だ。
……あのわがままさえなければな。
「なにかしら?」
まずい、ここでお嬢様の機嫌を損ねてしまっては。クビにされたらたまったもんじゃない。
「本日よりエリーナお嬢様の専属執事に着任させていただきましたアレンと申します。精一杯努めさせていただきますので、よろしくお願いします」
「……えぇ」
『……尊い、尊いがすぎる!あのお辞儀をするときにさらりと落ちる黒髪、それに合わせて伏せられる黒い瞳!なによりもあの黒い革手袋につつまれた長い指が魅力的……。夢じゃないよね?目の前に本物のアレンがいるよね?』
俺はおかしくなったのかもしれない。さっきから俺を褒め称える声が聞こえる気がする。
「……朝食のご準備をさせていただきます」
目玉焼きにベーコン、それにクロワッサン。蒸らしておいた紅茶をカップに注ぎ込む。
……なんかすごい視線を感じるな。
ちらっと、視線の方を見ると、お嬢様がこちらをガン見していた。
「あの」
「なんでもないわ。今日も朝食おいしそうね」
『アレンが動いてる!これから近くであれやこれやを見れるなんて、もう今から幸せすぎて死んじゃいそう』
「は、はぁ」
あ、しまった!思わず聞こえてくる訳わからない声に反応してしまった。
「え?」
焦っているとちょうど扉が開き、執事長が部屋に入ってきた。
「エレーナお嬢様、失礼いたします」
「あら、何か用?」
『見るからに老紳士って感じ……うーん、攻めかな』
攻め?攻めとはなんだ?
「レオナルド王子が午後から訪問したいとのことで」
「そう……」
「……お嬢様、どこかお加減でも悪いので?」
執事長がお嬢様に尋ねる。
……お嬢様の様子がおかしい。
いつもなら、レオナルド王子が来ると聞いた途端舞い上がって、支度を始めるのに。
「なんでもないわ」
『当日に知らせをよこすなんて。こっちだって色々準備があるのに。あぁ、でも見た目だけはいいから色々妄想できるのはいいかも。うん、今日のお茶会はひたすら想像して楽しもう。それがいい』
「そうですか?では……アレン、エレーナ様のご準備を」
「はい」
『はー、やっぱり執事いいわあ。老紳士×アレンが至高よね。仕事中にミスをしてしまうアレン、そこに執事長が来て……
[何してるんですか、アレン]
[あ、やべ]
[なんですか、その口調は。大体貴方はいつも]
[わかりました、わかりましたから]
[絶対わかってないでしょう]
アレンに詰め寄る執事長、後ろに下がるアレン。そこでアレンの背中が壁に当たり……
[生意気なのはこの口でしょうか]
ツーっと執事長の白い手袋に覆われた指がアレンの唇をなぞる
[もう一度躾直す必要がありそうですね]
……きゃーー!!!もうさいっこう!それでなんだかんだ流されて最終的にアレンと老紳士が』
「うわぁあ!な、何妄想してるんですか!あんたは!」
それ以上の展開を進めるな!実の上司とそんな関係になるなんて、気持ち悪くて吐きそうだ。
お嬢様がこっちを驚いたように見ている。大声を出した瞬間、嫌な妄想が終わったから、やはり妄想の持ち主はお嬢様で間違いないらしい。
「……アレン?」
トンッと肩に手をおかれ、恐る恐る後ろを振り向くと鬼の形相をした執事長がいた。
「後で話があります」
「……はい、承知しました」
「では、先にお嬢様のご支度を。私は失礼します」
最悪だ。説教が確定した。
執事長が部屋を出ていき、お嬢様と2人きりになる。
「……ねぇ、さっきの聞こえてた?」
「……なんのことでしょうか」
『執事長の指でアレンの唇が開かれる。そして……』
「わかりました!わかりましたから!聞こえてます!」
「やっぱりそうなのね……。アレン、貴方読心術でも持ってたの?」
「いえ、私にも何が何だか。聞こえるのはお嬢様のものだけですし」
「そう……。隠すのも仕方ないから言うわ。アレン、私は木から落ちた後、前世の私が好きだった素晴らしい文化を思い出したの。それはBL!男性同士の恋愛よ!」
「男性同士の恋愛ですか……」
「えぇ。もう思い出してから楽しくて仕方ないわ」
お嬢様がふふふふふっと笑う。
つまり、俺はこれから近くでずっとお嬢様のこの妄想を聞かなければならないのだろうか。
「貴方は私の推しだからよく巻き込んじゃうかもしれないけどごめんなさいね」
「推し……というのはよくわかりませんが、なるべく巻き込まないで欲しいです」
「それは無理な相談ね」
「えぇ……」
「さて、もうそろそろバカ王子が来るそうだし、準備を始めますか。アレンは出ていってちょうだい。侍女に準備させるから」
「いや、ここは俺が」
「貴方に色々と見られるのは恥ずかしいの」
お嬢様に部屋を追い出され、もてなしの準備をしているとレオナルド王子が来た。金髪の長いストレートの髪を後ろでポニーテールに縛り、碧眼を目を細めている。後ろには赤髪に赤目のガタイのいい騎士が控えている。
「おい、エリーナはどこだ」
「いらっしゃいませ、レオナルド王子。エリーナお嬢様はいま支度中でして」
来ると言った予定時刻よりも2時間早いのにまだ準備できているわけないだろう。
「ほう、公爵家は王族を待たせるのか」
「いえ、そう言うわけでは……」
「あまり、私の家のものをいじめないでもらえるかしら。レオナルド様」
エリーナ様が白いドレスを見にまとい、凛とした表情で階段の上からレオナルド王子を見下ろす。
「遅いぞ。王族を待たせるとは何事だ」
「……申し訳ありません」
『貴方が突然やってくるのが悪いんでしょうが!!このクソ王子!!』
全くもってその通りだ。お嬢様の声に全面同意しながら、応接間を手で示す。
「では、レオナルド王子、エリーナ様こちらへ」
「待て、エリーナが案内しろ」
「は?」
「使用人風情の案内などいらない。ホストが案内するのが当然だろう」
「……わかりました。私が案内するからアレンは下がっていいわ」
『石ころの分際でアレンになんて言う口を』
エリーナ様のこめかみがよくよく見ると引き攣っている。頭を下げて、見送った後ほっと息を吐いた。
どうやら、もうエリーナ様はあのボンクラ王子がもう好きではないようだな。公爵家の今後を考えると、王家とはいえども沈みゆく泥舟に積極的に乗らなくてよくなったのは良かったと見るべきか。
相当苛立っていたから、甘いものが必要だろうと思い、準備をしているとエリーナ様が勢いよくドアを開けて帰ってきた。
「あっっのクソ王子!!アレン!紙ある?紙!」
「はい、ございますが」
髪を机の上に置くと、どすんと音を立てて座り、一心不乱にエリーナ様は文字を書きながら始める。
『アラン王子はずっと御付きの赤髪の騎士の尻を見つめていた。そう、アラン王子はその騎士のことが好きだったのだ。王子という立場を利用し、その騎士にアラン王子はセクハラ三昧……』
「お、お嬢様?」
不気味な妄想が始まったので、声をかけるとお嬢様がこちらを振り向く。
「……なに?」
「えっと、何を書かれているのでしょう」
「決まってるじゃない。レオ……アラン王子とお付きの騎士とのラブストーリーよ」
「ラブストーリーという割には王子がクズだったような……というか今レオナルドって言いかけましたよね!?」
「えぇ、レオナルド王子をモデルにした物語だからね」
「何してるんですか!?あんたは!?」
「鬱憤バラシに。あ、そうだ。どうせだし描き終えたら御婦人方にも配りましょう。そして、意味深な目で見られて仕舞えばいいわ」
「そんなことしたら訴えられますよ?」
「あら、大丈夫よ。名前は変えるもの。そうね!このアイデアナイスじゃない!?これを機にblを広めて、仲間を量産するのよ!」
「……それは公爵家の令嬢として」
「あら、手伝ってくれないなら、ずっとアレンと執事長の物語を頭の中で繰り広げるけど?少しは自重しようと思ってたのになー」
「くっ……」
専属執事となった以上お嬢様の側はなかなか離れられない。その間ずっとそれを流されるとしたら精神的負担がものすごい。だからといってやめるのもダメだ。公爵家の給料は高い。この生活を手放したくない。
「……わかりました」
「うれしいわ!アレン!私と一緒に腐世界を作りましょう!」
お嬢様に手を握られ、ぶんぶん振り回される。
元のお嬢様と今のお嬢様どっちに仕えるのがマシだったのだろうか……。
死んだ目でただただ宙を見つめた。
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