第8話
「辞める言うても、今すぐやないで。来年の3月いっぱいで契約切れるから、そのタイミングでな」
「いや、そうやなくて、何で辞めてまうんですか?」
俺と同じくかなり驚いている様子の西口が尋ねる。
「何でって、そりゃお前、俺何年やって結果出てないと思ってんねん」
「……12年でしたっけ?」
「17年や」
「そんなん全然変わらんでしょ!」
「変わるわアホ!」
西口と谷本さんのやり取りに、俺は全く笑えなかった。それは西口も同じだった。今笑っているのは谷本さんだけだった。
「正直言うてな、劇場の若手から陰口叩かれてんの知ってんねん。ずっとネタ変わってないとか、アップデートできてないとか。お前らもそう思うやろ?」
「そんなこと……ちょっと思ってますけど」
俺は、ここで嘘をつくのは違う気がした。
「俺だってな、違うネタできるならしたいよ。バカリズムみたいなセンス爆発のネタ作ってみたいし、粗品みたいにお笑いIQ高いフリップ芸してみたいし、マツモトクラブみたいなおしゃれな一人コントもしてみたいよ。でもな、あんなん全く思いつかんねん。笑えるぐらいに、自分の才能の無さを思い知らされんねん」
谷本さんは、まるで笑い話でもするかのように、笑顔で話し続けた。
「奥さんは、何て言うてるんですか?」
「まあ、最初は反対してくれたよ。でも、最終的には認めてくれたわ」
「……そうですか……」
谷本さんは、残っていたビールを飲み干した。
結局、その日も谷本さんが奢ってくれた。店を出てお礼を言う俺と西口の肩を叩いて、今日も谷本さんはとぼとぼと自宅へ帰って行った。
俺と西口は、最寄り駅までの道を並んで歩いていた。
「なあ、お前どう思った?」
西口に尋ねる。
「何が?」
「谷本さんのこと」
「ううん……。そりゃ谷本さんのことは好きやし、辞めて欲しくないけど、それを止める権利は無いしな。それに、谷本さんだって散々悩んで出した答えやろ? 俺らがどうこう言うことじゃないと思うけどな」
「……まあ、そうやんな……」
少しの沈黙が続いた。
「例えばやねんけどさーー」
「うん」
「来年の3月に、谷本さんの引退ライブやれへんか?」
「え?」
「いや、谷本さんって、劇場の芸人はほとんど世話になってるし、慕われてるやろ。ほんで、劇場によく来るようなお客さんならあの人のことはよく知ってるし、チケットもそこそこ売れるんちゃうかな。どう思う?」
「いや、どう思うって……」
西口は俺の提案に少し困惑していた。
「あかんか?」
「いや、あかんことはないよ。その提案には俺も賛成や。俺が驚いてんのはそのことやなくて」
「?」
「お前、いつからそんなに谷本さんのこと慕っとってん?」
「え?」
「だってお前、ついこの間、俺に『あの人に芸人としてのアドバイスなんか求めんな』って言ったばっかやんけ」
「俺そんなこと言ったっけ?」
「言ったよ! 先月谷本さんに奢ってもらった帰りに!」
「ああ、そういえば言うたな。でもそれはそうやと今でも思ってるよ」
「は?」
「いや、だって芸人としては結果出してないやんか。でも、一人の人間としてのあの人は尊敬できる人やろ」
「何か、相方やけど、俺お前のことよう分からんわ」
「何でやねん」
「それはこっちの台詞や」
それからも会話は続いたが、他愛もない内容だったので、そこから先はよく覚えていない。ただ、明日マネージャーに、谷本さんの引退ライブをやりたい旨を伝えようということだけ決めて、その日は解散した。
帰ったら、今日小宮山に借りたμ’sのライブBlu-rayを観ようと思っていた。