第7話
「やっぱここの出汁巻きめっちゃ美味いな。たまらんわ」
「たまらんわちゃうねん。何でお前着いて来てんねん」
「別にええがな。せこいこと言うなや」
劇場の出番終わりに谷本さんをいつもの居酒屋に誘った俺だったが、その時たまたま近くにいた西口も着いて来てしまった。
「だってお前、せっかく谷本さんが奢ってくれんねんから、一緒に行かな損やろ」
「アホか。今日は俺から誘ってんから、俺らの奢りに決まっとるやろ」
「え!? そんなん聞いてないぞ!」
「ええて小泉。俺が奢るから」
「そんな……。それはさすがに駄目ですよ」
谷本さんは、後輩芸人と食事に行ったときは必ず自分が奢ってくれていた。俺や西口だけでなく、劇場によく出る若手芸人のほとんどは、谷本さんに奢ってもらった経験があった。
「ええねんて。先輩が後輩に奢るんは芸人の世界のルールや。俺も若い頃は先輩のみなさんにご馳走なって来たから、今はその時のお金を返してるだけやねん。だからお前らも、後輩と飯行ったらちゃんと奢ってやらなあかんで」
「……分かりました。ご馳走様です」
「おう」
谷本さんは優しく笑って答えた。
谷本さんの実家が金持ちだというのは本当のことだった。しかし、谷本さんはその恩恵に与ろうとはせず、こうして後輩に奢る料金も、自分のバイト代から捻出していた。それを知っていたから、俺も奢られることに気が引けたのだが、普段は温厚な谷本さんが、後輩に奢ることだけに対しては絶対に譲ろうとしないことも知っていたから、俺はこれ以上食い下がることはしなかった。
「それはそうと、今日は何で小泉から誘ってくれたんや? 今までそんなこと無かったやろ?」
「確かに。何でや?」
谷本さんと西口が俺に問いかける。当然の疑問だった。だが、俺はその問いに対する答えを持ち合わせていなかった。どうして谷本さんを誘おうと思ったのか、自分でもよく分からなかったのだ。強いて言うなら、谷本さんと話したかったからと言う他ない。
「……何ででしょうね。……何となくです」
「……そうか」
そう言って、谷本さんはまた優しく笑った。
「あ、谷本さん。何か飲み物頼みます?」
西口が空になった谷本さんのグラスを見て言う。
「じゃあ、ビール」
「了解です」
そう言った後、西口は店員を呼び、ビールを2杯追加で頼んだ。俺のグラスのビールが全く減っていないことを認識していた西口は、俺に何か頼むかどうかをいちいち確認しなかった。
「そうや。お前らにちょっと言っときたいことがあんねんけど」
店員が立ち去った後、谷本さんが言った。
「何ですか? 改まって」
「いや、別に大した話じゃないねんけどな」
「はい」
「……俺、やめるわ」
「? 何をですか?」
「芸人」
「……え?」
言葉を失う俺をよそに、谷本さんは何でもないように出汁巻きを口に運んだ。