ストーリー
更新しました。よろしくお願いします。
お願・・もう一度・・陽詩って呼んでください・・
良くこの食堂を使うな・・・
日が傾きかけ、遠くの山々に被さるように入道雲が見える。
夏ももうすぐ終わる。
そんな事を考えながら、忍の前に座る下田陽詩に視線を向けた。
夏物の白いブラウスに、ブルーのロングスリットスカート、トートバックを隣の席に置き、忍を睨むようにして見ている。
無言の時間が過ぎる、二人の前に同じアイスコーヒーがグラスに汗をかいていた。
「下田さん、今日は何か・・」
痺れを切らした忍が話しかけた。
「お母様に聞いたの。」
忍の言葉に重ね、下田さんが忍を見つめた。
「お母様に聞いたの・・・でも、貴方に聞けって!会社にお母様が来たときに会ったの・・・ずっと疑問に思っていたことを聞きたくて。」
下田さんは話しながら一瞬も忍から目を離さない、忍の反応を観察するように見つめる。
「疑問?何の話?」
忍は一呼吸すると、自分の内側にカギを掛けた。
「貴方と月葉さんの事・・・私は今になって後悔している、あの時何故忍を信じて理由を聞かなかったのかって・・あなたは・・あなたはそんな上手に嘘を付ける人じゃない!絶対に何か理由があるはず、お母様は忍にちゃんと向き合いなさいって言ってくださった、そうすれば貴方も変わってくれるかもしれないって・・・でも、それが私を苦しめるかもしれないって・・・」
下田さんは話しているうちに涙声になり、ハンカチを握りしめている。
母の言った言葉を思い出す。
「もう、ごまかせないかもね。」
「本当の事、話してあげたら・・・貴方との過去の事を後悔していたわよ。」
「忍、貴方陽詩ちゃんにも愛されているのよね。」
「下田さん・・・」
もう、潮時だな・・・
忍は、月菜の事、月葉さんの事、兄の事、母の言う通りかもしれない・・
忍は心の中で何かが落ちた気がした。
忍はゆっくりとアイスコーヒーに手を伸ばした、グラスを掴めない・・
「しのぶ・・」
陽詩が自分の手で忍の手を包むようにしてアイスコーヒーのグラスへと導く。
「ありがと・・・」
忍が優しく答えた。
アイスコーヒーを一口飲んだ忍はゆっくりとグラスをテーブルに戻す。
そして、閑散とした食堂の窓から見える景色に目を向けた。
暫くして、視線は窓の外に向けたまま忍が口を開いた。
「あるところに、仲の良い兄弟が居ました・・・」
いきなり何を話し出すのかと思った陽詩。
「兄は大学生、弟は高校生、何処にでもいる普通の兄弟・・」
兄は大学2年生の時に、角田月葉さんと言う子連れの女性と親の反対を押し切り結婚しました。
「月葉」の名前が出た瞬間、陽詩の目が大きく見開かれる。
忍は何かの物語を語るように淡々と話す・・
そんなある日の事、兄が仕事中に事故で亡くなってしまいました。
残された月葉さんと娘さんは悲しみに暮れながらも一生懸命生きていました。
大学卒業を控えた義弟に義姉から連絡がありました・・
義姉さんは末期癌を患っていること、そして残される娘さんの事を心配していました。
弟は両親に相談し、娘さんを家で引き取って育てようとしましたが、父親の反対に合い話が先に進みませんでした。
そして、ついに月葉さんの入院する日が決まりました。
弟は、父の説得を諦め自分が娘さんを育てる覚悟を決めました。
陽詩の目から涙が溢れている・・・
大学を卒業したその日、弟・・・いや・・神居忍は、月葉さんと籍を入れ・・
窓の外に視線を向けて話していた忍が、陽詩に視線を戻し、しっかりと見つめながら話しはじめる。
「娘を・・月菜を僕が責任を持って育てると、亡くなった月葉さんに誓ったんだ。」
「陽詩・・君も僕の兄が事故で亡くなったのは知っているだろ・・・、あまり人には話せるような事じゃなかったから、兄の奥さんや娘さんの事は話したことはないけど・・」
「そんな・・・」
陽詩は涙を流しながら首を振る・・
「すまなかった、君を裏切った僕をどう罵ってくれてもかまわない・・君を捨てて、兄の嫁さんだった人と籍をいれた・・理由はどうあれ許せるものではないだろ、すまなかった、ごめん、下田陽詩さん。」
忍は深々と頭を下げた。
「呆れただろ・・僕なんか関わらずに幸せになって下さい。」
忍は立ち上がり杖を掴む。
無言で頭を下げ、食堂の出入り口に向かって歩く。
「いや!・・・・まって忍!」
その声と共に後ろから抱き着かれた。
背中に顔を押し付け力強く抱き着く陽詩。
「・・・やっぱり・・しのぶは嘘つきじゃなかった・・」
「下田さん・・・」
さらに抱き着く手に力が入る。
「おねがい・・もう一度・・陽詩って呼んでください・・」
「下田さん、何を・・」
「いやっ!・・・昔みたいに、陽詩って・・」
「・・・ひ・・ひなた・・もう、離し・・」
「・・・しのぶ・・わたし、・・あきらめない・・お兄さんの事も、義姉さんの事も、月菜さんの事も全部含めて・・あなたが好き・・・貴方に好きな人が居るのは分かってる・・でも・・愛してるの・・」
忍の背中を、陽詩の暖かい涙が濡らしていた。
忍は抱き着いて離れない陽詩を感じながら、明日から病院中で噂になる覚悟をしていた。
「勘弁してくれ・・・陽詩。」