思いの丈・・・
「しのぶ・・・しのぶ。」
どれくらい眠っていたのだろう、呼びかけられた声に目を覚ます。
「ごめん、下田さん・・・検査が終わったら君の姿がみえなかったから・・」
「クスッ、寝顔可愛かったわよ。」
陽詩の笑い声が聞こえる。忍は下田陽詩の姿を探した・・・え?・・・・どこから。
忍の視界の中に陽詩の姿が無かった、柔らかい何かが右頬に触れた。
「なっ・・・。」
少し驚いた忍は、その柔らかい何かに左手で触れ、顔を右に向ける。
そこには病室の窓を背にして、陽詩が覗き込むようにして忍を見つめていた。
忍は右頬に触れている陽詩の手を握った。
「陽詩・・・きみ・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「やっぱり・・・見えない・・の。」
忍が握っている手に手を重ね、忍の左手を包み込みその手を自分の頬に押し当てる。
「しのぶ・・・・・」
「下田さん・・・聞こえてたの・・」
忍は自分の浅慮を後悔した、この病室もサウンドマスキングされており、医師とは小声で話しをしていたので聞こえていると思わなかった。
「ごめんなさい・・聞く気はなかったの・・」
陽詩は頭を下げた。
ベットの右側に置いた丸椅子に座り、太ももの上に手を置く。
「下田さん、悪いけど目の件はまだ誰にも話さないでいてくれるか・・・」
忍が天井を見つめたまま陽詩に口止めを求める。
「・・・・全然、見えないの。」
震える声が届く。
「・・・・少し、光は分かる。」
「私の顔は・・・・・」
「顔は分からない。」
「治らないの・・・・」
「たぶん・・・・」
「会社は・・・」
「大丈夫だと思う、基本的には健常者扱いになると思う。」
「じゃあ、普通に生活できるの。」
「・・・いや、普通は無理だと思う、リハビリで片目になれないと。」
「そう・・・・」
問答のように、一言一言が流れていく。
暫しの沈黙、セミの鳴き声だけが病室を支配する。
カタっ・・・丸椅子が音をたてた。
右頬に陽詩の手が触れるのが分かった。
見えない右目の方から行き成り現れ、陽詩が真上から見つめていた。
左の頬にも陽詩の手が触れた。
「しのぶ・・・・貴方に話したいことがあるの。」
真上から覗き込む陽詩の右肩に、動く左手を添え、何となく距離を取る。
「また・・・・あの(過去の)話か。」
陽詩はゆっくりと目を瞑って顔を左右に振った。
「もう・・あの話は良いの・・・何時か分かれば・・」
陽詩の言葉は小さくなっていく。暫くの沈黙の後陽詩は意を決したように忍を見た。
「しのぶ・・・わたし・・わたし、凄く後悔している事があるの・・」
「後悔?」
「そう・・・後悔。」
「・・・あの時・・・貴方を信じなかった。」
「あの時って、ちょっと待て・・・なんの事を。」
陽詩は顔を振る。
「いいの・・・信じていれば・・・いまごろ違ったかもって。」
そう言葉にした陽詩が視界から消えた。
見えない右手に移動したのか。忍が右を向こうとした瞬間だった。
唇を柔らかい何かでふさがれた。
忍はいきなりの事で愕然とした。
今見えているのは陽詩の顔、重ねられているのは唇、絡みつくのは舌。
「あっ・・・。」
唇が離れる、陽詩の吐息が漏れる・・・・
忍の耳元で陽詩が囁く。
「貴方から・・・離れた事を後悔してるの・・・気付いたの、まだ忍を愛している事に。」
忍は混乱する頭の中、左手で陽詩突きを離そうとする。
「君は・・・・」
忍はそれしか言葉に出来なかった。
「忍・・・ごめんなさい、・・・貴方が欲しいの・・」
言葉と共に唇が重ねられる・・・忍の左手の力は陽詩におよばない。
ゆっくりと、陽詩が唇を離す。
妖艶な色気を含んだ表情を浮かべる陽詩、付き合っていた時にはなかった女としての色香を表面に押し出しながら囁く。
「・・・貴方に、好きな人が居たとしても私は貴方をあきらめない・・・もう二度と離さない・・・忍・・・愛しているの・・・私が貴方の目の代わりになる・・・・だから・・」
忍は苦しそうに陽詩を見つめ返す。
「陽詩、僕には付き合っている人がいる・・・・だから、こんなこと。」
「・・・それでも、私は貴方を愛してる・・・もう、後悔したくないの。」
陽詩は目を閉じて独り言の様に呟く・・・ゆっくりと忍に近づく。
優しく唇が重ねられ、自分の瞳から涙が溢れるのを感じていた。
長い間自分の中で消化できなかった思いを相手に伝えることが出来た事を、そして次に進む覚悟を。
忍の温もりを感じられることがうれしかった。
ピーン!
電子音が響く、台所で野菜を切っていた美佐子はその手を止めた。
「月菜かしら・・」
独り言を言いながら、携帯電話を手に取り画面を見た。18時30分、月菜の部活終わりの帰宅を知らせるショートメールかと思っていた。
差出人は下田陽詩。
美佐子はニヤリと笑いメッセージを開いた。
「お母様、今日は面会の段取りを付けて頂きありがとうございます。忍さんに自分の気持ちを伝えることが出来ました。本当にありがとうございます。また連絡いたします。」
携帯電話の画面を閉じる。
切りかけの野菜に向かい包丁を握る、鼻歌交じりに野菜を切る音が重なる。
ピタリと包丁が止まる。
「これで、全員そろった感じね・・・後は月菜に本当の事を話してあげれば、あの子も一人の女として同じ土俵に上がれるわね・・・誰が忍のお嫁さんになるのかしら・・・早く本当の孫の顔がみたいわ。」
着々と美佐子の計画は進行していた・・・・・なんのこっちゃ。




