放課後
※「うるさい和美!神居さんが怯えてるでしょ!」
放課後の校庭から、帰宅する生徒や、これから部活動の準備に向かう生徒達の声が風に乗って教室に流れ込んでくる。
2年B組
窓側の真ん中辺りの席が月菜の机として与えられた。
月菜はカバンに教科書を入れ、立ち上がった。
「か~み~い~さん。」
ちょつと高い声に呼ばれ、月菜が鞄から顔を上げる。
西日を体に受け、ストレートの髪をそのまま後ろに流した、眼鏡の女の子が声を掛けて来た。
赤いメタルフレームの眼鏡の奥に、アーモンドのようなクッキリとした二重の目に黒い瞳が輝き、小さな唇に笑みを湛えて真っ直ぐに月菜を見ていた。
頭の青色のカチューシャが鈍く輝く。
「お昼ご飯、一緒に食べよ。」
彼女の名前は「三上和美」、転校初日の今日、前の席に座るこの女の子に誘われ数人の女子と机を付けてお昼を食べたのだ。
和美はカバンを両手でお尻の後ろに隠すように持ち、月菜に向かって軽く前屈みになりながら、顔を右に傾けた。
「神居さん、今日はこれから予定ある。」
ニコニコしながら話しかけて来た。
「これから?ですか。」
「うん。これから。」
月菜は考えるふりをしながら、この後自分で計画していたことを話す。
「ちょっと、部活を見学しに行こうかと。」
「え?!部活・・部活もう決めてるの!」
和美が、慌てたように目を丸くして月菜に詰め寄る。
月菜は寄って来る和美の距離が近いので両手を上げて距離を取る。
「ちょっ・・ちょっと三上さん・・近い・・ちかい。」
「ねぇ、どこ、どこの部!どこの部!私、私さ、バスケ部なの!でさ、でさ、決まって無かったら・・」
余りの勢いに後ろに下がりながら、和美との距離を取ろうとするが、グイグイ前に出て来る。
机をガタガタと鳴らしながら後ろに下がる月菜に、おかまいなしで前に出てくる和美。
「ちょっ・・ょっと落ち着いて!!三上さんんん!!」
壁ドン。窓際の席だったのが運の尽、推されて窓と窓の間の柱に追い詰められ、人生初の壁ドン・・しかも女子。
三上さん・・私の青春を返して・・月菜は心の奥底で叫ぶ。
壁に背を預け、顔の左側に三上さんの手・・・そして、そして、そして・・近い。息が熱く感じる程近い。
「ね。まだ、決めてないよね・・よね。そうそう・バスケ部見に行こう!なんなら体験入部なんて・・!」
三上さんの目が怖い・・さっきの輝いた黒目はどこ・・目がすわってるんですけど・・しかもハーハー興奮してるし、今も顔を寄せて来てるし・・後1センチも無いし・・もう駄目。
更に熱い吐息が掛る、月菜は目を閉じた・・・さようなら私のファーストキス。
クラスメートの視線がまさかの壁ドンからのキス?の展開に集中する。
「おおおっ!」
たまらずクラスメートが叫ぶ、顔を赤らめる女子や、涙を流しながら悶えている男子が湧いて出て来る。
スローモーションのように、三上和美の小さな唇が転校生の唇に触れる、コンマ何秒か前。
刹那!パーン!
大きな音が教室中に響く。
「そこまでよ。和美。」
凛とした、涼音のような声が教室中に響き渡った。
月菜はいつまでも何も感じることの無い唇に、ゆっくりと目を開く。
そこには、一緒にお昼ご飯を食べた、「土方礼羅」が、丸めた英語の教科書で真っ直ぐ和美を指していた。
月菜を追い詰める和美に気が付いた礼羅が、丸めた英語の教科書で頭に電光石火の一閃、間一髪で月菜のファーストキスを守ったのである。
頭に大きなこぶを作った和美が、頭を抱えながら月菜の前で蹲っていた。
「いたいよ~。れいら~!」
「うるさい和美!神居さんが怯えてるでしょ!」
仁王立ちの礼羅が腕を組みながら、和美を冷たい目で見下し、クラスメートがその様子を、呆然として見守っていた。
汗のにおいが薄く染みついた室内の端で、月菜は端然と正座していた。
「こぉてぇぇぇぇー!」「どおぉぉおおおおお!」「やぁあああああ!!」
裂ぱくの気合と乾いた破裂音、そして床を踏み込む音が室内中に響き渡る。
その光景を月菜は目で追っていた。
ここ市立赤城北高校剣道部、全国大会常連校の練習を興味深げに見つめる。
教室で和美にしつこくバスケットボール部に誘われたが、結局はハッキリと断りここに来ていた。
暫くすると竹刀を収め、練習の列から外れた部員がいた。竹刀を左手に持ち邪魔にならない場所に正座する。面を外し小手の上に乗せる様に置く。
頭の手拭を外し、両手をゆっくりと下ろし頭を下げる。小さい茶筅のようなポニーテールが揺れる、それ以外の肩口程の長さの髪毛がゆっくりと前に流れる。
立ち上がり月菜の方に歩いて来る。紺の袴に白い道着、黒い胴が鈍い光を放ち垂れに高校の名前と「高瀬」の文字が白く刺繍されているのが見える。
ショートの髪だが、邪魔になる髪を後ろで束ねているせいか、形の良い耳が見えている。
切れ長の細い目が月菜を真っ直ぐに見ている。すっととおった鼻筋と、唇は薄いが口は少し大きく見える、ほっそりとした顔立ちと細く長い眉毛が冷たい印象を与えている。
月菜も相手が近づいて来るのに合わせて立ち上がり軽く頭を下げる。
相手が月菜の前に立つ。
「赤高剣道部女子部部長の高瀬小雪です。」
「はじめまして、神居月菜です。宜しくお願いします。」
月菜は深々と頭を下げる。
「はじめまして、ではないな。」
「はっ・・はい。」
「去年の全国新人戦、神居さん、君に優勝を持って行かれたからね。」
月菜のバツの悪そうな顔を見ながら、高瀬部長は意地悪く笑った。