私は子供・・・
遅くなりました、宜しくお願いします。
※「また・・・大人の女性」
大きなオフィスビルの出入り口から沢山の人が吐き出されてくる。
その中の人を一人一人、見逃さないように目で追う。
オフィス街では珍しい制服姿の女子高生が、ビルの出入口近くの街路樹の側で、何かを探すように佇んでいた。
白い半袖のシャツに、ブルーのストライプのリボンが首元で揺れている。
少し短めの消し炭色のチェックのプリーツスカートから、白く健康的な太ももが見える。
体の前で学生カバンを両手で持ち、出入り口から吐き出される人を真剣な眼差しで追っている。
おしゃれな女性、おしゃれな男性、ビルから出てくる男女を見つめていると、高校生なんてただの子供だと改めて思い知らされる。
月菜は焦っていた、いや苦しんでいた、嫉妬、それもこれも忍の所為。
高橋先生と忍が会っていた、高橋先生が忍と会っていた理由は、先生にしてみれば仕事のはずだしそれは理解できる。
でも忍から月菜に一言ぐらいあっても良かったのではないか・・・
「何故黙っていたの。」
月菜には言えない理由があったのかと邪推する。
「でもあの日、忍はお酒を飲んで帰ってきた。」
高橋先生は本当に仕事として忍と会っていたのだろうか、香水の香りが移るほどの距離、その前のワイシャツの口紅、忍は「会社の同僚を庇った時に付いた。」そう言っていたが、まさかあれも高橋先生なのかもしれない、二人はどんな関係なの・・・
月菜は心の中で、嫉妬と疑念とを織り交ぜながら意中の人を探していた。
あっ!・・目当ての待ち人が目に入る。
思わず涙が溢れそうになる、心が苦しくて切なくて、抱きしめて欲しくて。
その人を見つめたまま足が前にでる・・・忍君。
声を出そうとした瞬間、忍の隣を歩く女性が目に入る・・・。
「きれいな女の人・・」そう思った、踏み出した足が止まる。
忍を見つめる月菜、女性と話していた忍の視線が、佇む月菜を見て止まった。
忍は「何故、ここに月菜が・・」そんな驚いたような表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐに手を軽く上げ、笑顔になりながら「月菜」そう呼んでくれたような気がした。
そして会話をしていた忍の隣の女性が月菜に向く、不思議そうな顔を浮かべる女性。
半袖の白いブラウスに、薄いグレーのロングタイトスカート、そしてヒールの高いパンプス。
そのロングタイトスカートのスリットから歩くたびに膝上位までの足が見え隠れする。
そしてバレッタで纏めた茶色い髪の毛がきれいに揺れている。はっきりとした目鼻立ちのきれいな女性・・・大人の女性。
「また・・・大人の女性」
感情が高ぶり頬を温かいものが伝う、ボロボロと涙が流れる。
「あれ・・わたし・・」
佇んだまま涙が溢れて止まらない、カバンを足元に置き、両手で涙を拭おうとする。
「うっ・・・・ひっ・・・ううぅ・・」
肩が大きく上がり、嗚咽が漏れる。
何故涙がでるのかわからなかった、どうしようもない感情、諦められない思い、早く大人になりたい、そして黒い感情がごちゃ混ぜになる。
「忍なんて、嫌い。」
そう思った瞬間に涙が溢れた。
忍はビルを出たところで、制服姿の月菜を見つけた。
「月菜?」
何故ここに月菜がいるのか最初は理解できなかった、「何かあったのだろうか?」
隣で話をしていた前田京子さんが、忍が名前を呼んだ先に視線を向けた。
泣いている女の子が目に入る。
前田さんは忍に視線を向けて「もしかして、娘さん。」声を掛けた瞬間、忍が月菜に向かって走り出した。
「月菜?」
少し息を切らして月菜の前に走ってきた忍は、腰を屈めて月菜の顔を除く。
何事かと周りの視線が二人に刺さる。
「うっ・・うっ・・・」
月菜は一生懸命涙を手で拭うが、止めどもなく流れる涙と嗚咽。
それでも、何とか顔を上げ忍を見つめる・・・
「しのぶぅ・・・・」
月菜が呼ぶ。
忍は月菜にハンカチを差し出す。
「しのぶぅ・・・」
月菜が呼ぶ。
「月菜・・・もう大丈夫だよ。」
自然と忍から出た言葉。
「・・・・・うっ・・・うわぁぁぁあああ!!」
月菜は大きく泣き声を上げ、忍の胸に抱き付いた。
「しのぶのばかぁぁ・・・ばかぁぁ!!!」
忍は月菜をしっかりと抱きしめ、その背中を落ち着かせるように撫でる。
「ばかぁ・・・ばかぁ・・・しのぶなんかきらぃ・・うっうっ」
忍の胸に顔を埋め、こもった声が響く。
「神居課長・・・」
いつの間にか傍らに前田さんが佇んでいた。
「お先に失礼します。」
下田陽詩は笑顔を浮かべながら、オフィスを後にする。
エレベーターホールに来ると、ため息をついた。
「・・・・・いってみるかなぁ・・」
そんな独り言を呟くと、エレベーターホールの脇にある階段に向かって歩き出した。
陽詩は自分の姿を軽く確認する。ノースリーブの薄いグレーのワンピース、膝下丈で少しスリットが入っている。
ここの所、会社に出社するのにオシャレする事が多くなったと自分でも思う。
階段を上り営業部があるオフィスに顔を出す。
定時を過ぎて閑散とした営業部を見回した。
「誰かお探しですか?」
「あっ。」
後ろから声を掛けられた。
振り返ると、コーヒーカップを両手で持った女性が立っていた。
「五島さん。」
神居忍の部下、五島佳代、ベリーショートで男の子様に見えるが、豊かな胸のふくらみが女性であることを示している。
五島さんはちょっと意地悪な顔をした。
「ふふっ・・・ここの所、毎日ですね・・課長なら帰りましたよ。」
「そんなんじゃありません。書類をその、あの・・・」
陽詩は真っ赤な顔をして、シドロモドロに答える。
五島さんは笑顔で陽詩を見つめると真剣な顔になり、小声で陽詩に囁いた。
「神居課長、色っぽい男性ですよね・・・奥さんを亡くされて、お嬢さんと二人暮らし。」
少し間を置いてさらに囁く。
「まだ30代だし、結構課長を狙っている女性多いですよ・・・私もいいな。って思う一人ですけど。」
「なっ・・・私はそんなんじゃ・・・。」
「あら・・・そうなんですか、私はてっきり・・・勘違いでしたか。」
五島さんはクスクス笑いながら、その場を去って行った。
陽詩は何となくエレベーターを使う気がなくなり、階段を下りて行った。
カンカンとヒールの音が階段に響く、あの日、妹、楓の一言から気づかされた思い。
「忍ともう一度話がしたい。今泉達也にプロポーズの返事をする前に。」
今更になって、その当時の事に沢山の疑問が浮かぶ。
私と交際していながら既婚の事実を隠し子供までいた事、しかもどうやって何年も奥さんと子供の事を微塵も私に感じさせない事が出来たのか。
普通であれば行動にもおかしな所があったはずだが、そんなそぶりは一度も無かった。
しかも、忍と子供の年齢を考えると、奥さんと忍は世間ではあまり認められる関係じゃなかったはずだ・・・でもそんな事も私の耳にも入ってこなかった。
私と忍は同じ高校に通っていたし、そんな事があれば噂の一つもあったはずだ。
普通家庭を持っていればそんなに頻繁に会うことなど出来ないはずだし、土日や平日でもよくデートをしていた。
そして別れを告げられた時、奥さんと子供を連れて来ていた・・普通は隠そうとするのではないだろうか。
そして奥さんにしてみれば、不倫相手になる私に対して嫉妬するわけでもなく、逆上するわけでもなく、ただただ深々と頭を下げていた姿。
違和感。
この違和感の正体何なのだろう。
「早く忍と話がしたい・・・取り返しが付かなくなる前に。」
エントランスに出ると外からの生暖かい風を素肌に感じる。
「しのぶ?」
街路樹の側で背中を向けている男性が目に入った。
間違い無い・・神居忍の後ろ姿。
笑顔が浮かぶ。
「しのぶ・・・」
声を出し駆け寄ろうとして気が付く。
忍の傍らに、同じ部の女性・・・確か「前田京子」さんだったか。
そして、忍に抱き付き泣きじゃくっている女の子・・制服姿の女子高生が目に入った。
陽詩は大きく深呼吸をすると、忍たちに向かってゆっくりと歩く。
「しのぶ・・・どうしたの?」
忍たちの少し後ろから声を掛けた。
前田さんと、忍が振り向く。
「陽詩・・・」「下田さん」
忍と前田さんが、同時に名前を呼ぶ。
そして、泣きじゃくる月菜の涙で滲む目にも陽詩が映る。
「また・・大人の女性」
月菜の抱き付く腕に力が入る・・・また涙が溢れる。
いつの間にか父、忍の周りには女性がこんなにいたのだろう。
その事実だけが月菜を苛む。
「いやぁ・・・しのぶ、くん・・・うっうっ・・やだぁ。やだぁああああ」
更に大声を上げ強く抱き付てくる月菜。
「月菜・・・大丈夫だよ、パパが守ってあげるから・・」
理由もわからず泣きじゃくる娘に、自然と掛けた声。
忍も月菜を強く抱きしめ、優しく月菜の頭に頬を押し付けた。
その姿を陽詩は黙って見続けていた。