逆縁・・・婚
※「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・」
もう時間が無い、忍は父を説得しようと試みるが、今は完全に喧嘩腰になっている。
リビングでお互い立ち上がり大声で怒鳴りあい、母も父の説得に協力してくれている、普段温厚な母も今は少し強めに意見していた。
「父さん、啓二兄さんが愛した人の子供だよ、もしもの場合は家で育てるのが本当だろ!」
「啓二はあの女に騙されていたんだ!」
「いい加減にしろよ!父さんだってわかってんだろ!兄さんが本当に月葉さんが好きだったこと!」
「血の繋がっていない子など、育てる義務はない!どうせ色香で迷わせたんだろ!」
父親からのその言葉を聞いて母が口を挟む。
「あなた、そんな言い方、啓二が聞いたら!」
「うるさい!お前は黙ってろ!」
そう怒鳴り散らすと、父が母の頬を叩いた。
母は叩かれた勢いで、リビングの床に倒れる。
「父さん!母さんに手を上げる事無いだろう!」
忍は倒れた母に駆け寄り上体を起こす。
「大丈夫?母さん。」
母は叩かれた頬を押さえながら父を睨む、こんな表情の母を初めて見た。
もうこの父親に何を言っても分かってくれない、そう思った。
忍は立ち上がると、グッと拳を握り締めその拳を父親に向けて振り下ろす。
「この馬鹿親父!!!」
父親は殴られた反動で、リビングのソファーに倒れ込むように突っ込んだ。
「もういい!親父には何も頼まない!俺が独断でやる!!」
唖然と見上げる父親を睨みつける。
忍の拳が小刻みに震えていた。
この時の判断が誤っていたか、正しいかなんて考えていなかった。
もう少し冷静になって話していれば、別の解決策も見つかったのかもしれない、しかしこの時には既に忍の舵切は終わっていた、もう後戻りなど考えていなかった。
その日、大学の卒業式を終えると、その後のイベントを全てを断り、その足で月葉さんのアパートに向かった。
玄関のインターフォンを押すと暫くして、月葉さんが玄関を開けて出て来た。
「月葉さん、こんにちは。」
「忍君・・・どうしたの。」
月葉さんのやつれた笑顔が痛々しい。
「今、ちょっと良いですか。」
「ここじゃ、あれだから上がって。」
その言葉に従い忍は部屋に上がらせてもらい、何時ものように卓袱台の前に腰を下ろす。
部屋の中は既に物が無くなり、人が住んでいる様子では無くなっていた。
入院の準備と、自分の死後の準備を終わらせているのだろう・・そんな部屋を見て動揺が隠せない。
部屋の中を見回し、月菜ちゃんの姿を探す。
「月菜なら隣で寝ているわ・・・」
お茶を入れてくれながら月葉さんが答えをくれる。
湯呑を忍の前に置きながら月葉さんが忍の前に座った。
「月葉さん、父を説得することが出来ませんでした。」
そう口を切って今迄の状況を話した。
月葉さんは黙ってそれを最後まで聞いていくれた。
「・・・・だれも、悪くない・・・悪いのは私だから・・」
ぼそりと月葉さんが呟く。
「・・忍君・・お願いね・・・月菜の事、例え施設に入る事になっても・・・」
そう言うと口を押さえて俯く、ぽとぽと涙が落ちる。
「今日、僕は大学を卒業しました。」
唐突に忍が話始める。
「就職先も決まっています・・・会社も結構大手で・・だから、だからその・・・。」
忍は言葉を切ると、ジャケットの胸ポケットから封筒を取り出した。
「僕が月菜ちゃんを、責任を持って育てます。兄にも僕の決意を報告してきました。」
忍は兄の眠る墓を訪れこの場に至っている。
月葉さんは自分の方に封筒を引き寄せると、中身を取り出した。
折り畳まれたそれを広げると、目を大きく見開いた。
「こんな・・・こんなの、駄目・・・だめよ・・・・逆縁・・婚だなんて・・」
その目に映っているのは、忍の名前が記入され印鑑が押された婚姻届けだった。
夕日がアパートの部屋を赤く染めている。
月葉さんは、押し黙ったまま泣いていた。
隣の部屋から、月菜ちゃんがぐずる声が聞こえる。
「僕が行きます。」
忍は立ち上がると、月菜ちゃんの下に行く。
月葉さんは肩を震わせていた。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・ごめんなさい・・」
嗚咽の奥から呪詛のように謝罪の言葉が零れる。
卓袱台の上には、忍と月葉さんの署名捺印がされた婚姻届けが置かれていた。




