転校生
※「初めまして、担任の高橋楓です。宜しくね。神居さん。」
靴ベラを踵から抜く・・・足を数度鳴らして履き心地を整える。
玄関の靴箱の上に置いた小さな鏡を覗き込み、黄色を基調にしたネクタイを締め直す。
そして自分の顔を見る、普段は髪の毛を流しているだけだが、仕事に行くときは全て後ろに流しオールバックにしている。
そして、眼鏡・・普段はそんなに困る事が無い位の視力だが、仕事では別、車の運転や資料の読み込みなど過ちがあってはならない。
薄い紫色の眼鏡でアンダーリムフレームを使っている所為か(フレームの上が無いデザイン)、オールバックの髪型と相まって、「〇〇関係の危ない人」そんな風に娘に言われるが、そんな娘の言う事でスタイルを変える気は全くない。
「少し痩せたかな・・」
鏡に映る自分を見ながら顎に手を触れた。身長175センチ、少しコケたような頬、切れ長の細く二重の目、そして太めの眉毛、お世辞にも高いとは言えない鼻、そして薄い唇・・その幸薄そうな唇の左下にポツンと黒子が付いている。
忍は鏡から視線を外すと、茶系のスーツの襟を正し、リビングに向かって声を張り上げる。
「つくな~、早くしろ。」
「しのぶくん!ちょっとまって!!」
「だぁからぁ、父親を名前で呼ぶな!」
学生カバンを片手に、ブレザーの袖にもう片方の手を通しながら月菜がバタバタと走って来る。
黒いタイツにプリーツスカートをなびかせ、ポニーテールの髪の毛をフワフワと揺らしながら、大きな丸い目を申し訳なさそうに細めている。
「まったく、朝から慌ててっ!」
「どう?似合う?」
玄関に立つ父親の前でニコッと笑い、目を細めて勢いよく目の前で一回転する。
スカートの裾を両手でつまみ少しだけ持ち上げ右足を軽く後ろに引く、膝を軽く曲げながら首を傾げ父親を見つめる。
「なにをして・あぁ・もう行くぞ!」
顔を片手で覆いながら忍はそう言うと月菜を置いて背を向ける。ついでに靴箱の上に置いておいた白いプレートを手に持った。
「あぁ・・パパ!しのぶくん!ひどい!感想ぐらい言ってくれたっていいじゃない!」
自分も黒のローファーに足を突っ込み、父親の後を追う。
「ほれ、合鍵・・失くすなよ。」玄関を出てきた娘を見て、鍵を渡す。
「なくさないわよぉ・・」と不貞腐れた口調で鍵を受け取った娘を横目に、手に持った白いプレートを玄関脇の所定の場所に差し込む。
「上出来だ。」
その表札を眺めながら呟く。
表札には「神居」と苗字が太字で書かれていた。
この辺では高い建物であるこのマンションの6階からは、遮る物が無く遠くまで見渡せた。
近くや遠くに山々が見える。この街は遠くに見える赤城山の麓に広がる街なのが良くわかる。「山が見えるのも悪くないな・・」
「早くこの環境になれないとね、し・の・ぶ・く・ん♡」
笑顔の月菜が後ろ手にカバンを持ち、少し前屈みに忍に向きながら微笑む。
「月菜もな・・」
娘の頭に手を伸ばし、ポンと頭に手の平を乗せた。
朝の爽やかな空気の中、散り始めた桜の花が舞い、その下を臙脂色のブレザーの男女が、登り坂に向かって歩いている。
生徒達の喧騒が街の中に響く何時もの光景、坂道をゆっくりと登りながら行く先に、市立赤城北高校の正門が生徒たちを迎え入れていた。
2年B組、2年生の一学期が始まり既にひと月が経とうとしていた。
既にクラス全員の名前と顔が一致し、自然と仲良しグループが自然発生的に出来上がっている。
そんな時期に「今日うちのクラスに転校生が来る。」噂が教室内で囁かれていた。
男子グループの間では、「女子らしい・・」この噂で持ち切りになっていた。
「かわいい子だったらどうしよ。」「俺の彼女になってくれるかな。」そんな男子達の囁きを耳にしている女子は、「ばっかじゃない!」「お前らなんか相手にされっかよ!」そんな対立する感情をぶつけ合っていた。
校内に始業のチャイムが鳴り響く、今まで教室内で雑談に耽っていた2年B組全29名の生徒たちが、ガタガタと音を鳴らし席に着く。
担任が噂の転校生を連れてくるのか、固唾を呑んで待ち受けていた。
始業のチャイムが鳴る一時間程前。
職員室のパーテーションで区切られた一画、応接用のソファーとテーブルが設置されたちょっとした応接室に月菜は所在なさげに座っていた。
時たま電話の音が鳴り響く。教職員が授業の準備や同僚との会話をしているのが耳に入る。
転校初日、職員室を訪れると訳知り顔の教員に、この応接室で待つように言われ今に至っている。
「おはようございます。」
どれくらい経っただろう、パーテーションで区切られた入り口から女性が顔を出した。
「あっ・・お・おはようございます。」
「あの、かみ・・神居月菜です。宜しくお願いします。」
月菜は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げながら挨拶をする。
「まぁ、座って。」
「あ。はい。失礼します。」
女性は微笑みながら手の平を上に向け、月菜に座るように即す。
女性が座るのに合わせてストレートの黒髪が揺れる、肩口で切りそろえられた髪が頬の辺りに流れる。
丸い顔にクリッとした黒目勝ちの目、ツンと上を向いた鼻と、ちょっと厚めの唇、ピンク色の口紅が濡れたように輝く。
身長は月菜と同じくらいかそれよりちょっと大きい位か・・そして、なんか可愛らしい、童顔なのだろう自分達と同じ高校生と言っても通じるかもしれない。
しかし、薄く化粧をしたその姿には、高校生には無い大人の何かがあるように感じる。
そして月菜はある事に気が付く。
白いブラウスの胸元から、小さなピンク色の石が入ったネックレスとキレイな鎖骨が見える。
そして、そのブラウスを押し上げる胸、同性から見ても大きいと思うそれが目に入った。
どうしたらそんなに大きく育つのか、自分自身と思わず比べてしまう。
「初めまして、担任の高橋楓です。宜しくね。神居さん。」
視線を感じたのか、出席簿を両手で抱きかかえるようにして、胸元を隠していた。
担任の高橋先生は、クリップボードを見つめながら右手に持つボールペンを、忙しなく動かしていた。
「お父様からは、今日は伺えない旨のお話は聞いています。」
クリップボードから目を離し月菜に目線を合わせると、再びクリップボードに目線を持っていく。
「お父さんと二人暮らしなんですね・・」
独り言のような言葉を、月菜に視線を戻しながら話しかける。
「はい。母は私が幼いころに他界しました。今は父と二人です。」
「あっ・ごめんなさい。」
「いいえ・・慣れてますので・・」
担任は申し訳なさそうに慌てて謝罪を口にしたが、月菜には毎度の事なので特に何も思わない。
「お父様はお若いんですね・・」
しばらくの沈黙の後、話を切り替えようとしたのか、急にそんな方向に話ふられる。
「ええ・・まぁ・・」
(またか・・)月菜はそんな事を思いながら曖昧に答えた。
いい加減慣れているはずだが、転校するたびにこの質問を浴びせられると、何故か心が騒めく。
「私の年齢で、既に私が生まれていたようです。」
笑顔のようなこまったような顔で、首を傾げながら担任に向かって答える。
自分でも不思議なのだが、「父が若くして、私を授かった事。」を興味本位で聞かれると、何だか馬鹿にされたような気持になり、モヤモヤとして相手に突っかかりたくなる。
月菜は物心が付いた頃には、既に父、忍と二人暮らしだった。
小学校低学年の頃だったろうか、宿題で父の生年月日初めてを知った。
その時は何とも思わなかったのだが、中学生になり世の中の事に目が向くようになった頃、私を授かった年齢が、世間一般の常識的から外れている事に気が付いた。
なんでそんなに若い時に私が生まれたのか、母は何歳で私を身籠ったのか、父に聞いたことがある。
私が生まれた時、父は17歳、母は26歳と教えてくれた。しかし、肝心の17歳の父が母との結婚とか妊娠・・その辺になると話をごまかされる。
それならばと、祖父母に聞いても笑って遠回しに話を逸らされる・・ただ、月菜を授かってからも父と母は直ぐに籍は入れなかったらしい、まぁ父の年齢を考えると何となく事情は想像できる。月菜自身もその当時すでに中学生なのだから、ある程度「世間的には外聞の悪い事情」があったとしても聞き流すくらいできと思っていたが、結局未だに教えて詳しくは教えてもらえないでいる。
月菜が推測するに「パパもママも若かったのね♡」なのだが。
中学生の時、そんな若い父を学園祭で偶然同級生見られ「お兄さんみたい。」と、揶揄された事がきっかけで、父親の事を「パパ」から「しのぶくん」と呼ぶようになった。
半分は若い父親に対する気恥ずかしさもあって、照れ隠しに言い始めたのだが。
その後は前の学校の事を幾つか聞かれ、今後の進路や授業の進捗について受け答えが行われた。
「それでは、教室に行きましょう。」
高橋先生は笑顔で立ち上がり、先に応接室を後にする。月菜は慌ててカバンを持つと、先生の後に従った。
先生が立ち上がる時、盛大に揺れる胸元に目が奪われたのは内緒である。