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古書店主真樹啓介、大いに暗躍す その二

 そのうちに、あれよあれよとカレンダーはめくられて、とうとう木曜日になりました。約束通り報告をもらうべく、傘岡駅の南側、新幹線の高架わきにある行きつけの古書店「真珠堂」へやってきた富士野とA氏は、鼻をくすぐる甘い、肉気を含んだ香りにもしや……と、何も言わずに帳場の奥、小さな茶の間とキッチンのある一階へ足をすすめました。

「なんだァ、やっぱりこういうことだったのか」

「あ、やっぱり……」

 前触れもなしに開けたガラス障子の奥では、店の名前を刷り込んだエプロンをつけたままの真樹啓介が、おっとりとした調子のアルバイト、女子大生の陰山蛍と、湯気の立つつくねの串をほおばっているところでした。

「げ、悪いところへ……」

「安心しなよ、真樹さんの取り分くすねるほど悪い性格してねえさ。――蛍さん、こんちは」

 手土産に買ったクッキーのブリキ缶を差し出すと、蛍は串を皿の上に置いて、

「いつもいろいともらっちゃってありがとうね、中村くん。――店長、これどうしましょう」

 包み紙をヘアピンで丁寧に外してから、バツの悪そうにあぐらをかいている真樹へ尋ねます。

「毎度の通り、キッチンの右の戸棚に入れといてくれるかい。それと、ちょっくら男同士の話し合いがあるから、お客さんの相手頼んだぜ……」

「あー、またそうやってサボるぅ……」

「そう言ってくれるなよ、ちょっとオマケしとくから……じゃ、よろしく」

 ムクれる蛍をよそに、エプロンの紐をほどき、A氏と富士野を先に二階へ上げると、真樹は蛍へ店を任せ、階段を勢いよく駆け上がっていったのでした。

「――真っ昼間からイチャつくとは、古書店主ってえのは良いご身分ですなァ」

 東西の壁が全て本棚という、六畳ほどの薄暗い書斎へ通されたA氏は、あとから来た真樹をニヤニヤしながらからかいます。真珠堂のアルバイト・陰山蛍が真樹啓介の交際相手である、という世間にあまり知られていない事情を知っているA氏は、隙あらばこうして、真樹啓介をからかっているのでした。

「やかましい! あまりおちょくると情報は渡さないぞ……」

「おっと、そいつはカンベン。ま、ひとつ平に、おたいらに……」

 露骨に手のひらをかえすA氏を、適当な奴だなあ、とあきれながらも、部屋の隅に置いた魔法瓶で安物のコーヒーを淹れ、めいめいへ配ると、真樹は背後のふすまをそっと閉め、おもむろに口を開きました。

「あれからいろいろと動いてみたんだが、一番デカイ情報は、うちの客からもたらされたんだ」

「どういうことです、それ」

 富士野の問いに、真樹はこういうことでね、と前おいて話を続けます。

「一昨日の朝早くに、傘岡二高からさほど離れていない家から出張の買い取り依頼があってね。あまりうちじゃあ縁がないが、それなりに古い、ある程度はプレミアのついてる漫画本だったから、ともかく市電で現地へ行ってみたんだ。そうしたら、その売り主の娘って言うのが、例の田崎の被害者でね――」

「チョイチョイ、真樹さん、どーも話がつながらねえなあ。どうしてまあ、そんな珍妙なことが起きたんだよ。漫画を売りに出したお客の娘が田崎一弥の被害者ってのは、なんか奇妙じゃねえのかい?」

 コーヒーの入ったマグカップを握ったまま、A氏がカブリを振りながら尋ねます。

「まあ、話は最後まで聞けよ。実は、その漫画というのが恋愛ものの漫画でな。田崎の毒牙にかかって、手ひどい恋の破れ方をした娘がすっかり恋愛アレルギーになっちまって、ドラマでも漫画でも、色恋沙汰はすっかりダメ、ってことになってなあ。で、泣く泣くその子の母親が、大事に持っていた本を手放したという次第さ。あんまり市場で見かけない本だから、つい気になって尋ねたら、お袋さんが一切合切をペラペラ打ち明けてくれたってわけ。どうだ、これで話はつながっただろ」

「あ、なるほど――」

 ようやく合点がいったのか、A氏はポンと手を打ち、真樹の顔をまじまじと見つめます。

「高校生が相手じゃ、今度ばかりは高校のまわりをうろつかないと事情を得られないかと思ったが、思いがけず、役得と言うものが回ってきたわけさ」

「さすが真樹さん、真珠堂店主の名は伊達じゃないですね」

 富士野が感心して真樹をほめると、真樹はところがねえ、と人差し指を振りながら、

「ところがどっこい、これだけじゃあないんだよ。――こっちの素性を明かしたら、その子のお袋さんを通じて、同じ田崎の被害者の子たちが何人か割れたんだ。ちょっとばかり、保護者の間でも問題になっているらしい」

「おや、そらまたどういう具合で……?」

 A氏がしつこいぐらいに身を乗り出して聞いてくるので、真樹は彼の顔をおしやってから、ちょっと怪訝そうな顔で話を続けました。

「まったく、二十一世紀になっても人間のしがらみって奴は厄介でなあ。いままで大勢の被害者が出ながら、田崎一弥という人間が何のお咎めもなかったのは、やつの親父が学校近くの鴻ノ上ニュータウンの町内会の役員をやっているからでなあ。何か妙な気を起こして、うっかり町に住んでいられなくなったらかなわない。そんな理由から、みんな事情を知りながら、ビクビクしてすっかり縮こまっている、って寸法なわけだ。まったく、ひでえ話だぜ」

 ひとしきりの話が済むと、真樹は空になったマグカップへ白湯を注ぎ、熱いのもお構いなしに、それをグイと飲み干すのでした。

「なーるほど、これでやっと、問題の本質が見えてきたな。親は親で、道義に反する田崎に対して言いたいことは山ほどあるが、二高近くの鴻ノ上に住んでる面々は、町の役員相手に向こうを張って追い出されるのが嫌で、うかつなことは言い出せない……。これが、稀代のドンファンを増長させた一因ってわけかあ」

「いまどき、映画の脚本にもならないような筋書きだね」

 A氏のぼやきへ富士野も同意してみせると、真樹は二人へおかわりをすすめながら、気楽な調子で、

「しかし、裏返せばあの界隈に縁のない我々には何も恐れることはないわけだ。せいぜい、やつの腕っぷしの強いのが怖い、ってくらいのもんだろう? 中村くん」

 と、A氏に同意を求めます。

「その腕っぷしも問題なんだけどねえ……。で、さっき言ってた被害者の名前とかは?」

「ああ、それならここにある。君の言ってた四十数人にはまだ及ばないが、なかなかな人数だとは思うぜ」

 書斎の文机の上に無造作に置かれた、田崎の被害者の人名簿が入った安っぽい茶封筒をA氏へ渡すと、真樹は軽く首を回して、これでひとまず、役目は終わったな、と、安心した表情を二人へ見せるのでした。

「――やあ、こいつはすごい。第一陣でこれだけ人の素性が分かれば、あとはこっちでも悠々と動ける。ありがとう真樹さん、また何かあったら連絡しますよ」

「当分面倒ごとはごめんだぜ。ま、危ないときは駆けつけてやるから、遠慮なくいいな……」

 中身を一べつしてから、封筒を学生服の内ポケットへ仕舞うと、A氏と富士野は真樹に見送られて、真珠堂を後にしたのでした。


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