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「駆け込み寺」坂東医院にて その一

「まったく、君ってやつはうちを駆け込み寺かなにかと勘違いしてやしないかい」

 三村の顔の傷へ、跡の残りにくい新式の絆創膏を貼りながら、A氏馴染みの開業医、バンユー先生こと坂東祐太医師は、ちょくちょく面倒ごとを担ぎ込んでくるA氏の方へ、丸眼鏡越しに苦笑いを見せながら、それでもどこか愉快そうに微笑んでみせました。午前のうちに予約患者をさばき、暇を持てあましていた坂東医院は、薬品庫の整理をする中年の看護婦の他には誰もいない、賑やかな往来の様子とは正反対の静かな場所でありました。

「――でも先生、実際この医院ってそういう機能があるでしょ? 行きずりのホームレスとかすぐ助けちゃうじゃないですか」

 A氏の指摘に、坂東医師はオールバックにした自分のおでこをぺちんと叩いて、

「ハハハ、それを言われると痛いなあ。ま、こいつは絆創膏程度で済む傷だし、どうってことはないよ。――よし、次は君だよ」

 手当の済んだ三村に軽く微笑むと、坂東医師は後ろに控えていた内海を椅子へ座らせ、保健室でベタベタと貼られた、安いガーゼをそっと剥がしにかかりました。

「坂東先生、二人の顔の傷はすぐに治りそうですか」

 様子を伺っていた富士野が尋ねると、坂東医師は顔の消毒液を湿した脱脂綿で拭いながら、

「――湿潤治療用の絆創膏に替えたから、普通のやつよりきれいに治るよ。子供ならまだ代謝もいいし、二週間もすれば元通りさ」

 と、自身満々に答えます。この安心感を呼ぶ、自身に満ちた若い先生の元へ患者が押し寄せる理由が、富士野にはなんとなくわかったような気がしたのでした。

「はい、これでオーケー。学校には僕の方から話をしておくから、親御さんには自分で話すんだよ?」

 坂東医師の言葉に、三村と内海はちょっと申し訳のなさそうな顔をしてから、ありがとうございました、と丁寧に頭を下げるのでした。

「――にしても、すげえ権幕だったなあ。遠目で見ててもやばそうな感じがしたから割って入ったけど、あそこで止めてなかったら、今頃整形外科に担ぎ込まれてたかもな」

「ちょっと! ――ごめんね、曜子。あたしがどうかしてた」

「いいよ、別に。結局、全部の原因はあいつなんだし……」

「あいつってのは誰のこっちゃ」

 二人の会話に、争いの原因になったらしい第三の人物の影を見出したA氏は、腰を下ろしていたベッドから体操選手のように飛び上がりました。

「――どうする? 話しちゃう?」

 口を滑らせたのか、どことなくバツの悪そうな顔で内海とA氏を見やる三村に内海は、

「……今更隠し立てする意味もないでしょうからね。曜子、お願いできる?」

 と言って、A氏の座っていたベッドに入れ違いに腰を下ろしました。

 それを合図に、三村は滔々と、事のいきさつをA氏や富士野、坂東医師の三人に話し始めたのですが、その内容ときたらひどいもので――。

「つまり、そもそもは田崎に二股かけられたのが怪我の原因だったわけかあ」

 場所を変え、小さなバーカウンターのついた応接間でコーラをなめながら、A氏は向かいに座った二人に、丸顔に似合わない、ひどくぎょろついた両目を向けていました。

 中学校以来の付き合いである三村と内海の二人が取っ組み合いにいたったきっかけを作ったのは、一高のすぐ近くにある傘岡二高の生徒、剣道部員の田崎一弥という二枚目で通った優男、A氏の耳にも聞き及んでいる恋多きドンファンだったのです。

「そういうこと。わかったときは二高まで乗り込んで、一発かましてやろうかと思ったけど……」

 強気な装いの内海が、珍しく顔を曇らせるので、A氏は身を乗り出し、どしたの? と尋ねます。

「相手は剣道部の強豪選手。いくら経験者のあたしでもかなわないよ」

「しかしまあ、よもや田崎も自分が手をつけた女が親友同士とは思わなかっただろうなあ。――ひょっとすると、我々の知らないところで第二、第三の君たちが取っ組み合いをしているんじゃなかろうなあ……」

 腕を組んだまま、A氏が首を自分に向けてきたので、外国煙草のキャメルをふかしていた坂東医師はぎょっとして、口から半分ほど灰になった吸いさしを離しました。

「そ、そんな患者は知らないよ……」

 あからさまに怪しい態度をとる坂東医師に、A氏はさらに、僕は患者なんて一言も言ってないんだがなあ、とひと押しをかけます。

「バンユー先生、白状したほうがいいですよ。そういう受診者、何人か心当たりがあるんでしょ……?」

「中村くん、こういうことを言わないのは医者の職業上の義務なんだ、悪いが今度ばかりは――」

「そう言わず、ひとつ今回は職業上の守秘義務は打ち破って、僕らに協力しちゃくれませんか。このまま放っとくと、被害者が増えるばかりですよ」

「いや、だめだ。僕も医者のはしくれだ、医学の始祖・ヒポクラテスが草葉の陰で嘆くようなことはできない……」

 吸いさしをもみけし、真新しいキャメルに火をくべながら、坂東医師は力強く反論します。どうやら打つ手なし、と悟ったA氏は腰を上げ、

「そいじゃあ、僕は僕で勝手に事件を追っかけます。バンユー先生の職業的良心を汚しちゃ、ヒポクラテスに闇討ちされそうですからね。――というわけだからご両人、この件は僕に万事任せてもらおうかと思うけど、異存はないかな?」

 と、グラスを握ったままの二人へ問いかけ、どうにかOKをもらうと、A氏は再び腰を下ろし、残ったコーラを満足そうになめだしたのでした。

 秋の空は早くも日が傾きだし、さみしげなカラスの鳴き声がそこかしこの電信柱の上から飛び込んでくる、夕暮れ時のことでありました。


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