真昼の決闘 その二
おおよその見当から、ケンカの舞台が職員用の駐輪場からさほど遠くない場所と割り出したA氏は、鍵をろくにかけていない通用口から上履きのまま飛び出し、黄色い罵声の飛び交うほうへ躍り出ました。案の定、平手打ちは平手打ちを呼び、手当たり次第に立てたらしい爪痕がお互いの頬へほとばしるような赤い筋をつけている有様で、さすがのA氏もギョッと立ちすくみました。
が、すぐに自分の頬を叩いて正気を戻すと、A氏は間に割って入り、
「この野郎、お前らのケンカを見つけたせいで、購買のパンをオシャカにしたんだぞ。どうしてくれるんだ!」
と、トンチキなことを言いだしたので、眉をつりあげて怒鳴りあっていた二人は興をそがれ、ハタと正気に返ったのでした。
「あなた、B組の……!」
「――やあ、誰かと思えばA組の……誰だっけ?」
生まれつきらしい、本当は虫も殺せなさそうな穏やかな顔にA氏は覚えがありましたが、交友のほとんどないよそのクラスの人間ではぱっと名前は出てきません。
「富士野くん、この子どなた?」
「なんだ、エーさん知らないの。A組の三村さんだよ」
富士野の助け舟で、ショートカットの彼女の名が三村曜子だとわかると、A氏は最前まで三村ともみ合っていた長い髪の女子生徒、同級生の内海羽月の鼻血に見かねて、学生服のポケットから真新しいポケットティッシュを出してやったのでした。
「――ありがとう」
ティッシュで鼻を押さえながら、内海はバツの悪そうな目でA氏の苦々しげな双眸を見つめます。色白な彼女の頬は、三村のたてた爪がいたるところにかき傷を作って、雨でも降っているような有様です。
「何があったか知らねえけど、殴り合いを放っておくのは僕の趣味じゃないんでね。それより、どうするつもりだい? こんなケガしてクラスに戻ったら、否応なしに呼び出しを食う、場合によっちゃ謹慎処分、悪けりゃ停学、ないしは退学……」
「エーさん、まずいよ……」
なにが? と、富士野の声に頭を向けたA氏は、しまった、と歯をむき出しにして焦りました。遠くから、車の中で煙草を吸っていたらしい、アンパンというあだ名のゴリラが人間に化けたような人相の体育教師・井村がノッソリとこちらへやってくるのです。この井村先生、洒落っ気もあって、決して物わかりの悪いタチではないのですが、商売柄、この手の事柄にはひどく敏感なのが玉にきずなのでした。
「どうしよう、こんなとこ見られたら……」
「まあまあ、これも何かの縁だ、僕に万事任せときなさい。――井村先生! 井村先生!」
不安がる三村をよそに、A氏はいきなり叫び声をあげ、掲げた右手を左右に激しく振りました。うつむきざまで歩いていた井村先生は陽気に手を振りましたが、すぐにA氏の背後で傷だらけになっている二人の女子生徒に気づくと、わき目もふらずに走ってきて、なにがあった、と、ギョロリとした両の眼を一座へ向けるのでした。
「先生、まずいことになりましたよ。どっかから猫が入ってきて、いきなりこの二人に襲い掛かったんです」
傷だらけの三村・内海の二人へ指を向けながら、A氏は嘘八百を並べ立てます。
「なんだって――で、どこにいった?」
「さあ、僕が来た時にはもうどっかに逃げてった後で……。ただ、首輪もない野良猫だったみたいだから――」
「そ、それは本当か!」
A氏の調子に乗せられて、井村先生は目を見開いて驚いています。
「野良猫からうつる病気もあるんだ、早いところ消毒をしないと……」
「そのほうがいいと思います。あと、経過観察もいるだろうから、放課後にどこかの病院を受診させた方がいいと思うんですが……」
そこから先はまさに、A氏のファインプレーでした。騒ぎになるといけないから、報告はごく一部の先生だけにして、午後の授業は別室で休ませておくこと、それから、自分がよく世話になっている医院があるから放課後にそこへ連れてゆくこと……。主導権を握ったA氏にすっかり踊らされ、井村先生は二人を保健室に連れて行ったあと、大慌てで職員室へと飛んでいったのでした。
「――これで万事解決、だな」
「さすがエーさん、うまくまとめたね」
手当が終わり、教室へ戻る廊下をのそりと歩きながら、A氏と富士野は絆創膏とガーゼまみれになった三村と内海へ、満足そうな顔を見せるのでした。
「――なんだかごめんなさい、いろいろ手間取らせて」
それまでロクに口を利かなかった三村が、伏目がちにA氏へ礼を述べます。
「なに、義を見てせざるは勇無きなり、って偉い人が言うじゃんか。――あとは適当に話をつけとくから、図書室でゆっくり休んでな。たぶん、先生たちへはアンパンが話を通してくれてるでしょ」
「でも、さすがに病院とかだと、診察とかで面倒なことになるんじゃない?」
内海が手の甲をもじもじさせながら尋ねると、近くにいた富士野がそれなら大丈夫だよ、と、笑いながら事情を打ち明けました。
「エーさんの知り合いに、こういう面倒ごとに理解のある若いお医者さんがいるんだよ。事情を話せばどうにかごまかしてくれるから、そこのとこは安心していいよ」
「――中村、あんた顔が広いのね」
納得がいった内海の言葉に、まあ、伊達に生きてはいないからね、と、A氏ははにかんでみせます。昼休みがそろそろ終わろうという、時計の針が一時半に差し掛かった頃合いの出来事でした。