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曰く、「二兎を追うものは……」の巻 ~人情高校生・中村瑛志、ドンファンを成敗する~  作者: ウチダ勝晃
大団円

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13/13

曰く「二兎を追うものは二狼(にろう)に追われる」

 田崎一弥の父親・田崎淳造がある筋の告発から談合あっせんの角で逮捕され、一家が新興住宅地・鴻之上ニュータウンから煙のように姿を消したのは、河川敷での出来事があった、ほんの少しあとのことでした。さすがに親とは違って、一弥の悪行の方は新聞沙汰にはなりませんでしたが、どこからか噂が漏れたらしく、空き家になった田崎邸を見る近隣住民や通り過ぎる人の目や口ぶりには、実に冷たいものがありました。

「――結果的に親子両成敗、って形になっちまったなあ。悪いが中村くん、これはオレの責任じゃあないぜ」

「さすがにそれくらいはわかってますよ。まあ、泣きっ面にハチ、ってなったのは、さすがにちょっとかわいそうな気もしないでもないが……。不可抗力だもんねえ」

 一連の出来事が解決してしばらく経ったある日曜日、坂東医師の家で行われたごく少数の関係者による集まりで、真樹啓介とA氏は、思いがけない動きに巻き込まれた田崎一家の数奇なその後を思い返し、少しだけ暗い顔をしてみせました。

「エーさん、もういいじゃないの。神は天にいまし、世はすべてこともなし』……。でしょ?」

 富士野の投げた問いに、坂東医師お手製のレアチーズケーキに舌鼓を打っていた内海や三村、そして、A氏によって万事片付き、憑き物のとれたような顔の冬月が、しきりに頷いてみせます。

「中村さん、何から何まで、本当にありがとうございました。――でも先生、ほんとにいいんですか? この傷の治療をタダでお願いしちゃって……」

 青いタートルネックの袖からのぞく、真新しい包帯をさすりながら、冬月は遠慮がちにA氏と坂東医師を見つめます。というのも、知り合いの整形外科で新人の研修を兼ねた傷跡の手術の被験者を探している、と坂東医師から聞きつけたA氏が間に入り、整形外科と冬月へ渡りをつけた――そういういきさつがあったからなのです。

「まァ、あちらさんからしたら、いちおうは新人研修の一環、ってわけだからねェ。むしろ、引き受けてくれた冬月さんには、いくら頭を下げても下げ足りないだろうさ。――そうでしょ、バンユー先生?」

 A氏が坂東医師へバトンを渡すと、坂東医師はロイド眼鏡越しにやさしく微笑んで、

「ああ、まったくだよ。冬月さん、あの病院の技術力は折り紙付きです。怖がらず、安心して手術を受けてください」

 と、どこか固くなっている冬月の緊張を解きほぐします。

「おそらく、あの気障な少年ドンファンが我々の目の前に現れることは一生ないだろう。そうなりゃあ、いつまでもそのことを引き摺って、暗い人生を送るのはお門違いってもんさ。冬月さん、あんたにはその傷跡をなかったことにして、本当に、心の底から大切に思えるような相手を探して、楽しく人生を過ごす権利があるわけなのさ……」

「中村さん……」

 A氏の言葉に、冬月は目じりをにじませながらも、晴れ晴れとした笑顔をのぞかせています。冬月ほどではないにせよ、軽いけがをする羽目になった内海や三村も同じ気持ちだったようで、三人のうるんだ、それでいて実に朗らかな目元に、事件解決のため東奔西走したA氏や富士野、真樹啓介や坂東医師は心の底から、彼女たちの明るい今後を願うのでした。

「……にしても遅いなあ。あいつら、いったいどこで道草喰ってるんだ?」

 しばらく経ってから、応接間の時計が二時を告げたのを聞いたA氏はせわしなく、スリッパのつま先で床にひかれたのトルコじゅうたんをさすりました。

「おいおい中村くん、あまり乱暴なことをしないでくれよ」

 家主である坂東医師にたしなめられると、A氏は軽く詫びを入れてから、

「珍しいこともあるもんだ。茜はともかくとして、時間に正確なアンツルまでが遅れるなんて……」

「――あれ、中島さんも呼んでたの?」

 茜、という名前に、越州女子学院の生徒・中島茜のことを思い出した内海が、紅茶のカップを持ったまま、A氏へ尋ねます。すると、どうしたわけかA氏は目を泳がせ、

「あ、ああ。一応な……」

 と、いやに歯切れの悪い返事をするではありませんか。

「そういえば、あのとき中村くん、中島さんのリュックからロープを出してたよね。自分で持ってれば早かったのに、どうしてそんなことをしたわけ?」

「そ、それはねえ……」

 あとから三村も、河川敷での一件を思い出して質問を投げますが、どうも要領を得ません。なにかA氏には、今度の一件とは別に後ろ暗いものでもあるようです。

「どうしたのよ、ハッキリしなさいよ」

「そうだよ、ちゃんと説明してよ。隠すことないじゃない」

「そ、それはなあ……」

 内海と三村に追い打ちをかけられ、A氏がすっかり弱り切っていると、折よくそこへ、玄関のベルが軽快な音を立てて鳴り響きました。

「――おやっ、お待ちかねの二人が来たらしいぜ?」

 なにか事情に心当たりでもあるのか、真樹啓介が手土産に持参したカステラをつまみながら、肘でA氏をつつきますが、いつもなら丁々発止の返答をするA氏も、今日に限って元気がありません。

「バンユー先生、僕、迎えに行ってきます。ほいじゃあ……」

「あっ、逃げたっ」

 そそくさと応接間を出て行ったA氏の後ろ姿へ、三村が不満げな態度をあらわにします。

「――富士野、中村のやつ、いつもこうだったっけ?」

 内海が尋ねると、富士野はちょっと困った顔をして、

「なんていうか……これがエーさんの唯一のウィークポイント、みたいなもんでさ。そう思いませんか? 坂東先生」

 と、うまく話を投げると、ソファから少し離れ、スタンド灰皿を前に、キャメルへ火をくべようとしていた坂東医師は手を止めて、

「まあ、その通りと言えば、その通りでしょうね。みなさん、あまり攻め立てては可哀そうですよ。なに、じきにわかります……」

 そこへ同意するように、さらにニヤニヤと笑う真樹啓介の顔を見て、三村や内海、それに冬月は、ますます訳が分からなくなってしまいました。そうこうするうちに、ドアの向こうからA氏の嫌がる声と、それにまとわりつく黄色い声、たしなめにかかる低い声が階段から近づいてきて、

「お二人さん、ご到着……」

 と、なぜかゲンナリした顔のA氏に続いて、

「こんにちはぁ。わあ、皆さんお揃いで……」

「こんにちは。どうも、遅くなりまして……」

 と、水色のジャンパースカートにボレロを羽織った中島茜の無邪気な顔、緑のダブルのブレザーを着た、アンツルこと安藤千鶴の落ち着き払った表情が、並んで応接間へと入ってきました。

「よぉ、安藤ちゃん、元気だったかい。中島ちゃんは……相変わらず元気らしいな」

「――だってよ、茜」

「わーん、せっかくセットしたのにぃ……」

 真樹の指摘を受けたアンツルが、自分の茶色がかったくせっ毛をわしゃわしゃと撫でまわすので、茜は手をじたばたとさせ、必死に抵抗してみせますが、上背のあるアンツルにはその抵抗も意味がなく、左手に持った紙の手提げ袋がガサガサと鳴るばかりでした。

「こらこら、あんまりジタバタすると崩れちゃうだろうが。――バンユー先生、すいませんが空のお皿を一枚もらえませんか。どうも、その袋の中身が遅れた原因らしくて……」

 茜たちをたしなめながらA氏が頼むと、坂東医師はバーカウンターの裏にある食器棚から一枚のガラス皿を出し、それをアンツルへと手渡しました。

「ほい、一時休戦。割れたりしたら、いとしのエーさまが食べてくれないぞぉ」

 眼下でもそもそと動く茜を制し、彼女のほっぺたを指で突きながらアンツルが言うと、

「もー、そうやって人の弱みにつけこむぅ……。わかりました、休戦です」

 渋々、茜はアンツルの提案を飲み、手提げ袋の中から薄手の紙袋にくるんだ、まだうっすらと熱気のある色とりどりのクッキーを、アンツルから渡されたガラス皿へ並べたのでした。

「すいません、これを作ってたら待ち合わせに遅れちゃって……。千鶴ちゃん、とばしてくれてありがとうねぇ」

「――ったく、警察に見つかりゃしないかひやひやしたよ。側車付きであんなにとばせるなんて、あたしも知らなかったけどさ……」

 お皿を座卓の上に置くと、茜は富士野とA氏が明けたスペースへ千鶴の手を引いて、よいしょっ、と勢いをつけてから座りました。

「相変わらず、ブッ飛ばすもんなァ、アンツルは。捕まってもおら知―らね……」

 冗談めかしながら、二人分のカップへ紅茶を注いでやると、A氏はその場で蚊帳の外になっている内海や三村、冬月のほうへ目をやって、そういや、君らにはきちんと紹介してなかったねエ、と、軽く咳払いをしてから、二人について話し始めました。

「ここにいる二人は、実はオレが田崎に近づけた、こちら側の諜報部員だったのさ。アンツルは中学の頃からの映画ファン、古典芸能ファンの友達で、こっちのチッコイのは……」

「ハイハーイ、わたしはエーさまの愛しの彼女でーす」

 茜の唐突な一言に、内海たちは天井に響くようなエッ、という声を発しましたが、

「――ところがどっこい、それはこの子がただただ瑛の字をオッカケまわして自称してるだけで、瑛の字はその辺はグレーな感じなんだとさ。せっかく好意を持ちかけられてるんだ、いい加減に受け入れてやれよ……」

 と、アールグレイをすすりながらしきりにA氏へ肘鉄を食らわせるアンツルの一言に、内海たちは一転、くすくすと笑いながら、バツの悪そうに赤い顔をしているA氏の方を見やるのでした。

「あーア、こっぱずかしい。――富士野くん、あとは頼んだ。オレはクッキーをかじるのに忙しいのだ……」

 茜の持ってきたクッキーを二、三枚、むやみに口へ入れると、A氏からバトンを受けた富士野が、じゃ、そういうことで、と前おいてから、ここまでの経緯を説明しだしました。

「――この作戦は、一連の事情を聴いた千鶴さんと茜ちゃんから、僕らのほうへ直々に持ち掛けられたんだ。最初はさすがに、僕やエーさんも反対したんだけど、聞いてみたら、千鶴さんのお友達も被害者だったらしくて、『これを吞まなかったらオートバイで田崎の家に突撃するぞ』とか言い出したから、まあ、そこまで言うならたぶん大丈夫だろうと思って、エーさんともども、OKを出したってわけ。――ごめんね、二人とも。知ってたのに、知らないようなフリしてて」

「まぁ、あたしはともかくとして、茜はこれでも、合気道部から助っ人頼まれて、そのまま全国大会をあがっていっちまった折り紙付きの実力者だからなあ。案の定、河川敷ではいの一番に突っ込んでいったから、模造刀片手のあたしは肩身が狭かったよ」

 照れくさそうに、あの日のことを語るアンツルへ、クッキーを胃へ落とし込んだA氏は手の甲で口を拭いながら、

「いやあ、あの日はオートバイの側車にざんばら髪にした友達乗っけて、市電の窓から脅かしたりして、なかなかの活躍だったじゃないか」

「ほんとに、あれはびっくりしましたよぉ。エーさまから種明かしされて、やっと震えがとれたんだもん。大役、おつかれさまでしたぁ」

 茜がほめると、アンツルはそうかなぁ、と、控えめに嬉しそうな顔をしてみせましたが、

「――それに、竹光片手のおっかけっこ、ナカナカ良かったと思うぜ、仁義なき戦いってカンジでさ」

「誰が倶利伽羅紋々だっ」

 余計な一言に怒り、アンツルがA氏の頭へ軽くチョップを入れると、脇でそれを見ていた茜が慌てて、

「もー、これでバカになったら、わたし許しませんよぉ。あらあら、可愛そうに……」

 と、小さな手のひらでしきりに、A氏の頭を撫でまわします。恥ずかしそうではありながらも、A氏もどこか、まんざらではなさそうな笑顔をしているのが、二人の実に微妙な関係を物語っているようでした。

「――ケッ、公衆の面前でのろけやがって、末永いバカどもだ。いい加減、諦めて付き合っちまえよなっ」

 常日頃、蛍との関係をA氏に茶化されている恨みつらみがあるのか、珍しく真樹が愚痴ってみせると、それを見ていたほかの面々から、たらいをひっくり返したような愉快な笑い声が上がり、応接間の中にこだましました。

「――いやァ、残念ながら、僕は今しばらく、この子とはナントモない関係のままのつもりなんですよ。ちょうどいい、人も集まっとるし、そのわけを話しちまおうか」

 と、軽く咳ばらいをすると、A氏は立ち上がって窓際へ背を預け、その場の面々の視線を一新に集めるのでした。

「そもそも、茜とはこうして今ジタバタしなくたって、大人になったら一緒になるようにできてるんだよ。だいいち、中島の家とうちの実家は親父同士の仲が良くてさ。ゆくゆくは自分の子供たちを結婚させてしまおうじゃないか、って、もうずいぶん前から言われて、こっちも承知してるわけ。だから、みんなが思ってるよりも長いんだぜ、このチビッコのラブコールは……」

「そうですねえ、幼稚園の時からですもんねぇ。もー、エーさまったら、そのころからツレないんだからぁ」

 身をよじらせながら恥ずかしがる茜を、A氏は困ったように一べつしてから、

「つまりだ、オレはこの子が嫌いだから避けてるわけじゃあないの。二十二、三になったら、二人そろって高砂や……と、三々九度の盃交わして、祝言上げる気ではあるのよ。ただ……」

「ただ……?」

 話に引き込まれ、茜やアンツル以外のギャラリーが、首を前に出し、身を乗り出しながら尋ねます。

「ただ、今のオレは、のんびりと富士野くんやアンツルとかと映画を見たり、こうして頼れる大人たちとゆっくり過ごしたいんだよ。だから、どーしても茜ちゃんに対しては、優先順位が低くなるわけ。よく言うじゃないの、『二兎を追う者は一兎をも得ず』って。オレはその諺を信じて、今やりたいと思ってることへ全力を注いで、大いに楽しみたい、と思っているのさ。――ま、『二兎を追って二匹の狼におっかけ』られたバカ男の出た直後じゃあ、イマイチお判りいただけないかもしれないが……。どうかな、諸君?」

 『二兎を追って二匹の狼におっかけられた』というのはさしずめ、諺のように言えば『二兎を追うものは二狼に追われる』という具合になるのでしょうか。二人の女性へうつつを抜かし、挙句の果てにうさぎの皮をかぶった茜とアンツルという狼に追いかけられた少年ドンファン・田崎一弥に対する評として、これほど的確なものはありませんでした。

 ともかく、A氏の意見はちょっと不思議な理屈にも思えましたが、決して曲がったことを言っているわけでもないのですから、別段異論が上がるようなこともなく、その場は満場一致で、納得の色に染められました。が、ただ一人、茜だけは納得がいかないらしく、頬を軽くふくらませて、

「うー、そんなのってないですよぉ。エーさまのいけずぅ」

 と、近くへやってきたA氏の脛を、革靴のつま先で小突きます。

 そんな茜をA氏はなだめながら、そうむくれるなよ、と、茶色いくせっ毛をなでまわします。

「――ハハハ、そうむくれるなよ。なに、きみの過剰なスキンシップが苦手ってだけで、全部嫌いになったようなわけじゃないんだぜ。今度また、いっしょに甘いモンでも食べに行って、あのドンファンのことを忘れようじゃないか、な?」

「――もー、そうやって誤魔化すんだから……。いいですよぉ、でも、わたし色々食べたいのがありますから、そこはお願いしますよ?」

「おやおや、手厳しいこと……」

 肩をすくめて茜のほっぺたをつつくと、A氏はちょっとだけ真面目な顔で彼女を見てから、

「だめだぁ、おかしくって見てらんねえやあ!」

「――あはは、こいつは傑作だ。富士野、この顔写真にとっちまいな」

「そ、それはひどいや、わははは……」

「わーん、ひどーい!」

 ふくらんだ頬をつついていたA氏が吹きだしたのにつられて、アンツルや富士野も腹を抱えて笑い出し、再び、内海たちや真樹たち大人組を交えての笑いの渦が、坂東医院の応接間に巻き起こるのでした。

 秋晴れの、実にさわやかな空が傘岡の町を覆う、十一月上旬のある日曜日のことでありました。


 粋でいなせな好事家高校生、A氏こと中村瑛志と、そのゆかいな仲間たちの日常はまだまだ続く……。

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