2話
夜通しVVWにフルダイブしていたが、退屈な二限の授業で睡魔に襲われることは一度もなかった。
やはり、フルダイブ中の身体は睡眠状態となり、仮想世界での記憶は云わば夢のような扱いなのだろうか。いずれにしろ、二十四時間の活動時間を確保できるのは有難い。多忙な経営者やビジネスマンは、パブロフの犬のように唾液を垂らすことだろう。
隣の席で授業を受けていたかえでは、気持ち良さそうにすやすや眠りこけていた。授業中眠ってしまうくらいなら、わざわざ早起きしてうちに寄らなければいいのに。授業が終わり、学食に移動してそのことをかえでに言うと「どれだけ睡眠を取ってきても、あの教授の声は子守唄にしか聞こえない」とのことだった。子守唄については俺も同意見だったので、それ以上突っ込むのは止めた。
俺の通う大学の学食は都内では定評があった。食事時になると生徒はもちろん、教授、近隣の大学生や、ときにはサラリーマンも食べに来ているのを見たことがある。二〇二〇年度都内学食ランキングで第三位に選ばれて以降、常に五位内に名を連ねていた。
「美愛は就活どうなんだ?」
俺は人気メニューのチキン竜田揚げを頬張りながら、かえでの隣に座る同級生に訊ねた。
「あたしは全然ダメ。自信なくしちゃった。どうも緊張しいなのよね」
美愛も同じチキン竜田を食べている。文学部外国語学科の美愛とは、入学当初、《マグネム》というプログラミングサークルの新歓で出会った。文系にも関わらず機械いじりが好きで、男ばかりのサークル内では紅一点となっている。美愛はおっとりした雰囲気に見えて、高校時代に独学で学んだプログラミング知識はサークル随一でもあった。マニアックなものでは、使用人口がめっきり減ったCOBOL言語にも知識を有する。
「早く就活終わらせて、芹人と卒業制作したいな」
お互いの就活がひと段落したら、共同でプログラムを組もうと話していた。四年間のサークル活動の集大成とでも呼ぶイベントだ。
そして、候補としてあがっているのが株式自動売買なるトレーディングシステムだ。もちろん提案したのは俺で、あらかじめ決めたルールに従い、機械的にシステムトレードを行うソフトウェアである。一〇〇パーセント俺の趣味からきたアイデアだが、美愛も三つの条件付きで承諾してくれた。
一つ目の条件は、株のルールが解らない美愛に代わって、システムのアルゴリズムを全て俺が考えるというものだ。一時期、株式に関する本を朝から晩まで読み漁った経験を活かせば、さほど苦労なく組めるだろうと考えている。
二つ目の条件は、むしろこちらからお願いしようと考えていた程の好条件だった。証券会社の口座を持っていない美愛は作っても検証ができない。美愛に代わり、実際に株の取引を行い、さらに投資資金も俺が用意すること。つまり、自腹を切ってデバッグしなさいということだ。もとより、そのつもりだった俺は喜んで条件をのんだ。
最も決断に悩んだのが、三つ目の条件だった。アルゴリズムを全て俺に任せる代わりに、プログラミングは全て美愛に任せろというものであった。それだと正確に二人で作ったことにならないと反論したが、設計と開発の役割を明確にするべきだという美愛の主張にも一理ある。そもそも、卓越したプログラミングスキルを有する美愛は、複数のプログラミング言語を扱い、特殊な言語にも精通している。作業効率を考え、俺は三つ目の条件ものむことにした。
キャンパス内で俺と美愛が一緒にいる時間は比較的多かった。そのため、美愛とかえでが親しくなるのに然して時間は掛からなかった。
「美愛は優柔不断なところね。面接でどっちつかずの返答してるんじゃないの。そういうことすると終始に矛盾が生じるわよ」
紙パックの野菜ジュースを音を立てて吸い込むと、かえでは続けた。
「ご飯だって、ほら。自分で決められないから芹人と同じのだし。どうせならわたしの真似すれば良かったのに」
かえでが言っていることもわかるが、美愛は優柔不断な性格ではないと俺は思っている。一貫した信念とでも言うべきか。二年の秋頃、短い期間だが美愛と付き合っていた時期があった。付き合いたいと言い出したのも、別れを切り出したのも美愛だった。結果、翻弄された形にはなったが、自分の思った方向に物事を運べる女性だと深く印象付けられた。
振られた後は穏やかなもので、別の男性に乗り換えたという噂もなければ、今まで以上に仲良く一緒にいる時間も増えた。周りとの関係を壊したくないという美愛の希望で、サークルの仲間に知っている者もいない。もちろん、かえでにも秘密だ。
「そういうかえでだって面接進んでないんだろ」
「残念でした。地銀の選考が最終まで進んでいるわよ」
かえでは得意げに言った。
「他にもメーカー三社の最終選考が残っているわ。どこも第一志望よ」
「第一志望が三つもあるっておかしな話だな」
俺が反論すると、かえでは眉間に皺を寄せる。見ていた美愛がクスっと笑うと、かえでは「どれかに受かればいいのよ」と言って一口残っていたサンドイッチを口に詰め込んだ。
かえでは曲りなりにも我が学科の主席である。プログラミングスキルは美愛に負けず劣らず。誰よりも真っ先に企業から内定通知をもらっていても不思議ではない。自分より先に俺が内々定を貰ったことが悔しいのだろう。面接のことで美愛に叱咤したのも、そのためだと思った。幸い、美愛は素直にアドバイを受け止めているようだ。
「芹人はいいわね。誕生日ももうすぐだし、いいことばかりじゃない」
内々定を黙っていたことを思い出したのか、かえでが嫌味たっぷりに言い放った。
「あ、そうだ! 誕生日、十月二十日だったよね」
「よく覚えてたな」
美愛が俺の誕生日を覚えていてくれたことに、少々驚いた。
「へっへー、だって一と二と〇で覚えやすいんだもん」
美愛は得意げに鼻の頭を掻いた。
「おーい、わたしも覚えてたんだけどな。そう言えば美愛の誕生日はいつなの?」
思い返してみると、俺も美愛の誕生日を祝った記憶はない。
「え、あたし? 十二月……二十三日……だよ」
遠慮がちに美愛が答える。どうりで――クリスマスのイベントに隠れ、誕生日の存在が一番薄れる時期である。
かえでもそれを悟ったのか、目を合わせると同時に、俺の発した「覚えておきます」に声を揃えた。
「ところで芹人、メールが来てるみたい」
足元のバッグの中で、LEDランプが点滅するメガネ型端末を、かえでは覗き込んだ。度の入った眼鏡一体型の端末も商品化されているが、普段からコンタクトレンズを使用する俺は、バッグに入れたままにしていることが多い。
俺はショルダーバッグから端末を取り出し装着した。メガネ型端末は、微弱な電波を常時発生している。左フレームから送信された電波は脳を透過、そして脳の命令を添加した信号は右フレームで受信される。結果、手で操作する必要はなく、端末操作は全てハンズフリーとなっている。頭の中で「メールを開く」と命令すればデバイスがそれに応答する。まさに脳科学と通信技術の粋である。
レンズを覗くと、視界の左上にメールアイコンがポップアップしていた。
それを開くと、「内定式のご連絡」というタイトルが目に飛び込んできた。
「内定式……? 芹人、内定もらっていたの?」
美愛の声で、またも心の声が漏れていたことに気づいた。今朝かえでに殴られたところを擦りながら、美愛に謝罪する。美愛は「後はあたしだけか」と言いながらも、早くも俺の内定祝いの企画をかえでと話し始めた。
メールには十月一日十四時開始の旨と、場所の記載があった。しかし、開催場所を見て俺は驚嘆した。
「なあ、内定式の会場が日本武道館なんだが。ちょっと大げさ過ぎないか」
内定祝いの料理の話に夢中になっていた二人に訊いた。
「そんなすごいところでやるんだ」
声を揃え適当な相槌を打つと、二人はまた料理の話に戻った。もはや祝うというより、宴会を楽しみたいだけのようだ。
確かにエルジェップは急成長をしているベンチャー企業ではあるが、設立して三年の若い会社だ。社員数も千人ほどで決して大企業とまではいかない。一万五千人も収容できる会場で行うのは不思議に思えた。
だが、それ以上に期待の気持ちが強かった。サークフスを開発した会社の内面を見る初めての機会だ。サークフスは将来絶対に売れる。一足先に体験を済ませたテストデバッガーだから言えることだ。
どんな人たちがこの商品に携わってきたのだろうか。自分もその一員に加わることに強い優越感も持っている。VVWへのフルダイブを重ねる毎に、その気持ちが膨張していくのを実感していた。
サークフスは最高のSNSなのだと。




