心なき天使 中編
すいません、病気してました……
王都の中央区の中でも更にその中心地。そこには王城が建つよりも古くから存在する井戸があり、周囲にはとても大きな広場がある。
長らく人々の交流の場として栄えてきたその広場は……今、かつてないほどの群衆に埋め尽くされ、雑多な叫び声とともにひしめき合っていた。
「シャルロッテ様!」
「シャルロッテ様ー!」
「押さないで! こら、危ないから押すんじゃない! 押さないで! 押さないで!」
井戸を守るようにして築かれた荘厳な囲い。その屋根の上に立つシャルロッテに向かい、群衆達が必死に手を伸ばす。
衛兵達は盾を並べて必死に押し返していたが、そのエネルギーはとても腕力で抑えきれるようなものではなかった。
(くふふふふ……本当にウジャウジャと集まっちゃってまぁ…………そろそろ限界ですね。始めるとしましょうか)
国旗をはためかせる鉄芯に手をかけながら、シャルロッテは広場の様子を一望して声を張り上げた。
「お集まりのみなさん! まずはあなた達が無事だったことを嬉しく思うのです。しかし魔王の陰謀はまだ終わってはいません。危機は未だ私達の首に……冷たい、暗い影のように手をかけています。
これからお話する内容は、あなた方に耐えがたき恐怖を叩きつけるかもしれない。でも、どうか最後まで聞いて欲しい。あなた達には神が……そして私がついているのですから!」
ザワ ザワ……
群衆が静まり返り、意味もわからずに顔を見合わせる。
「……え?」
「なに?」
固く門戸を閉ざし、息を潜める事しか知らない臆病者達が這い出てきたのは……ひとえに彼らの欲しいものがそこにあると思ったからだ。
王でもなく、衛兵達でもなく、他ならぬシャルロッテ自身の口から「大丈夫ですよ」と言って欲しかったからだ。
だが、彼女の口から安堵を告げる終演の知らせなどは出てこなかった。それどころか更なる警鐘が告げられたことにより、集まった群衆達が困惑する。
「ディアス。例のものを」
シャルロッテの合図を受けた従者が屋根の上で棺を立て、その蓋を開けた。
中には男の遺体が横たわっていて、人の拳ほどもある巨大な蛆が大量に蠢いている。
……ニェェェェ……
それはシャルロッテが人蟲の繁殖のために使った苗床だった。
まだ生きている蛆を従者がブスリと刺し、群衆に見せつけるようにグルリと回る。
人面のような先端から不快な鳴き声が漏れ、そのあまりの悍ましさに群衆から悲鳴が上がった。
「これは昨晩我々を襲った怪物達の幼虫…… そう、やつらは人の体に卵を産み付けて繁殖するのです。私達はその侵入経路を見つけました……それが、これです!」
ダァン!
シャルロッテは勢いよく井戸の屋根を蹴りつけた。
「そう。水……やつらは川の水や井戸の中に、目に見えない小さな卵を忍ばせたのです。みなさん、落ち着いてどうかよく聞いてください。あなた達の中には既に怪物の卵が植え付けられており……このままではこの男のように内部から食い破られます」
一瞬。ほんの一瞬の静寂。
そして怒号が鳴り響き、広場が揺れた。
ビリビリッ!! ビリビリビリビリィッ!!!
まるで生き物のようにうねりをあげて人々が絶叫する。
シャルロッテの言った事は虚言に過ぎないし、彼らの体内に卵が入り込んでいる事を何も証明していない。
しかしその事を指摘する者はいなかった。いたとしても誰も耳を貸さなかっただろう。
この世界では誰もが好きに真水を飲める訳ではない。特にこの人口の密集した王都では。
貧しい者達は時に水瓶に貯めた雨水を飲み、時には川の水に手を出すものまでいた。
誰もが水を必要としながら生活し……誰もが水を摂取する事の危険に晒されながら生きていた。
それぞれの抱えた体の不調が。病に侵されて死んでいった者達の記憶が。
群衆達が思い思いに描いた恐怖は同じ形を描いている。
まるで指揮者に操られているかのように、空を舞う狂想がうねりながら広場を飲み込んだ。
「シャルロッテ様!」
「お助けください!」
「シャルロッテ様ぁ!」
(くふ。くふふふふ……バカめバカめバカめバカめ)
シャルロッテがこらえきれない笑みを隠すように、屋根の上にしゃがみこむ。
彼女は手を下に向けて、井戸の屋根と同じくらいの大きさの魔法陣を起動させた。
彼女は少し待った。巧みに集団ヒステリーを操り、群衆の心の隙間に滑り込むタイミングを見計らう。そして……
(いまです!)
バキバキバキ!
井戸の底から巨大な氷柱がせりあがった。
普段氷魔法で使用する霧状の液体窒素ではない。H2Oで組成された本物の氷。
それは井戸の屋根を破壊してバキバキと突き抜け、台座のようにシャルロッテを押し上げる。
樹木のように枝分かれし、天使の羽のように広がる氷の柱。
白いローブを纏った巨大な天使がシャルロッテを包み込んでいるかのような荘厳な光景。群衆達は思わず息を呑んだ。
シィィィィン
冷気が熱狂を包み込み、彼女の時間が訪れる。
圧倒的で清浄な存在感は神聖さをも伴い、誰も口を挟もうとは思わなかった。
「大丈夫。心配ないのです。魔王さえ倒してしまえば怪物達は全て活動を停止します。ですからみなさん、どうか私に力を貸してください。
共に戦いましょう。そして打ち倒すのです! あの、邪悪なる怪物どもの首領。ハエの魔王……バアル・ゼブブを!!」
帽子をとり、両手を広げて笑みを浮かべるシャルロッテ。
金髪のくせっ毛が、氷柱から漏れた光を受けてキラキラと輝いている。
「シャルロッテ様……」
「おぉ、なんと神々しい……」
広げた両手を閉じて胸の前で組み、シャルロッテは目を閉じて片膝をついた。
誰からともなく、みなが同じ姿勢になって祈りを捧げる。
もしもエルバアルがこの光景を見ていたら「バカじゃないのかこいつら?」と糾弾した事だろう。
空気の読めない彼ならきっと言ったはずだ。
「何を根拠に目に見えない卵があるとか言ってるんだ? 何か俺達にわかる形で証拠出せるか?」と。
だが、ここに集まっている者達は嫌われ者の魔王ではない。適度にまわりの顔色を窺いながら右にならって生活を営んできた群衆達だ。
同じ格好をしているから味方。同じこと言っているから仲間。同じ敵と戦っているから善い人。
牧場から叩きだされた狼達はそれらのウソの虚しさをよく知っている。
だが、群衆を愚かだと断ずるのも筋違いだろう。時にそれらのウソは……祖父の代よりもっと昔から、真実より遥かに堅く、羊たちを守ってきたのだから……
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「まさかこれほどうまくいくとは。まったく、愚かな連中です」
「王達のあの慌てようときたらいやはや……傑作でしたな」
「くふふふふ。うまくいったでしょう?」
中庭を左手に見ながら王城の廊下を歩いて帰るシャルロッテとその取り巻き達。
あまりにも交渉がうまくいきすぎて彼らは侮蔑の念をたっぷりと含んだ笑みをこぼしていた。
王たちは民衆のパニックを収めようと動くどころか、『私達は大丈夫なのか』『助けてくれ』と民衆以上にパニックになっていた。
そして神殿に手配し、シャルロッテの言う通りに禁術の儀式を取り計らうように指示を出したのである。
「いまだに病気の大半が悪霊の仕業だと思い込んでるようなバカどもですからね……
平民がいくら死のうと彼らは気にしませんが、自身の健康に関する懸念については彼らは病的なまでに正常な思考が出来ない……水に関することについては特に」
噂が飛び交って以来、誰も水を口にしていない。そしてその渇きと恐怖はダイレクトに人の本能へ訴えかける。
早く、早く解決して欲しいと言う願いは焦りとなり、人々から正常な思考を奪ってしまっていた。
人の上に立つと言う事は人を支配すること。人を支配すると言うことは思考を奪うと言う事。
シャルロッテはそのためならどんな手段でもためらいなく行使するし、実際にその事を常に考えながら生きてきた。
時間を与えず、余裕を与えず、愚か者を扇動し、有能な者は殺す。
そうして成り上がってきたのだ。そして今、世界の頂点に指がかかっている。
シャリ……
談笑しながら王城の廊下を歩くシャルロッテの背中に、金属と金属が擦れる音が響いた。
彼女にとって一時的に協力する人間はいても、つまるところは全員敵である。
動揺などなかったし、いつどこで誰を殺す事にもためらいなどない。
だが……音は死角から響いた。
右に避けるべきか、左か、前か。
振り向く暇はない。とにかくこの一撃を避けないと戦闘すら始まらない。
「きさまっ!!」
左腕のローブごしに肉の感触。脇腹に短剣がめり込む。
ズブッ!!
(痛っ……熱……いや……これは……)
咄嗟に左の従者に魔法弾を撃ち込もうとしたが、0.3秒ほどの間に状況を把握出来た。彼は自分を助けようと突き飛ばしてくれたのだ。
後ろにいた男爵の手が真っ赤に染まっている。確か妻子を人質にとられて言いなりになっていた男だ。最近は随分と従順に動いていてくれていたが……
「ディアドレムス!」
ドスドスドスドス!!
振り向きざまに放った魔法の黒針が男爵に突き刺さって吹き飛ばす。恐らく即死だろう。
「シャルロッテ!!!」
間髪入れずに、公爵が柱の影から飛び出した。
それだけではない。廊下の両側から大勢の武装した騎士達……しかも十字紋の聖騎士まで複数いる。
(あぁ、そういう…………これはこれは、お兄様達まで勢ぞろいで)
シャルロッテは激痛に耐えながら右足で踏ん張って笑みを浮かべた。
4人の取り巻きが慌てて剣を抜くが、果たして彼らも本当に味方なのかどうか……
「父上! あぶねぇ!!」
「お待ちください! お父上!!」
剣を向ける取り巻き達に対し、公爵は武器も構えずに駆け寄る。
左の従者はどうしていいのかもわからずに、困惑した顔をシャルロッテに向けた。
「どいてくれぇ! 娘がっ! 怪我をしてるんだぁ!!」
明日も更新します!




