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心なき天使 前編

カーン! カーン! カーン! カーン!


 夜の闇を朱き炎が照らし、火事を知らせる鐘の音が鳴る。

 数か所で同時に上がった火の手の熱量は凄まじく、透明な熱風がヒリヒリと肌を焼いた。


「敵襲! 敵襲ぅ!!」


「報告いたします! 黒い覆面姿の男達が街中に火をつけて回っているのとのこと! 敵は軽装ながらも高度な戦闘技術を有しており、多数の死傷者が出ている模様!」


 次々と詰め所に持ち込まれる報告。敵の武装と外見的特徴は一致しているものの、逃走していったとされる方角がてんでバラバラで、敵の数がさっぱりわからない。



(クソッ! なんだって私が当直の時にこんな……!)


 シティガードの責任者は侯爵が務めているが、叩き起こしている暇はなかった。

 代理の兵長は各関連施設へ伝令を飛ばすと共に、部隊を編成して賊の掃討に向かわせる。


 だが、彼らが覆面姿の賊の痕跡を発見することはないだろう。


 黒い覆面姿の男達。そんな連中が……最初から存在していなかったからだ。




 火の粉が舞い、目が痛くなるような煙が風に遊ばれて襲い掛かる。焼け出された家族たちは避難所とされている教会に次々と逃げ込んだ。


「おぉ、神よ……我らを救いたまえ……」


 教会の中、怯える家族達が子羊のように身を寄せ合う。

 普段から信仰にあつかったものも、遠かったものも。この時ばかりは心から神に救いを求めた。


 そうして、どれほどの時間が流れただろう。


ガシャァァン!!


 ガラスの割れる音はいつだって激しく、強く人を驚かせる。それも……不安で心が弱っている時には特に。


 侵入してきた怪物はハエと呼ぶにはあまりにも大きかった。そして異常だった。

 まるでブツブツのデキモノのように人間の目玉がずらりと並んだ複眼。吻のような上唇と下唇が人間の歯ぐきのようになっていて、足も人間の指のようになっている。

 それでも瞬時に「ハエだ!」と思ったのは……その特徴的で不快な羽音のせいであったろうか。


 教会の中は文字通り阿鼻叫喚の絶叫に包まれた。怪しげな笛の音を気にする者など誰もいなかったし、もしいたとしてもそれどころではなかっただろう。

 バァンと扉が勢いよく開かれ、大勢の衛兵達が駆け込んでくる。


 腕に顔にと噛みつかれた避難民達の恐怖はいかほどばかりだっただろうか。

 そもそも人と言うのは、虫が顔にとんできただけで簡単にパニックを起こす。ましてそれが人の拳ほどもある悍ましい化け物であれば…… 


 住民達が暴れまわる中、飛び回って住民に張り付く虫だけを正確に攻撃するのは容易ではない。

 衛兵達は剣を捨てて素手で怪物に挑み、力づくで住民達から怪物を引きはがそうとした。

 ある者は引き剥がす事に成功し、床に押さえつけて短剣でとどめを刺す。彼らは恐怖の中で懸命にもがいた。指を噛みちぎられた者もいた。



「衛兵達は下がってください! 私が片付けるのです!」


「シャルロッテ様!?」


 悪戦苦闘の泥沼の中で響いたその声を。その姿を。彼らはどんな思いで聞いたのだろうか。どんな思いで聞いたのだろうか。


 もしこの状況を第三者の視点で見ていた者がいたら、その不自然過ぎるタイミングの良さに苦笑いを浮かべたかもしれない。


 だが、もし自分が当事者として実際に襲撃されていたら……そんな事を思えただろうか?

 避難してきた住民達に、その疑念を抱く責任があっただろうか?


ジュオン! ジュオン! ジュオン!


 まさに神業と呼ぶにふさわしい精密さ。放たれた魔導弾は住民達に一切傷をつけることなく、次々と怪物達を撃ち抜いた。


「すぐに他の地区の救援に向かいます。すぐに破れた窓を塞いでバリケードを組んでください。ここは頼んだのですよ!」


 ローブを翻して馬に跨る少女に、住民達が救いを求めて手を差し伸ばす。

 ある者は両手を組んで跪き、ある者は震える我が子を抱きしめて涙を流した。


 もしも、信仰の本質が「人のすがりたいものに縋る」と言う点にあるのだとしたら……


 その姿はまさに、神の御業に見えたのだろう。




-------------------------------------




「通して! 危ないから手を触れるんじゃぁない!」


 翌朝の王都は戦場のような喧騒に包まれていた。

 護衛の騎士達に囲まれて路上を進む公爵達の一行に、住民達が亡者のように群がる。



「……結局……賊とやらの影の尾すら掴めなかったな」


「変ですよねぇ。大体がこういう奇襲ってのは攻城戦の際に内と外から挟撃するための陽動ってのが定石です。しかし今回城壁への攻撃はなく、そもそもが王都のまわりに敵陣の姿がありません。っつーか魔王の軍勢は全員ヘルマン将軍達と一緒にカーディスにいる訳でしょ? おっかしいよなぁ」


 眉間にシワを寄せながら歩く公爵のぼやきに、隣に並び立つ鎧姿の次男が応える。

 グレン・バーンシュタイン。将来の聖騎士団長と目される剣技の達人である。


「お父上。考えたくはありませんが、やはりこれは……」


「言うな……まずは情報の収集と、確実にわかっている事実とそうでないことの整理に集中しろ」


 長男の懸念をひとまず引っ込めさせて、公爵もまた苦し気な胸の内に蓋をして前を向いた。


 女性のような美しい切れ長の顔と、金の長髪を侍らす長男の名はアーガスト・バーンシュタイン。

 若干20代ながら革新的な耕作技術を次々と打ち出し、僅か5年で領内の石高を1.6倍にまで引き上げた天才錬金術師。

 神秘的なカリスマ性と、飾らないきさくな性格を合わせ持ち、領民から絶大な支持を受ける次期当主でもある。


 口を閉ざさせはしたものの、長男の言いたいことは公爵もよくわかっている。そもそもがシャルロッテに対する警戒心からわざわざ多忙な彼らを呼び寄せたのだから。

 昨晩の混乱の中、公爵達も襲撃犯や怪物達の行方を追って走り回っていた。だが、結果はまるで雲を掴むように空振りばかり。

 実際にそんな徒労を踏み……そして、王都の地図が正確に頭の中に入っている彼らだからこそ感じる違和感があった。

 まるで怪物の出現した場所にシャルロッテが駆けつけたと言うよりは……東から西へと順に、シャルロッテの行く先々に都合よく怪物が現れたかのような。



ザッザッザッ……



「これはこれは公爵閣下。この度はこのようなお見苦しい現場に足を運んでいただきま……」


「御託はいい! ……こちらがその犠牲者か」


「は! さ、左様でございます……」


 やがて一行はとある路地裏の前で足を止めた。

 待機していた小隊長が指し示す先には、見るも無残なバラバラ死体が転がっている。



「……で? 例の怪物とやらは」


「お、恐れながら申し上げます。大変悍ましい外見をしておりまして、とても高貴な方のお目にかけるようなものでは……」


「いいから早く見せろ!」


「ヒィ! は、はい!」


 公爵に叱責されて隊長はおずおずと部下に木箱を持ってこさせた。


「う!」


「くっせ!」


 蓋を開けると、人間の死体のそれが気にならなくなるほどの悪臭が鼻をつく。

 ハンカチで口を覆い、顔をしかめながらも公爵はその異形を凝視した。


「きもちわるっ! なんだこれ!?」


「まさか……このようなものが」


 それは髪の生えた人間の頭部を前面と後ろからぺちゃんこにし、ゴキブリの羽を被せて足をくっつけたような悍ましい姿をしていた。

 中央。つまり人面の鼻のような場所がえぐり貫かれており、恐らく衛兵はここを突いて殺したのだろう。 


「明け方に我々が発見した時、既に犠牲者はこの有様でした。そして死体にこの怪物が喰いついていたのです。幸い、油断していたようで後ろから槍で一突きしただけで簡単に殺せましたが……」


「それで、君たちはこの犠牲者が怪物に襲われたと思った訳か」


「は! 左様でございます! ……え?」


 隊長は首を傾げた。哀れな犠牲者とその死体に喰いつく異形の怪物。状況を見れば誰の犯行かは一目瞭然に思えた。


 だが、領内で幾度となく犯罪者の処刑に携わってきた公爵は知っている。

 人体をバラバラにすると言うことがどれほどのエネルギーを必要とする行為なのかを。単純に人を殺すと言う事とは訳が違う。


「いや、おかしいだろ。こんなサイズの生き物が人間をバラバラに出来ると思うか?」


「いえ、しかし相手は未知の怪物ですし、我々の想像もつかない力で……」


「その現場を見たのか?」


「い、いえ……」


 公爵は怪物の死体の入った木箱を抱え、生乾きの血の臭いにつつまれる犠牲者の側で膝をついた。

 怪物の死体を返す返す観察しても、切断系の攻撃を繰り出しそうな器官は見つからない。足の先には爪もあるが、どう見ても犠牲者の切断面とは合わない。


「間違いない。これは……人間の犯行だ。なにか鋭利な刃物によって切断されている。もしかすると別の場所から運ばれてきているかもしれない」


「と、言うと昨晩放火してまわったと言う例の……?」


「だろうな。しかし、だとするとなんのために…………ん? ちょっと待て!」


 ふと、悪寒のようなものが走って公爵の産毛がぞわりと逆立った。不意に心臓がバクバクと鳴りだし、勝手に指先が震え出す。


「すまない。仏さんの遺体を動かしても?」


「え、えぇ。我々は構いませんが……え、公爵自らがですか!? そ、そんな! 汚いですよ。ご指示を頂ければ我々がやりますので」


「いや、いい。悪いが君たちは手を出さないでくれ」


 公爵は地面に布をひき、手袋を別な物に変えて次々と遺体を並べ直した。


 そして……


 遺体は無残なものだった。

 やせ衰え、顔面を食い散らかされ、囚人のようなボロをまとい……高貴な暮らしをしていた時の装いなど見る影もない。

 あるいは人質にとられていた当人ですら気が付かなかったかもしれない。


 だが、公爵は気付いた。

 彼には息子や娘達のような超人的な才能こそなかったものの、人一倍領民を気に掛けることで培われた観察力があったのだ。


「まさか、この人は…………」


「どうしたんですか?」


「……お父上?」


 心配そうに声をかける息子達に、公爵は立ち上がって悲壮な顔を向けた。


「行こう。急がないと大変なことになるかもしれない!」


「ちょ!? 父上!?」


 公爵は突如マントを翻して急に走り出した。


「いかん! 閣下をお守りするのだ!」


 護衛の騎士達がガシャガシャと鎧を鳴らして大慌てで追いかけるが、グングンと引き離されて人混みの中に見失ってしまいそうになる。


(シャルロッテ……お前一体、何をしようとしているんだ!)


 普段の落ち着いた様相からはとても想像もつかないような顔をして、公爵は通行人を突き飛ばしながら路上を走り抜けた。


 例えその先にどのような闇が待ち受けていようと、自分の成すべきことを信じて……

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